キョウ テレビ塔

【内灘闘争の経験と沖縄の県民分断策の類似性】
安保法制が公布されて、
第3次安倍内閣が発足しました。自衛隊を海外に派遣できる「一億総活躍社会」が売りなそうですが、なにやらきな臭い陣容です。70歳以上の方なら、「一億総動員」「一億一心」「進め一億火の玉だ」「一億玉砕、本土決戦」を想い出すでしょう。戦後生まれでも、戦争責任を曖昧にする「一億総懺悔」がありました。
いやこの一億の7000万人は日本人でしたが、3000万人は朝鮮半島・台湾・南洋諸島の人々で、本当は「敗戦」ではなく、日本の植民地支配から「解放」された民衆でした。政府から「一億」と呼びかけられた時は、要注意です。それを担当する大臣は、安倍首相の側近中の側近ばかり。今度の内閣の公明党議員を除く20人中19人の大臣が、「日本会議国会議員懇談会」「神道政治連盟国会議員懇談会」「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のいずれかに属する、右翼ナショナリズムの色濃い布陣です。(略)

中でも見え見えなのは、沖縄県選出
島尻安伊子参院議員の沖縄北方相就任。県民の総意を代表する翁長知事による沖縄米軍普天間基地(宜野湾市)の名護市辺野古移設計画への辺野古埋め立て承認取消と、その後の法廷闘争を見越した、補助金バラマキ・懐柔工作の担当です。(略)国は対抗措置として行政不服審査請求を行い、法廷に持ち込まれるでしょう。国会での安保法案強行採決の余韻がさめやらぬ9月21日、翁長知事はジュネーブの国連人権理事会で、「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」と世界に訴えました。この「自己決定権」はright to self-determination、つまり国連では「民族自決権」として、1945年の51か国での出発から、今日の194 か国まで、アジア・アフリカ・太平洋諸国の独立をうなが し、他方で、ソ連邦やユーゴスラビアの崩壊・分裂を促してきた、20世紀の基本理念の一つです。同じ席で、日本政府は辺野古移転は国内問題であり人権侵害はないと反論しましたが、沖縄県民の決意と声は、「独立をも辞さない」ものとして、国際社会に届いたはずです。

もともと
民主党系基地反対派から自民党に寝返った島尻を担当大臣に抜擢し、沖縄の民意を、カネと役職で分裂させる魂胆で、また、うまくいかなくても簡単に切り捨てることができる、という算段です。(略)島尻沖縄担当相の行く末も見えてきますが、それは、沖縄県民の自己決定権がどこまで貫かれ、沖縄の人々の基本的人権を、本土の私たちがどこまで自分の問題として尊重し守り抜くかにかかっています。(加藤哲郎 2015.10.15

【内灘闘争の経験】
中でも見え見えなのは、沖縄県選出島尻安伊子参院議員の沖縄北方相就任。(略)もともと民主党系基地反対派から自民党に寝返った島尻を担当大臣に抜擢し、沖縄の民意を、カネと役職で分裂させる魂胆で、また、うまくいかなくても簡単に切り捨てることができる、という算段です。この沖縄県民分断策、1952年サンフランシスコ講和条約・日米安保条約で独立直後の、第4次吉田自由党内閣時の石川県選出林屋亀次郎国務大臣の役回りと、そっくりです。
 
まだ朝鮮戦争が続く1952年秋、石川県金沢市近郊の内灘に米軍の試射場を設ける話が、米軍・日本政府から持ち込まれました。日本で初めての本格的な米軍基地反対運動、いわゆる内灘闘争の始まりです。Wikipediaには、「アメリカ軍の砲弾の需要が大きくなり日本国内のメーカーから納入される砲弾の性能を検査するための試射場が必要となった。試射場には長い海岸線をもつ場所が適しており、静岡県の御前崎周辺と、この内灘砂丘が候補となり、最終的に内灘に決定された。これに対して村議会は反対決議を行い、北陸鉄道労組は浅野川線で行われる資材搬入に対してストライキを行うなどの支援を実施した。政府は石川県選出の参議院議員林屋亀次郎を接収担当の国務大臣として説得に当たらせた。1953年の参議院選挙で、接収反対を掲げた井村徳二が林屋を破って当選したが、当時井村は金沢市片町で大和百貨店を経営しており、一方林屋も同市武蔵ヶ辻で同業の丸越百貨店を経営していたことから『武蔵大和の日本海決戦』という言葉で白熱した選挙戦となった」とあります。
 
当時金沢の保守系有力財界人「番町会」の中心にあった林屋亀次郎は、もともと吉田自由党より改進党に近かったのですが、大臣の椅子の誘惑にかられて、吉田首相の誘いに乗りました。大臣就任を祝ってもらうはずのお国入りは、「カネは1年、土地は万年」を掲げる内灘村の漁民・女性や、米軍射撃場反対のデモに取り囲まれました。53年4月の衆参両院選挙が、石川県民の「自己決定権」行使の機会となりました。米軍射撃場誘致反対の漁民や労働組合は、もともと林屋の「番町会」の一員で後輩ながら、改進党系で誘致反対の井村徳二を、参院石川地方区の対立候補に立てました。社会党・共産党も立候補を見送りこれを支持、井村が社長の北陸鉄道労組も反吉田・反林屋で井村を支持しました。結果は、井村21万、林屋19万で、大接戦の末に井村が勝利し、林屋は独立後初めての「現職大臣落選」の記録を残しました
 
内灘闘争は、この参院選反対派勝利で、全国から労組・学生・知識人が支援に訪れる、戦後初めての本格的基地闘争になり、砂川闘争に受け継がれました。社会学者清水幾太郎平和運動指導者として名声を獲得し、作家五木寛之が「内灘夫人」に描いた、あの内灘闘争です。闘争は、1957年のアメリカ軍撤収で終息しましたが、現地内灘町には歴史民俗資料館「風と砂の館」があり、今日でも「鉄板道路」や着弾地観測場遺跡などに、試射場時代の面影が残されています。(同上

Blog「みずき」:加藤哲郎さんは島尻沖縄担当相批判に関して上記で佐藤優の島尻批判記事を安易、無批判に引用していますが、私は佐藤優を信用しません。加藤哲郎さんは左翼の人ですが、リベラルだけでなく左翼にも見る眼の不確かさの問題、すなわち、リベラル、左翼の総右傾化の問題が及んでいるひとつの証左としてそのことを引用者として附記しておきます。

【山中人間話】

琉球放送と琉球朝日放送は同じビルに入っています。労働組合もあります。でも何かが違うような気がします。僕が仕事をしている東京とは。

Posted by 金平 茂紀 on 2015年10月14日
Blog「みずき」:上記で紹介されているNHK記事は「中国が申請した『南京事件』を巡る資料の『記憶遺産』への登録については、『中国国民の悲劇は理解できるが、同じようなことは多くの国にあり、2国間で解決すべきだ』」というロシア高官の発言も引用していますが、日本政府の「シベリア抑留」の記憶遺産登録は「『記憶遺産』の政治利用」ということはできても、「南京事件」の記憶遺産登録の問題は2国間の問題というよりもナチスの「ホロコースト」の問題と同様文字どおり「記憶遺産」とされるべき世界レベルでの人道問題です。両者を同列に論じることこそ「政治利用」的発言というべきではないか。 Blog「みずき」:下記の「スラップ訴訟」の問題につながる情報として。私は野間易通さんの言動と思想を厳しく批判する立ち位置にいます。
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