シリアの女の子
トルコのシリア難民キャンプで幼い少女はカメラを武器だと思い、
両手を上にあげて降伏のポーズを見せた。


【眼は、どこかを見ているようで見ていない】
もう一度書いておく。テロリストによる文字通りのテロと、国家が行う空爆では、もちろん実行する主体の側からみれば意図が違う。だが、一瞬のうちに家族を奪われたパリ市民と、つましい夕食の食卓を囲んでいる時に瞬時に家も家族も消滅するシリアやイラクやアフガンの市民との間に何の違いがあろうか? 理不尽な死に追いやり、何の悪意もない人々に途方もない恐怖と絶望をあたえるからテロなのである。被害を受ける側からみるときに、国家の行う攻撃は許容しろなどと誰が言えるか? 国家によるテロリストへの攻撃とテロリストによるテロをいっしょくたにするなと言う人がいる。だが、犠牲者にとってその違いに何の意味があるか
よその国の軍隊が自分の頭上にやってきて、テロリストに向けてミサイルを発射し、テロリストだけでなく村人や市民を犠牲にしても、それには目をつぶれと誰が言えるのか? 突然のミサイル攻撃で一瞬にして家族を奪われることの理不尽さが、どうしてもわからないというなら、一度、シリアで有志連合やロシアの空爆にさらされる町に、家族連れて行ってこい。アサド政権軍が樽爆弾を落とす町に、家族連れて行ってこい。瓦礫に埋もれたバラバラの家族の遺体を拾い集めてから言え。テロリストによるテロと国家の対テロ戦争を同列に扱うとはとんでもないと私を非難するなら。何の悪意もなく学校で学ぶこどもたちを殺害し、家族と食卓を囲んでいる瞬間に家族を爆殺し、結婚の祝福に駆け付ける車列を吹き飛ばすことがテロでなくてなんだ?

テロは被害を受ける側にとって途方もない「恐怖」だからテロなのである
シリア難民のこどもたちのうつろな表情。多くが肉親を一瞬にして奪われたこどもたちだった。眼は、どこかを見ているようで見ていない。親兄弟の命を奪ったのは、アサド政権の空爆や有志連合の空爆なのである。シリア国境の町キリスで訪れた、治療の施しようのない重傷者の収容施設。腰から下の肉がほとんど残っていない若者。彼らをそんな目に遭わせたシリア政府軍の樽爆弾攻撃が自国民に対する無差別テロでなくて、いったい何なのだ?(内藤正典Twitter 2015年11月26日

【山中人間話】

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