キョウ ハッコウ事件3

朝日新聞の2015年12月21日付けの「天声人語」は以下のようなものです。

その新刊広告は、今の新聞なら1面トップにあたる位置に載っている。美濃部達吉と並び称された憲法学者、佐々木惣一の『立憲非立憲』が発売されたのは1918年。当時の本紙を見ると、版元は「国民の必読すべき良著なり」とうたっている。佐々木は著書の冒頭で断言する。立憲主義は「現今世界文明国の政治上の大則」である、と。権力は憲法によって制限されなければならないという思想が、当然のこととして扱われている。思えば戦前の政党は、政友会民政党も「立憲」の2文字を冠していたのだった。

普通の人々も聞き慣れていたはずのこの言葉。戦後は忘れられたとも指摘された。確かに民主主義の語が脚光を浴びたのに比べて目立たなかった。2000年以降に国会での憲法論議が本格化しても、立憲主義はなかなか人々に浸透しなかった。安倍首相が返り咲いてからの知名度の急上昇は、ご案内の通りである。集団的自衛権の行使をめぐる憲法解釈の強引な変更は、立憲主義を壊す行為だと多くの人が受け止めたのも無理はない。安保関連法が成立しても憲法違反は憲法違反。そう考える学者の会やママの会、学生団体SEALDs(シールズ)などの有志が
「市民連合」を結成し、きのう記者会見した。来年の参院選に向け、法の廃止や立憲主義の回復で一致する野党候補を支援するという。右か左かでなく、保守か革新かでもない。立憲か、非立憲か。佐々木の著書から100年近く、再び鮮明になってきた対抗軸である。(朝日新聞「天声人語」2015年12月21日
しかし、私は、この「天声人語」の認識を含めて朝日新聞がなにかしらの「立憲主義」なるものを自ら進んで唱えようとするとき、同「天声人語」子の認識と言葉とは裏腹に(あるいは「真逆」というべきか)胡散臭いものを感じます。

この「天声人語」のいう「立憲主義」とは実質明文改憲論の
「新9条論」の謂いではないのか?

それだけではありません。

「天声人語」子のいう「
佐々木惣一の『立憲非立憲』が発売された」1918年という年は「日本の歴史上最大の民衆運動」と位置づけられる「米騒動」があった年であり、また、戦前、言論機関が権力に屈服していく端緒となった「白虹事件」のあった年です。このとき、朝日新聞はなにをしたか? あるいはなにをしなかったか? 

「白虹事件」は別名「大阪朝日村山社長襲撃事件」ともいわれますが、この事件を契機にして朝日新聞の前身である大阪朝日は権力に腰の引けた報道をするようになったのではなかったのか? 以後、言論機関として、
権力とテロリズムに屈服する端緒を開いたのではなかったか? 

この朝日新聞をはじめとするメディアの権力への屈服と隷従があの
15年戦争太平洋戦争への道程となっていったのです。

そうであれば、「天声人語」子は、この自社、すなわち、朝日新聞(大阪朝日)の無残な戦前、戦中の歴史をここで再確認するべきでしょう。そうすれば、実質明文改憲論につながる大きな危険性を孕む「立憲主義論」=「新9条論」を「右か左かでなく、保守か革新かでもない。立憲か、非立憲かが対抗軸である」などと美化する認識も言葉も出ようはずもないではないか?

今日の朝日新聞の「天声人語」を読んでの私の疑念はそういうものです。
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