キョウ 白虹事件
筑紫哲也さん「白虹事件」について語る(由布院盆地 2006年)

以下はある社民主義者の人への私の返信です。
 
『帝国の慰安婦』朴裕河の在宅起訴に学者ら54人抗議声明」への的を外した反批判、すなわち、思想・信条の自由と学問の自由に関する問題提起を朴裕河著『帝国の慰安婦』擁護の主張のように貶める反理性(事実を歪めて反論するという点で反理性です)の声が少なくなくありますので、その反批判、反理性の声に対する私のひとつの応答として書きました。

したがって、標題も、「その「朴裕河の在宅起訴批判」の「批判」のまなざしは正しいのか?――「『帝国の慰安婦』朴裕河の在宅起訴に学者ら54人抗議声明」とその批判をめぐって」のその(2)としています。
 
私の見るところあなたのような主張、すなわち、「朴裕河の在宅起訴批判」を「批判」する主張をしている人は旧社会党員、旧社会党左派系の人たちが多いですね。言葉では戦闘的なことを言いながら中身がない。すなわち、何が根本的な問題であるかについての理念を持たない(ここ(「朴裕河の在宅起訴批判」の主張)では、朴裕河の主張が正しいかどうかを問題にしているのではありません。公権力からの思想・信条の自由、学問の自由の問題が問題にされているのです)。
朝鮮日報の金秀恵(キム・スヘ)東京特派員は今回の「朴裕河の在宅起訴批判」を提起した「知識人」たちをあなたのように侮蔑したりはしていません。同記者は上記の人たちを「日本の右翼ではなく、善良な人たちである」と言っています。同記者は「戸惑う記者会見だった」とも記していますが、そこにはこの問題をもう一度再考してみようという真摯な姿勢が見られます。
 
「しかしこの日、日本の知識人らが挙げたのは、朴教授の本が正しいか、間違っているかという問題ではなかった。この人々は、思想信条の自由があるべきだと主張した。「韓国社会にその自由があるのか」と問い掛けた。そんな話をしているのが日本の右翼ではなく、善良な人たちであることに戸惑う記者会見だった。」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/11/27/2015112700841.html
 
先日、私は、理念を持たない人たちの問題について次のように書きました。
 
「民主主義の理念を擁護しえない者は権力にたやすく操られる者に堕してしまうでしょう。「権力の罠」はそのようにして仕掛けられるのでもあります。戦前、私たちの先輩の多くはその罠にはまりました。同じ過ちは繰り返してはならないだろうと思います。」
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1643.html
 
上記で私の言う「民主主義の理念を擁護しえない者は権力にたやすく操られる者に堕してしまう」状況について、作家の辺見庸は次のように描写しています。
 
「「反資本・反共・反ファシズム」の三反主義をかかげた社会大衆党は、なぜあれほどまでにファッショ化し、結局、大政翼賛会に合流してしまったのか? 対中侵略戦争直前のこのクニには、天皇制ファシズムも軍国主義も自由主義も社民主義もあるにはあったのだった。天皇制ファシズムと軍国主義が言論のすべてを圧殺して、その結果、戦争が発動されたとはかならずしも言えない。日中戦争開始までは言論活動がそれなりに許されていたのであり、ニッポン型社民主義はまだかつかつ生きてはいた。デモクラシーが理念としてもかんぜんに燼滅したのは、主として戦争発動後である。社民主義は反戦運動をまったく組織せず、戦争を阻止し(でき)なかったけれども、戦争は社民主義さえ一気に消滅させたのだった。だいたい社民主義が帝国陸軍と連携し戦争を積極的にあとおしするなどという、およそありうべからざることがおきていたのだ。」
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1629.html
 
あなたが「知識人」を自認するのであればよく考えていただきたいことです。
 
あなたは次のように言っていましたね。
 
「大江の言う知識人にはほど遠いとしても、何らかの意味で知識人たろうという志を持つ一人として、思想の荒野にニホンオオカミを探す努力をしなければと痛感する。」(前田朗Blog  '14.4.13
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