キョウ ミャンマー

「失われた25年」の意味を問い直す
 
TPPの実質的な妥結に関して、マスコミでは十年一日の如く「生産者への打撃が懸念されるが、消費者にはメリットがある」といった解説が罷り通っていて、ぼくを酷くイラつかせている。(略)「生産者」はその地域の生活者であり、「消費者」でもある。生産者が打撃を受ければ、当然、地域の消費は低迷し、地域経済が地盤沈下をしていく。それはブーメランのように「安さ」を求めた(他の地域も含めた)消費者のもとに帰っていく。
「生産者」と「消費者」を分けて考えるのが間違いだ。そして、それは「農業」に限ったことであるはずもない。非効率だという理由で地域の商店街は潰れ、客は大手スーパーに流れる。「賃金の高い日本でモノを作るのはあわない」という話になって生産拠点の海外移転が進み、日本国内では対抗上、さまざまな形で労働者の待遇が引き下げられることになる。(略)消費者=なんらかの分野での生産者だから、互いに再生産可能な対価を保証する「支えあい」の経済を壊してしまえば日本全体が地盤沈下する。(略)

ぼくは経済学者でもなければエコノミストでもない。あらゆる意味で「専門家」ではないのだが、なぜ経済の行く手をある程度的確に見通すことができたかといえば、常に「現場」で取材していたからだ。「現場」…生産の場である地方を丹念に見つめ続けていれば、自ずと「正解」が見えてくるものである。(略)日本のマスコミや経済の専門家(の多くが)ダメなのは、「バブル」をキチンと検証していないからだな。ぼくは同時代を30代の働き盛りで生きてきたから、それがどれだけ歪んだもので、日本経済をダメにしたかを経験的に知っている

最近、誰も言わなくなったが、疑いなく「失われた25年」なのだ。バブルをちゃんと総括してこなかったから、バブルの出来の悪い焼き直しに過ぎないアベノミクスに期待をかけたりするのだろう。金融を弄ったところでマネーゲームを加速するばかりで、実体経済が活性化したりしないのは当然のことである。それはあらゆる指標が雄弁に物語っているではないか。2000年代にぼくが日本列島の隅々に残る傷跡(経済のバブル化やそれと同根の問題である農業自由化や規制緩和の結果)を検証して歩いたように、10年もしたら後輩たちが…いま以上の荒廃にさらされた日本で死体の数を数えて歩くようなことになるのだろう。失敗は繰り返される…そう考えると虚しい。(
toriiyoshiki Twitter 2015年10月7日

【「失われた25年」の意味を問い直す】(大概)
TPPの実質的な妥結に関して、マスコミでは十年一日の如く「生産者への打撃が懸念されるが、消費者にはメリットがある」といった解説が罷り通っていて、ぼくを酷くイラつかせている。全く間違っている、というか勉強不足も甚だしい。偉そうなことをいうようだが、ぼくは25年前には気がついていた。当時、牛肉とオレンジの輸入自由化が政治課題で、同じような議論が罷り通っていた。テレビには「(輸入農産物が)安全なら安い方がいい」といった「消費者の声」が盛んに流れていた。北海道の生産地で取材を続けてきたぼくは、(失礼ながら)「こういうバカが日本をダメにする」と息巻いていた。なぜなら「生産者」はその地域の生活者であり、「消費者」でもある。生産者が打撃を受ければ、当然、地域の消費は低迷し、地域経済が地盤沈下をしていく。それはブーメランのように「安さ」を求めた(他の地域も含めた)消費者のもとに帰っていく。「生産者」と「消費者」を分けて考えるのが間違いだ。そして、それは「農業」に限ったことであるはずもない。非効率だという理由で地域の商店街は潰れ、客は大手スーパーに流れる。「賃金の高い日本でモノを作るのはあわない」という話になって生産拠点の海外移転が進み、日本国内では対抗上、さまざまな形で労働者の待遇が引き下げられることになる。「現場」で取材していたぼくにとって、それは火を見るよりも明らかなことだった。消費者=なんらかの分野での生産者だから、互いに再生産可能な対価を保証する「支えあい」の経済を壊してしまえば日本全体が地盤沈下する。…ぼくの予見がその通りになったことは、この25年の歴史が証明している。

日本経済が長期低迷にあえいでいる根底には、こうした地域経済の破壊と労働者の所得低下による消費不況がある。だからアベノミクスなんかカンフル注射にすらならない、必ず失敗すると「予見」していて(略)、これもどうやら的中したようだ。本当に偉そうなことをいうようだが、1990年代にぼくは農業の自由化が日本経済の地盤沈下を招くこと、当時のリゾート開発ブームが必ず失敗するだろうこと、経済改革の切り札であるかのように喧伝された「規制緩和」が弱肉強食の論理でしかないこと…次々と(いま思えば)予見的な番組を作っている。視聴率の低いドキュメンタリーやローカル番組でいくらそんなテーマで連作してみても、蟷螂の斧ですらあったかどうか…。その後の日本はぼくが懸念していた通りの方向に動き続けた。2000年代に入ってからは、そうした「予見された失敗」の傷跡を繰り返し検証していく仕事が中心になっていった。ぼくは経済学者でもなければエコノミストでもない。あらゆる意味で「専門家」ではないのだが、なぜ経済の行く手をある程度的確に見通すことができたかといえば、常に「現場」で取材していたからだ。「現場」…生産の場である地方を丹念に見つめ続けていれば、自ずと「正解」が見えてくるものである。

いまTPPに関して消費者と生産者をあたかも別ものであるかのように解説している若い(少なくともぼくより若いw…)記者たちがダメなのは「現場」を知らないからだ。ちょっと前の刑事ドラマの台詞ではないが、現場は永田町や霞が関にはない。日本経済の上澄みみたいな東京を取材していて何が判るか。日本のマスコミや経済の専門家(の多くが)ダメなのは、「バブル」をキチンと検証していないからだな。ぼくは同時代を30代の働き盛りで生きてきたから、それがどれだけ歪んだもので、日本経済をダメにしたかを経験的に知っている。最近、誰も言わなくなったが、疑いなく「失われた25年」なのだ。バブルをちゃんと総括してこなかったから、バブルの出来の悪い焼き直しに過ぎないアベノミクスに期待をかけたりするのだろう。金融を弄ったところでマネーゲームを加速するばかりで、実体経済が活性化したりしないのは当然のことである。それはあらゆる指標が雄弁に物語っているではないか。2000年代にぼくが日本列島の隅々に残る傷跡(経済のバブル化やそれと同根の問題である農業自由化や規制緩和の結果)を検証して歩いたように、10年もしたら後輩たちが…いま以上の荒廃にさらされた日本で死体の数を数えて歩くようなことになるのだろう。失敗は繰り返される…そう考えると虚しい。(
toriiyoshiki Twitter 2015年10月7日) 

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