キョウ 初霜

【「新9条論」派は憲法9条は死んだという。ではなぜ、安倍さんたちは改憲を目指しているのか】
水島朝穂は著書『
はじめての憲法教室 —立憲主義の基本から考える』(集英社新書,2013)に、「いま現実に存在する自衛隊が憲法と矛盾するから、憲法を改正しよう」という趣旨の議論は、国家権力を制限するという立憲主義の観点からは考えられないものです。そんな憲法はもはや近代国家の憲法とは言えません。(87頁)と書いていた。この批判が「新9条」に適用されることは当然だろう。
また昨日(11/29)、朝日新聞3面に掲載された「平和主義を守るための改憲 ありえるか」という記事に、同じく憲法学者の長谷部恭男が立憲主義の立場から「新9条論」を批判していた。記事は朝日に不定期で掲載される、高橋純子論説委員が政治学者の杉田敦と憲法学者の長谷部恭男の対談形式の(略)記事だ。ここで長谷部恭男は、杉田敦の(前略)安保法制の成立によって(中略)9条は空文化し、死んでしまった。だから、新条項として蘇生させなければならないと『新9条論』者たちは主張しています。との指摘に、長谷部恭男は、死んでいるのならなぜ、安倍さんたちは改憲を目指しているのでしょう。死んでませんよ。集団的自衛権の行使は認められないという「法律家共同体」のコンセンサスは死んでいませんから。元の政府解釈に戻せばいい。と言い、さらに、法律の現実を形作っているのは法律家共同体のコンセンサスです。国民一般が法律の解釈をするわけにはいかないでしょう。素っ気ない言い方になりますが、国民には、法律家共同体のコンセンサスを受け入れるか受け入れないか、二者択一してもらうしかないのです。と言う。

杉田敦も、たしかに、みんなで決めたことでもだめなものはだめ。これが立憲主義でしたね。民主主義と立憲主義の間の緊張関係を常に意識しておかないと、「新9条論」を主張する人たちの純粋で真摯な思いが、民主主義の名の下に、改憲そのものを自己目的化する現政権の動きを、裏側から支えてしまう可能性がありそうです。と応じている。立憲主義とはかくも難解にして強力だ。そんなことを偉そうに記事に書く私も、その実体は今頃になって立憲主義を学び始めたうつけ者に過ぎないことは、本記事自体がはっきり示している。

それにしても、
想田和弘伊勢崎賢治矢部宏治池澤夏樹(リンク中【再説:「左折の改憲」のゆくえ】参照)や加藤典洋(リンク中の酒井克明さんの批判参照)らが言い募り、憲法学者でも改憲派の小林節(リンク中大田英昭さんの批判参照)がそれに加担し、「マガジン9条」や東京新聞(リンク中澤藤統一郎さんの東京新聞批判参照)がその浪に乗ろうとした「新9条論」に対する批判にも立憲主義が威力を発揮するとは、立憲主義おそるべし、というのが初学者である私の正直な感想だ。われながら間抜けな感想だと思うが、そうとしか書きようがない。(きまぐれな日々 2015.11.30

【山中人間話】 

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