キョウ 流砂

本記事は「今日の言葉 ――日本共産党機関紙しんぶん赤旗の納得できるじゅうぶんな理由もないわたしへのインタビューの無礼千万なドタキャン。「国民連合政府」樹立をよびかける政党のこれが〈道理〉というならわたしは嗤うしかない。」の続編としての辺見庸「日録1」(2015/11/16付)の全文転載です。私は共産党の「責任者」には辺見庸の問題提起をなんらかの魂胆をそれこそ「邪推」することなく言葉のままに真摯に受けとめて欲しいと思います。

辺見が辺見の担当編集者M氏から聞いたという伝聞によれば、M氏の抗議の電話に対応した共産党の「責任者」は「言いがかりをつけるのか」と言ったようです。言語道断というのはこういうことを言います。少なくとも共産党「上部」は礼節というものを知らない徒党の徒のようではあります。こういう徒がいう「国民連合政府」構想とはなんでしょう? 辺見ではありませんがちゃんちゃらおかしいというほかありません。

自分は「左翼」ではないというkojitakenさんはいまの共産党の評価を次のように言っています。「そもそも、もともと左翼からも批判される立場にある私のような人間が「共産党の右傾化」を懸念するようになるとは、なんという時代になったのだろうか」。
以下、辺見庸「日録1」(2015/11/16付)から(改行はBlog「みずき」)。

日本共産党機関紙しんぶん赤旗が、拙著『1★9★3★7』をめぐるインタビューを申しこんできながら、こちらがそれをOKし、インタビュー日時を提示したにもかかわらず、突如「中止」を通告してきた経緯は、むろん、釈然としない。だが、このような言い方は党機関の内部文書のように人間のにおいに欠ける。インタビューを申し込んできたK記者は、「辺見さん」と「われわれ」には考え方のちがいはあるけれども、『1★9★3★7』は赤旗紙上でもぜひ紹介したいので……と要請の理由を率直に話してくれたのだそうだ。

わたしはK記者の取材動機と発意を、わたしの担当編集者から聞いて、率直に好感をもった。わたしは同党と考え方がぜんぱんてきにことなる。しかし、これまで赤旗のインタビューを断ったことはない。極右紙ならいざしらず、とくに断る理由がないからである。『1★9★3★7』は、多喜二虐殺と官憲のかかわり、それについての国会でのやりとりなどについて、昔の赤旗の記事を参考にもしている。だから、そのこともふくんだうえでのインタビュー申し込みなのかな、とおもっていた。急きょ「中止」を連絡してきたK記者は極度に緊張し、泣きだしそうなほど声がふるえていたそうだ。突然のとりやめがK記者の意思ではなく、「上部からの指示」であることは歴然としていた。

わたしの担当編集者M君はかなり怒って、赤旗編集局に抗議の電話をした。すると、責任者は紙面スケジュール上の理由であるむねを冷然と言いはなったそうだ。そんなことは理由にならない、失礼ではないかと反ばくしたところ、言いがかりをつけるのか、〝邪推〟はやめろ……といった趣旨のことを傲然と告げられたという。この話はすべてM君からの伝聞であり、赤旗責任者からちょくせつに聞いたことではない。責任者はきょうにいたるも、ドタキャンの「弁明」をわたくしにしてきてはいない。わたしのほうも、共産党に謝ってほしい、釈明してほしいとは、かならずしもおもっていない。どのみちそうはしないだろうから、求めもしなかったのだ。

M君は先だって、お父さんを亡くしている。この1年でご両親にあいついで他界された。共産党にはあずかり知らぬ話だろう。だが、わたしにはとても大事な話だ。『1★9★3★7』の編集、校正の追い込み期間には、危篤状態だったお父上が、息子の仕事をわかっていたかのように、なんとかがんばって小康をたもってくれたのだった。『1★9★3★7』編集、校正をやっとのことで終えるのとほぼ同時に、お父さんは息をひきとった。日本共産党にはなんの関係もない話だろう。だが、インタビューがあったら、わたしはそのことを言おうとおもっていた。紙面に載ろうと載るまいと。一冊の本をこしらえるということは、ありとある人間の葛藤をためらわず、ひきずるということだ。
 
『1★9★3★7』は赤旗だけでなく志位和夫委員長らにも献本されているらしい。志位さんの読後感を聞いてみたかった。わたしは
中野重治を何冊か読んだことがある。『甲乙丙丁』も。中野はニッポンとニッポンジンそして共産党を知るうえで、たいへん重要な作家だ。赤旗編集局の諸君は、中野重治をどれほど読んでいるのだろう。中野重治についてなにをおもっているのだろう。M君はまだ怒っている。「辺見さんは赤塚不二夫の漫画『狂犬トロッキー』のようにおもわれているんじゃないですか。ハハハ」と冗談を言われた。怒りをまぎらわしているのだ。『狂犬トロッキー』をわたしは知らない。わたしが提示したインタビュー日時は明日朝、2015年11月17日午前11時半からだった。K記者にはなんの責任もない。志位さん、ぼくは前よりもっと憂うつになったよ。(辺見庸「日録1」2015/11/16
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