キョウ いわなみ2 キョウ いわなみ

【この本は歴史家や思想史を選考する学者では書き得なかった】
 
この本は歴史家や思想史を選考する学者では書き得なかったと、私は、正直に思います。1937年は確かに南京虐殺のときであり、ここにはその事件の内容が詳しく書かれています。しかしその「じんじょうならざる」ことが、辺見は、「「いま」となって墓穴からたちあがる。かつて「ヒットラーを羨望させた」(丸山真男)ほどのニッポンのファシズムは、新たなよそおいで、古くかつ新しい妖気をはなちつつ、いままた息をふきかえしてある。「日本はこんな国なだと思わないでください」・・・・。それでは、ニッポンとは、いったい、なんなのだろうか。」と問うのです。

彼は1937年の「じんじょうならざること」を記すのに、
堀田善衛の小説『時間』を軸にします。日本人小説家が中国人を主人公にして、彼の目から見た南京事件を語らせるのです。その解説を書いた辺見は、「南京事件を中国人知識人の視点から手記のかたちで語り、歴史と人間存在の本質を問うた戦後文学の金字塔」としています。1955年に書かれた本です。小説のできに関しては異論があるでしょうが、確かにこの中国人知識人の目を通して語らせる堀田の思いは、当時の中国に渡った多くの文筆家の中においても、もっとも高く評価されるべきであろうと私も思います。出版当時、この作品が大きく取り上げられなったのさもありなんです。しかし辺見は2015年、堀田の『時間』を不朽の名作にしたように思います。
辺見は、1975年10月31日、皇居「石橋の間」でおこなわれた天皇の記者会見に触れています。そして天皇を徹底的に批判をします。というよりは、一億総懺悔ということで、ニッポンジンが天皇に対して戦争に負けて申し訳なかったとしている、ニッポンのあり得ない実態を糾弾するのです。「コノオドロクベキジタイハナニナノカ」 私は辺見は詩人の感性で、ニッポンとは、ニッポンジンとは何なのかを書いているのだと思います。

(問い)また、陛下は、いわゆる戦争責任についてどのようにお考えになっていられますか、お伺いいたします。
(天皇)そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究してないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。
(問い)原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受けとめになりましたでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。
(天皇)原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私はおもっています。

そしてもうひとつの軸は辺見の父親です。中国に送られた軍人であった父親は上等兵からなぐられた経験を持ち、帰国後は地方紙の新聞記者だったのですが、父親が書いた戦地での経験談の記事を辺見は読めずに机の上においていたようです。しかし辺見はそれを読み、そこにおいてもやはり戦争を起こした責任、だれも責任をとらないニッポンを見てしまうのです。辺見は父親は中国で何をしたのか、略奪・殺人・強姦・放火を止めよ仲間に言ったのかと問うのですが、それは非難ではなく、自分がその場でいたらそのようなことをしなかったのかと内面をえぐります。(略)

辺見のこの著書では天皇に厳しい批判をしていますが、彼の別の著書では、彼が記者時代に偶然に遭った天皇への特別な、自分でも意外であったような感情を持ったことに触れていました。辺見は、この著書の中では
小林秀雄阿川弘之のような、結果として時代に媚びる権威主義者に対しては厳しいですが、そのような人間のありようとそのようにせしめるニッポンのあり方を厳しく峻別しているように私には思えるのです。彼は自分を正義の言葉で飾ったり、ヒロイックな表現をすることはありません。時代を見る目は厳しいのですが、決して強がらず、苦しむ自分をそのまま書いているように思えます。ブログなどで見せる放言はさすがに著作のなかではしませんが、戦後ニッポンの平和と民主主義を奉るような輩に関しては厳しい視点を見せつけます。戦後のエセ民主主義を前提にしてどうするんだという、SEALDsなどに対する厳しい声も私には行間から聞こえました。(崔勝久(チェスング)「OCHLOS(オクロス)」2015年12月17日

