キョウ 辺見

北日本放送・KNBニュース「辺見庸インタビュー」書き起こし
シリーズ私と戦争、堀田善衞の「時間」 2015/11/19 14:45 現在 

シリーズ私と戦争です。長く絶版となっていた小説がこのほど復刊され18日県内の主な書店に並びました。高岡市伏木出身の芥川賞作家、堀田善衞の「時間」です。日中戦争下の1937年、日本軍による南京虐殺事件を中国人の眼を通して描いた小説です。これが復刊された「時間」です。文庫も出版されていましたが、絶版のため読者は古本でしか手に入れることができなくなっていました。今回、岩波書店が復刊することとなり、その解説を作家の辺見庸さんが執筆しました。戦争の被害ばかりが強調され、加害者としての戦争責任が忘れ去られようとしている今、辺見さんに「時間」復刊が今、私たちに何を問いかけているのかを聞きました。
辺見さん「南京に南京大虐殺記念館ができるというのを報じたのは僕が初めてなんですよ日本で。歴史の問題というものが、僕流に言えば、こう流砂状にですね、足もとが崩れてゆくくらい、自明であったことが自明でなくなってきているという印象を僕は持っていまして、慌てていたわけですよ。南京にせよ慰安婦の問題にせよ、僕は直接取材した問題でもあり、直接原稿を書きもしたことがあるわけで、ということは僕にも一端の責任があると思っていたわけですね。」
 
1937年、日本軍の南京攻略に伴う、一般市民を巻き込んだ南京虐殺事件は、日中歴史共同研究で殺害された人数の差はあれ、双方が歴史的事実として認定しています。堀田善衞の小説「時間」は日本軍が迫りくる1937年11月、陳英諦という「わたし」が体験し目撃する南京事件を一人称で語らせ、かくも悲惨な所業を行う人間とは何かと問いかけています。戦中から戦後にかけて上海で暮らし、中国を熟知していた堀田だからこそ書けた小説でした。
 
辺見さん「陳英諦という『「わたし』ですね主人公が中国人のインテリだということですね、これは離れ業もいいところで、あっと驚くわけですね。僕の表現でいえば目玉の入れ替えみたいなことをやっているわけですね。見る側と見られる側をひっくりかえしちゃう、ひっくり返してやる。つまり我々の日中史観というか対中国侵略戦争史観にたりなかったのはそれなんですよ。やられた方からはどうなんだと。やられた方はどういう風に考えたんだ。」
 
『時間』より朗読 「妻の莫愁も、その腹にねむっていた、九ヵ月のこどもも、五歳の英武も、蘇州から逃れて来た従妹の楊嬢も、もはやだれもいないのだ。恐らく嬲りものにされ、姦されての後に殺されたのだ。」「何百人という人が死んでいるーしかし何と無意味な言葉だろう。死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある・・・。」
 
辺見さん「僕はものすごく力説したいのは、この「時間」というテクストは残されるべきであったと思う。学校教科書として配ってもいいくらい。だからここの中にも国家というか集団対ひとりとか、あれは戦争のせいだったんだからというふうな総括の仕方、まとめ方というのを堀田はすごく嫌ったということですね。ここにも書いてありますね。戦争のせいだけという言い方はたまったもんじゃないと、そこを堀田はあくまで、そうではない、個人の目で見たらどうなんだと。という書き方をしている」
 
『時間』より朗読 「おそろしく基本的な時代だ、いまは。人間自体とひとしく、あらゆる価値や道徳が素裸にされてぎゅうぎゅうの目に遭わされている。ひょっとすると、いまいちばん苦しんでいるもの、苦しめられているものは、人間であるよりも、むしろ道徳というものなのかもしれない。」
 
辺見さん「そこで「時間」のリアリティというか「時間」でかかれているスケッチしている日本軍の所業のナマナマしさとか、それに対する堀田さんの自由な展開の仕方、南京というのがあれほど無残にズタズタにされたけれども、これは人類史的には基本的な時代なのかもしれない、ということを言ってみたりするわけですよ。すげぇこというな、と思うわけです。大きいんですね、なんか、目が大きい視野が大きいというんですかね。この「時間」じゃないけれど今の時間というのは堀田さんが過ごしてこられた時間よりももっと極度に歴史というものがほとんど転覆されてしまった時間にあると思う。それは南京大虐殺だけではない、従軍慰安婦もそう、東京裁判もそう、サンフランシスコ講和条約もそう、ポツダム宣言も、そんなもんなんですかという時代ですよ。僕は今の為政者たちかなりの過半の人間がそう思っている可能性があると思う。それを何の痛みともしていない。」
 
岩波書店が「時間」を復刊したのは辺見さんが雑誌に連載していた「1★9★3★7」)がきっかけでした。辺見さんは日中戦争が本格化した1937年に焦点を当て、堀田の「時間」と辺見さんの個人的な記憶を織り交ぜて、戦争へと傾斜する今の時代を浮き彫りにしています。
 
辺見さん「はっきり言って人間は、ぼくは『1937』の中でも書いていますが、戦争するべき、戦争するべく生まれてきた存在だと思っているけれども、現実可能性としての戦争、あるいは局地戦というのは、かなりリアルに迫っていると僕は思う。はっきり言って状況は。状況は僕の言い方でいえば、これから来るんじゃなくて、もうそのプロセスにもう入った。戦争期に入ったと思う。その意味では始まっている。それに対する反対する世論というのは、人間的な力ですね、それは僕はある意味、知的な力というのは、極めて弱いと思っている。かつてよりも格段に弱い。」
 
『時間』より朗読 「絶望的なこの状態を超えようとせず、身を委ねれば、そしてそこへ精神を閉じ込めておけば、わたしは幸福にさえなれるだろう。奴隷の幸福。」
 
辺見さん「今くらい絶望を深めなきゃいけない時期はないんじゃないかと思う。メディアがそうですよね基本的に。自衛隊の特殊訓練というものをこんなに無批判にまるで美化するように写している時期というのはないです。そういうときにこの「時間」というテキストは、ちょっと次元が高すぎるといえば、そうかもしれないけれど。何も化学変化がないとは言えないですね。僕はちっちゃなものでいいと思う。ちっちゃな化学変化でも起きてくるといいなと思っているし、勘で起きると思う。」
 
『時間』より朗読 「してみれば、南京暴行事件をも、一般の日本人は知らないのかもしれない。戦わぬ限り、われわれは「真実」をすらも守れず、それを歴史家に告げることも出来なくなるのだ。」
 
1937年12月から始まる日本軍の南京総攻撃には富山県の36連隊も参加し、南京攻略後、市街地の掃討作戦を実行しています。その事実を伝える当時の報道は36連隊の武勇を掲載し、日本軍による虐殺行為には触れていません。戦争はいったん始まれば多くの市民が被害者になるだけでなく、加害者の立場になり人間を傷つけてしまいます。今だからこそ堀田善衞の「時間」から戦争という過ちを犯す人間とは何かを見つめていく時です。
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