キョウ 流砂  

辺見庸は2015年11月14日付けの「日録1」で自身への「赤旗」のインタビュー・ドタキャン事件について「流砂的政治状況のいま、これは考察の対象ではある」と述べていました。その言葉のとおり、辺見は、流砂的政治状況についていまも考え続けているようです。そのことは辺見の「日録1」を追って読んでいけばわかることです。その辺見に北日本放送がインタビュー(直接的には堀田善衛の小説『時間』復刊に関してのインタビュー)したニュースがアップされています。そこには「ひとりひとり例外になる。孤立する」意味について考えるヒントがあるように私には思えます。下記の辺見の11月20日付けの「日録1」の言葉とともに転載させていただこうと思います。以下です。
http://www.knb.ne.jp/news/detail/?sid=9462
【言っておく。「独り」こそがもっともよくたたかうのだ】
ちょっとおどろいている。北日本放送が昨日夕、ニュース番組で
わたしへのインタビューを放送した。堀田善衛の小説『時間』の復刊(岩波現代文庫)、南京大虐殺と歴史修正主義、拙著『1★9★3★7』などについて話したのだが、正直、ここまで放送できるとはおもっていなかったのでびっくりした。東京主要紙、各キー局ではとてもかんがえられないことだ。本ブログの読者にもぜひみていただきたい。

けっきょく「独り」である。たった独りの営為が、連鎖して、つぎの独りの存在を意味あらしめることが、まれにある。『時間』の復刊を企画、実現した奈倉君、北日本放送の濱谷さん、『時間』再読をわたしにつよくすすめた白木君、『1★9★3★7』のすべての読者たち……の、どうにもならない「独り性」に感謝し、敬意を表したい。「赤旗」のインタビュー・ドタキャン事件でわたしが夢想しているのは、日本共産党の「組織的」な「公式」の謝罪なんかではない。勘違いしないでほしい。巨大組織に属する人間の、どうにもならない「独り性」が発する肉声。もしも、もしもだ、そんなものがあれば聞きたいとはおもうが、まったく期待なんかしていない。

かつて小泉政権下で、いったいどれほど多数の日本共産党支持者たちが小泉純一郎を熱烈に支持したか。信じがたい。噴飯ものである。じつにばかげている。だが、おもいだしてほしい。流砂はあのころからとっくにはじまっていたのだ。流砂のただなかで、どうにもならない「独り性」を発揮して、しがない砂一粒として踏みとどまった者がいったいどれほどいたのか。であれば、「国民連合政府」樹立構想をいぶかしむ理由はいくらでもある。一朝ことあれば、たとえば、朝鮮有事ないし尖閣有事、はたまた国内テロがおきたら、「国民連合政府」は、ほどなくして「愛国連合政府」になりかねない。「反戦平和」はいつだって「愛国統一」に変位しうる。週刊金曜日だって怪しい。インタビュ・ードタキャン事件で、週刊金曜日は日本共産党にたいし抗議なんかしていない。一部編集部員をのぞき、さして怒りもしていない。電話で抗議したのは、ながくわたしを担当している週刊金曜日の外の編集者である。〝モサドの回し者〟のような人物にも平気で原稿を書かせて、ゼニになればなんでもやりそうな、一見、市民運動系の雑誌も、いまは流砂に流されっぱなしではないか。

日本共産党も週刊金曜日も、「独り」をナメてはいけない。言っておく。「独り」こそがもっともよくたたかうのだ。(
辺見庸「日録1」2015/11/20
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