キョウ 流砂

辺見庸の12月6日付けの「日録2」は週刊金曜日という雑誌が「死滅」の運命にあることの考察です。この項で辺見は「〈事実を書こうとする者の意思の抑圧〉はだんじてあってはならない」「〈読者に報せるべき事実の政治的隠ぺい〉は最悪だ」とごく当然のことを述べています。辺見のこの当然の指摘にだれが反対できるでしょうか? 「赤旗」も「金曜日」も辺見の「問い」に答えるべきです。「人をブジョクしてはいけない。そうする側の人間性が、いま、問われている」という
阿部浪子さん(文芸評論家)の指摘をもういちど繰り返しておきます。
【〈事実を書こうとする者の意思の抑圧〉はだんじてあってはならない】
「世界新秩序の内部では、もはや革命は存在しない。……あるのは痙攣だけだ。……あるのは機能不全と断層と衰弱と動脈瘤的断絶だけである」と説くボードリヤールの肉声を聴いたのは、もう10数年も前だ。いまや、より人間であろうとすればするほど、事態はより危険になる。人間は機械的端末として「死の生」をえらぶか、もしくは端末たることを拒んで「生の死」をえらぶしかない。

正義めかしたあの雑誌は、筑紫哲也さんがかんけいしていたころからそうだったのだろうか。共産党批判のできない雑誌だったのか。事実上の共産党の下部機関化していたのか。筑紫さんはそれをご存じだったのか。共産党の下部機関(宣伝端末)だから悪いというのではない。経済的バックアップがあろうとなかろうと関心はない。聞け!〈事実を書こうとする者の意思の抑圧〉はだんじてあってはならない、と言っているのだ。〈読者に報せるべき事実の政治的隠ぺい〉は最悪だ、と言っているのだ。以上2点だけで、市民に依拠していることを標ぼうする雑誌は死滅する。ジャーナリズムの最低倫理上の自殺である。やむをえない自滅だ。

人間の機械的端末化の嚆矢はむろん携帯電話ではない。
志位君北村君、人間の機械的端末化の思想的嚆矢はなんだったか、答えてほしい。「あれ」以外にあるならば、どうかわたしに教えてほしいものだ。言えまい。北村君は志位君に面談をもうしこみ、わたしの批判をつたえることもかんがえたという。ちがうのだよ、北村君。ぜんぜんちがうよ。読者にたいする事実の全面的公開こそがなによりも大事なのだ。そして問題の所在と性質を読者(三分の一が共産党員ないし支持者であるにせよ)とともにかんがえることが、いの一番に肝要だったのだ。痙攣と機能不全と断層と衰弱と動脈瘤的断絶は、痙攣と機能不全と断層と衰弱と動脈瘤破裂の前兆である。(辺見庸「日録2」2015年12月6日
関連記事
Secret

TrackBackURL
→http://mizukith.blog91.fc2.com/tb.php/1673-79ab207d