テンキ9 
おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
                                          中野重治「歌」

【マグマの貯まった若者の意識は45年ぶりに目覚めた】
雨の試練”の中で安保法制は成立した。2015年の安保法制をめぐる争議とは、思うに60年、70年安保闘争につづく”安保闘争”だったと言えるだろう。(略)今回の15年安保闘争は規模はその前の安保闘争とくらべ、規模は小さかったが取り決められたその内容は実質的な憲法九条改正であり、さらにアメリカの戦争に加担という意味からすれば60年、70年安保より重要な局面だったと思う。
そして雨の中、有り体に言えば闘争は60年、70年安保闘争と同じように敗北を喫した(というより勝負にならない闘いだったと言える)わけだが、私は今回運動に参加した若者と会ったおりにひとつだけ伝えたいことがある。それは過去の二の舞を踏むなということである。ご承知のように70年安保闘争が敗北に終わって世の中に蔓延した気分は「しらけ」だった。そのしらけの気分と行動様式は(略)井上陽水の歌「傘がない」(今日の政治問題より恋人に会うための傘がないことの方が問題と歌った)に象徴される。さらには「私の人生暗かった。どうすりゃいいのよこの私」と歌った藤圭子の「夢は夜ひらく」。あるいは昭和枯れススキ。吉田拓郎の結婚しようよ。などなど、時代には厭世気分が横溢する。安保闘争世代と言えば団塊の世代と重なるわけだが、この日本の政治的危機に際し、その世代を象徴する作家や表現者、村上春樹、沢木耕太郎、糸井重里など、反対であれ賛成であれ一切政治問題に触れないのは70年安保トラウマを引きずっているという見方も出来るだろう(団塊の世代にも15年安保闘争に参加した方はたくさんいらっしゃるが)。

この安保闘争世代の厭世としらけという時代気分は後年までトラウマのごとく日本人の無意識の中に浸透し、その時代気分はのちの世代の若者の政治問題への無関心にまで引き継がれたと私は見ている。だが、秘密保護法、憲法改正、集団的自衛権のみならず、若者の過酷な雇用制度、年金への不安などによってマグマの貯まった若者の意識は45年ぶりに目覚めた。その意味においてこの15年安保闘争の敗北に際し、過去の轍を踏むなと言いたいのだ。もう「傘がない」は歌うな、と。過去の二の舞を踏むことなく、自からのためにも後に続く世代のためにも、君たちは別の歌を歌わなければならない
藤原新也「Shinya talk」2015/09/19

Blog「みずき」:藤原新也さんの「もう『傘がない』は歌うな」というフレーズから自然と「おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな」という中野重治の「歌」の一節を思い出しました。藤原さんもおそらく念頭にあったのではないか? 「歌」は中野が戦前に天皇制権力という強権に屈服しそうになったときにその挫折の経験から立ち上がろうとしたときの決意の詩でした。「おまえは歌うな/おまえは赤まんまの花やとんぼの羽根を歌うな/風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな/すべてのひよわなもの/すべてのうそうそとしたもの/すべての物憂げなものを撥(はじ)き去れ/すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ/もっぱら正直のところを/腹の足しになるところを/胸元を突き上げて来るぎりぎりのところを歌え」。

【一歩後退・二歩前進へ】
「平和国家」から「戦争ができる国」へ。9月19日、日本は戦後70年にして歴史的な大転換点を越えた。安倍政権と自民・公明両党が、国民多数の声を無視して安保関連法案を17日の参院特別特別委で強行可決、続いて強行開会した参院本会議で19日未明に可決、成立させたからである。これで、集団的自衛権行使が法的根拠を与えられ、自衛隊が米軍とともに戦う道が開かれた。安倍政権は、これに乗じて、最終の目標である「明文改憲」に着手するものと思われる。ここに至って国民の多数派に求められるのは、これを阻むための持続的な運動だ。(略)安倍政権が集団的自衛権行使を遂行するために国会へ提出した安保関連法案は、憲法の専門家である憲法学者や、元最高裁長官、元最高裁判事、元法制局長官らによって9条の規定に違反する違憲法案であると繰り返し指摘された。にもかかわらず、安倍政権はこれらの指摘にまともに答えようとせず、法案を強行的なやり方によって成立させた。こうした政治的行為は近代国家の規範である立憲主義を根底からないがしろにするものであり、まさに「クーデター」と呼ぶにふさわしい。日本は、こんな無理が公然とまかり通る野蛮な国になってしまったのかとあ然とせざるをえない。9月19日は、一国のトップが米国への約束を優先して民主主義を踏みにじった日として長く記憶されることになるだろう。(略)

安保関連法案に反対する運動に取り組んできた市民たちにとって、今回の事態は敗北である。いうなれば、「一歩後退」だ。しかし、もし、来年の参院選で自民、公明両党の議席を後退させて安倍首相の狙いを打ち砕くことができれば、市民側にとっては「一歩前進」である。さらに、市民の運動によって将来、安保関連法を廃止できる内閣を誕生させることができれば「二歩前進」となる。それには、安倍政権と自民、公明両党の暴挙に対する怒りを、来年の参院選まで持続することが必要だ。(略)安保関連法に対する違憲訴訟も各地で始まるにちがいない。これを支援してゆくことも不可欠だ。そのためにも息の長い運動が求められる。(
岩垂弘「リベラル21」2015.09.20

【山中人間話】

Blog「みずき」:井上陽水や藤圭子が歌っていた時代にはカルメン・マキという歌手もいました。私は彼女の「時には母のない子のように」が好きでした。ここでは以下のフェイスブックから「野に咲く花の名前は知らない」と「死んだ男の残したものは」をあげておきます。これも私にとっては懐かしい歌です。もう40年ほど前、福岡と大分の県境の日田の山奥でカルメン・マキのコンサートがありました。ちょうど妻の実家のある日田に帰省していたときで私も聴きに出かけました。

野に咲く花の名前は知らない だけども野に咲く花が好き 帽子にいっぱい摘みゆけば なぜか涙が 涙が出るの 戦争の日を何も知らない だけども私に父はいない 父を想えば ああ荒野に 赤い夕陽が 夕陽が沈む 戦で死んだ悲しい父さ...

Posted by 内海 信彦  on 2015年9月19日

死んだ男の残したものはひとりの妻と ひとりの子ども他には何も残さなかった墓石ひとつ残さなかった 死んだ女の残したものはしおれた花と ひとりの子ども他には何も残さなかった着もの一枚残さなかった 死んだ子どもの残したものは...

Posted by 内海 信彦  on 2015年9月19日
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