キョウ 流砂


辺見庸によれば、共産党副委員長の小池晃さんは、「数日前、『戦争をさせない1000人委員会』メンバーにたいし、同党機関紙「赤旗」のインタビュー・ドタキャン事件について『遺憾だ』とかたったという。『1000人委員会』メンバーからわたしの担当編集者にそのむねの電話があった」と言います。

その小池氏が語ったという「遺憾」の意が仮に共産党指導部(常任幹部会)は「赤旗」での辺見庸インタビューなど考えていなかった。辺見にインタビューを申し込んだのは赤旗記者の独断でしかない、という意での「遺憾」発言だったとしても、外部から見れば辺見にインタビューを申し込んだという赤旗記者も歴とした共産党本部の組織の人です。そうであれば、共産党(直接的には小池氏)が「遺憾」と言うのであれば、その「遺憾」発言の直接の相手方に対して直接詫びるのが世間の筋というものです。しかし、辺見によれば、辺見に対する直接の詫びはいまだにないようです。

辺見の言うように「『遺憾』というのなら、小池さん、あなたはこの問いに、じぶんのことばで説明し、答える義務がある」と私も思います。市民社会(世間)の常識とはそういうものです。いまからでも遅くありません。志位委員長なり小池副委員長は辺見庸に納得できるコトの経緯を釈明した上で突然のインタビュー・ドタキャン事件について詫びをするべきでしょう。そして、志位氏との対談を希望する辺見の提案を小異(それがよしんば大異であったとしても)を留保して、「鴻鵠の志」の問題として真摯に受けとめるべきではないか。私はそう思う、ということをもう一度繰り返しておきます。
今日も辺見庸「日録1」(2015年11月22日付)の大概を示しておきます。

「1000人委員会」の関係者は、小池晃・日本共産党副委員長にたいし、あなたが「遺憾」というのならば、それをはっきりとした形で辺見庸に示すべきではないか、といった趣旨のことをサジェストした。すると小池氏はムニャムニャとなにか言ったらしい(「ハンセイ……」という音が発声されたようでもあるが、たしかではないという)が、けっきょくはお茶をにごした。どうも釈然としない。だからといって、小池氏または「1000人委員会」の関係者に、この件で電話する気もおきない。わたしには問題の所在と性質を、まだよくわかりかねているところがある。じぶんにたいし、〈しつこいぞ〉と叱るじぶんと〈いや、これはこだわるべきだよ〉と言うじぶんが分裂している。

平野謙荒正人本多秋五らの顔をおもいだしたりする。「政治と文学論争」をおもいだす。荒正人の授業をおもいだす。教室のいちばん前で聴いた。昔の共産党とその周辺、そして共産党の論敵には、歴史とことばを知るインテリがいくらでもいた。いまはどうなのか。いまはなにもないのではないか。わたしは〈なにもないもの〉=〈ヴォイド〉にむかって話していやしないか。ぞっとする。「一億総懺悔」や「権力迎合」も知らない新聞記者たち、いや、「国家」や「国家権力」の語感もわかっていないひとびとと話すには、わたしはもうあまりにも疲れすぎている。小池副委員長は1960年生まれという。わたしからすれば若者だ。あなたが「遺憾」の二字にどんな「肉感」をこめたか。すこし疑問だ。(略)どうして「はらわた」からことばをしぼりださないのか。あなたがたをやりこめたいのではない。これは政治的「勝ち負け」の問題でもない。ちがう。

いやしくも「共産党」を名のり、「コミュニスト」を自任しているかもしれないひとびとに、冥途の土産に、お訊きしたいのだ。いまはどんな時代なのか、と。わたしにはいつもそうやってじぶんの足場をたしかめたい意識がある。いまはどんな時代なのか。それだからこそ、『
1★9★3★7』(イクミナ)を書いた。本を党に送った。志位さんにも小池さんにも送った。「赤旗」からインタビューの申し込みがあった。日時場所の調整があり、それらが決まった。ほどなくして、中止するという、(震え声の、苦しげな、ほとんど泣きださんばかりの)電話連絡があった。なにがあったのだ?これはだれでも知りたがるのが自然ではないか。もしも朝日や毎日や讀賣のドタキャンなら、わたしはチェッと舌打ちして、すぐにうち忘れただろう。あなたがたは朝日や毎日や讀賣ではない。ものごとをもっと踏みこんでかんがえようとしている、すくなくもそう自称している党ではないのか

わたしは健保の関係上、日本文藝家協会の会員だが、それ以外いかなる組織にも属してはいない。支持政党も支持党派も支持グループもない。わたしの背後にはわたししかいない。犬とふたりでくらしている第2級身体障害者だ。あなたがたはなにを怖れているのだろう。それとも、わたしが「1000人委員会」にも入っていない単独者だから、放っておけばいつかは黙るだろうぐらいに問題を軽視しているのだろうか。だとしたら、みくびられたものだ。(略)

昔の共産党員はものがよく書けた。(略)「日本人における封建制、鎖国性、官僚制、天皇制からの影響」――
中野重治がこう書いたとき、「日本人」には「日本共産党員」がかさねられていたのではないか、とわたしはおもっている。中野には現役党幹部のときでも、厳しい対自的(フュール-ジッヒ)な目があった。わたしもなるたけ向自的でありたいとおもう。あなたがに蹴たぐりをかけたり、おちょくったりするほどわたしには体力もない。ただ、気になる。「赤旗」読者に『1★9★3★7』の紹介をすることをやめたというのは、党の判断による間接的な「思想統制」にひとしいのではないか。問題は重大である。「遺憾」というのなら、小池さん、あなたはこの問いに、じぶんのことばで説明し、答える義務がある。(辺見庸「日録1」2015/11/22
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