キョウ 流砂

Blog「みずき」:辺見庸によれば、昨日の午後、いわゆる「赤旗」の辺見へのインタビュー・ドタキャン事件に関して大きな動きがありました。同ドタキャン事件に関して、週刊金曜日の現社長の北村肇氏が「金曜日の読者の多数が日本共産党員であるため、公表も抗議もできない」と辺見に言明したのだといいます。この国のメディア、ジャーナリズムの最左翼と一般には評価されている週刊金曜日が思想・良心の自由や言論・表現の自由の価値よりも自社、すなわち出版社の商売上の利益の方を最重要視するとこともなげに言ってのけているのです。同誌の右傾化についてはいわゆる「佐藤優現象」問題を通じてもう10年近く前からふつふつとした批判がありましたが、今回の事態(北村社長発言)は週刊金曜日はジャーナリズムと一呼するにも値しない四流(すなわち、三流以下)メディアに完全に成り下がっていることを明白に示しています。もはや、週刊金曜日にはなんらかの期待を持つべきではありません。同誌は完全に死んでいます。そう言ってよい事態なのだと思います。週刊金曜日に変わるべき新しいメディアを私たちは創出する必要があるでしょう。

週刊金曜日の北村社長についてひとつ余話を述べておきます。私は北村氏に彼が同誌の編集長時代に一度会っています。5、6年前に大分市の同誌読者会が彼の講演を企画したときのことです。そのとき私は、いわゆる佐藤優問題に関して同誌の姿勢に疑問を持つ読者は少なくないこと。佐藤優の同誌への起用をただちにやめることがベストだが、そこに到らないまでも左記の少なくない読者の疑問に応えるためにも週刊金曜日の同氏の重用に関して編集部の見解を含む賛否両論を特集してみてはどうか、と提案しました。私以外にも同様の発言が一、二あったこともあって北村氏はその講演会の席上で私の提案を受諾しました。しかし、そのときからもう5、6年は経っていますがいまだにその約束は守られていません。私は北村氏が民主主義の人ではなく、口先の人であることを私の経験から知っています。週刊金曜日の堕落と奈落は口先の人を社長に据えるというこうした人事にも明確に現われているということができるでしょう。

残念きわまることですが、今回のドタキャン事件に関する日本共産党の対応といい、週刊金曜日の対応といい、この国の民主主義は壊滅状態というほかありません。
【ドタキャン事件をめぐり大きな動き】
昨日、Nさんから久しぶりのメール。共産党機関紙「赤旗」のドタキャン事件にかんする深々とした所感。とても参考になった。やはり小事ではなかった。インタビューを申しこんできたK記者はその後どうなったのか。気になる。ずっと気にしている。問題はパルタイという組織の病症であるとともに、それ以上に、わたしをふくむ生身の個人(主体)の思考の試練でもある。「スターリニズム」というひとことですべてがすむというものではない。これだって、なんどめかの歴史の〝追試〟なのだ。(略)

午後、ドタキャン事件週刊金曜日、そして拙著『1★9★3★7』(イクミナ)をめぐり、大きな動きがあった。わたしは、事件の経緯と週刊金曜日の基本的立場を同誌の記事として読者に公表し、赤旗紙および日本共産党に抗議すべきであると主張してきた。これにたいし、金曜日の北村社長は本日、辺見庸の主張は「100パーセントわかるが……」(笑止!)と述べるいっぽうで、しかしながら、同誌での事件経過説明も共産党への抗議もできない、と言明した。その背景として、北村氏はまことにわが耳をうたがわざるをえない、まったく承服しがたい珍妙無類の〝理由〟をあげた。金曜日の読者の多数が日本共産党員であるため、公表も抗議もできない――というのだ!これはなんというバカげたロジックだろう!?以上のことがらについて、わたしは『1★9★3★7』のすべての読者、当ブログの愛読者たち、および全国各書店にたいし、近日中に詳しく説明する責任と義務があると感じている。『1★9★3★7』の運命は、わたしの予感のとおり、これから大きく変わるだろう。そもそも『1★9★3★7』は遠い血煙のなかからついに生まれた本である。読者は知っている。1頁1頁に血糊がついている一冊なのだ。これを、「市民運動」に名をかりた、そのじつ、ファシスト以下、スターリニスト以下のインチキどもにまかせておくわけにはいかない。(
辺見庸「日録2」2015/12/04

【パルタイ中央にはきっと「事件」の感覚もあるまい】
「歴史は徹底的であるから、何度でも〝追試〟させられる。しかも無反省な輩はその都度なんどでも同じ過ちをくりかえす」。友人Sさんの手紙のなかの1行。ニッポンの「国際反テロ戦争」参戦が近い、とかれはみている。わたしもそうおもう。参戦前夜をひしひしと予感する。「国際反テロ戦争」は、〝テロ〟現象の可変的深層をだれもつかみえないまま、拡大し、変容し、いたずらに泥沼化するだろう。〝テロ〟の様態はみるもののつごうで、つごうよく変えられ、表現される。そのとき、ひとびとの精神と立ち居ふるまいはどうなるだろうか。愛国化、民族主義化、祖国防衛戦線化しないものか。パルタイは「国際反テロ戦争」参戦にはっきりと反対できるだろうか。そこだ。〝追試〟とはそれなのだ。第二次世界大戦はファシズム対反ファシズムではなく、反ファシズム戦争の装いをした帝国主義戦争であった。〝追試〟のポイントはそこにある。パルタイは〝追試〟で合格するか。またも落第の公算が大ではないのか。「赤旗」のインタビュー・ドタキャン事件について、まだなんの連絡もきていない。パルタイ中央にはきっと「事件」の感覚もあるまい。みずからの歴史をいくども塗りかえてきたものたちに、歴史修正主義を難ずることはできないはずだ。歴史はあまりにも徹底的にめぐってくるので、わたしたちは何度でも〝追試〟をうけさせられる。(
辺見庸「日録2」2015/12/03
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