【「閉じられた記憶の棺」を暴く衝撃】
本書を読み解くのは容易なことではない。まず、「1★9★3★7」の意味を知らねばなるまい。もちろん、辺見氏が書いているのは「日中戦争、南京大虐殺」そのものではない。著者は堀田善衛の小説「時間」を経糸に、戦争を体験した父を凝視し続け、戦争へと前のめりする今を剥ぎとろうとする。そうした苦行を通じて、「ニッポンの妖気」を炙りだし、「狂」の時代に迫った「戦後思想史上、最大の問題作」だといえる。ニッポンを席巻するのは「在ったことをなかったといいつのる集団」である。「在ったことを在ったと主張する者らを『敵』とみなし、『国賊』という下卑た古語でののしるまで増長している」。著者によれば、またもあらわれた幽霊を、ファシズムと呼ぶか、天皇制ファシズムと呼ぶか国家主義と呼ぶか全体主義と呼ぶべきかに、とくに関心はない。ただ目鼻口のはっきりしない、独自の顔とそれぞれの主体性を欠く幽霊たちがみな、示しあわせたように一様な動作をして、ひたすら歴史をぬりかえようとしていると。そうなのだ。今の日本を見よ。朝鮮半島、中国でくりひろげてきた、ほとんど名状が困難なほどの犯罪。…皇民化政策創氏改名も『日帝三十六年』も朝鮮教育令朝鮮人強制連行、「従軍慰安婦」も忘れ去り、忘却することで居座る。恥知らずで自らの尊大さにも気づかない。そうした空気が知らない間に蔓延している。「ニッポンというどくとくの心性が埋まっている湿った墓地はすべからくあばかれたほうがよい」という衝迫によって、「閉じられた記憶の棺」を暴いたのがこの衝撃の一冊だ。

かつて、辺見氏は
ノーム・チョムスキーと会ったとき「まさに鉈でぶち切るように」聞かされた話を書いたことがある。「戦後日本の経済復興は徹頭徹尾、米国の戦争に加担したことによるものだ。サンフランシスコ講和条約(1951年)はもともと、日本がアジアで犯した戦争犯罪の責任を負うようにはつくられていなかった。日本はそれをよいことに米国の覇権の枠組みのなかで、『真の戦争犯罪人である天皇のもとに』以前のファッショ的国家を再建しようとした。一九三〇年代、四〇年代、五〇年代、そして六〇年代、いったい日本の知識人のどれだけが天皇裕仁を告発したというのか。あなたがたは対米批判の前にそのことをしっかりと見つめるべきだ」。辺見さんはチョムスキーの批判を、「陰影も濃淡も遠慮会釈もここにはない。あるのはよけいな補助線を省いた恥の指摘だ」と受け止めた。本書には、戦後日本が積み残してきた戦争世代の罪業を問う視点が明確で、日本に漂う幽霊たちの正体に迫り、追及する揺るぎない知と精神が息づく。例えば、先ごろ死去した伝説の大女優、原節子が主演したことでも名高い日本映画の巨匠・小津安二郎への言及。代表作「秋刀魚の味」をはじめ、その作品には、世界への憤激も異議申し立てもなく老いゆく身の寂寥と運命の「いたしかたなさ」が淡々と描かれる。これに対し、辺見氏は、そもそも小津が生まれた1903年の翌年には日露戦争があり、1914年には第一次世界大戦が勃発、31年には満州事変、36年には2.26事件、37年に盧溝橋事件、41年に太平洋戦争…と小津の半生の時間には国家規模の暴力が吹き荒れていたと指摘する。「皇軍」とそれを生んだ天皇制ファシズムの底知れない美学。危うい静謐と癇症…。辺見氏は激しくいぶかい、疑うのだ。

さらに本書が鋭く指摘する「ニッポン精神」とでもよぶべき心的な古層。以下の問答に凝縮されていないか。戦後30年の節目、1975年10月31日に行われた昭和天皇の記者会見ーー。

(問い)また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか。
(天皇)そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。
(問い)原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか。
(天皇)原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っていますーー。

この発言に対して死者への冒涜だとして怒りを表明した記者もいなければ、社説もなかったと辺見氏は厳しく問う。「戦争責任へのそらっとぼけかた」以外ありえないではないかと。それを追及するのではなく、暗黙のうちに受容してきたひとびととヌエのような戦後社会が見事に浮き彫りにされている。ニッポンとニッポンジンはなにゆえ、自らの手で天皇ヒロヒトに土下座させる発想をもた(て)なかったのか。戦後70年、そのような回顧をするジャーナリズムも絶無である。「知らずにはすまされないことを問うか問わないかは、日本の戦後の記憶についての巨大な問題だ」として、この問いに血を吐く思いで応えようとしたのが本書だ。脳出血、ガンという大病を患い、不自由な身で旺盛な執筆活動を続ける辺見さん。渾身の書には、底知れぬ反骨精神と知力が満ち満ちている。(
朴日粉(パク・イルブン)「朝鮮新報」2015年12月14日
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