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浅井基文さん(元外交官、政治学者)と保立道久さん(東京大学史料編纂所名誉教授、歴史学者)のおふたりの碩学が昨日の安倍政権の安保関連法強行採決を受けて、それぞれの知見からの現状分析を試みたうえで今後の安保関連法反対運動の取り組み方についてご自身のブログにそれぞれの考え方を発信されています。私はさすが政治問題に造詣の深い碩学ならではの本質的なサジェスチョンであろうと思います。「今日の言葉」としておふたりの問題提起を記録しておきます。
【「日本政治のあり方を根本的に問い直す」ということ】
この文章では、法案が「成立」した後の私たち主権者の認識・姿勢のあり方に力点を置いて書きました。(略)最初に自己批判を込めて正直に言うが、安倍首相が米議会で安保法制を今夏までに成立させると公言した時、私は激しい憤りを覚えつつも、国内世論状況に鑑みれば、恐らく彼の発言どおりに事が運ばれるだろうという悲観的な判断に傾かざるを得なかった。しかし、衆議院の公聴会で、自民党推薦を含む3人の憲法学者が明確に安保法制(及びそのもとにある昨年8月の、集団的自衛権行使を合憲とする閣議決定)を違憲と断じたことを契機として反対運動が急速に盛り上がり、安倍首相子飼いの国会議員の「失言」が相次いだこともあって、反対運動は急速に国民的運動として成長した。これほどに大規模な運動は1960年の安保闘争以来である。しかも、安保闘争は労組、学生運動による組織主導の性格が強かったのに対して、今回の国民的運動は個人の自発的参加によって支えられている点で、日本のデモクラシーにとって画期的な意味をもっている。けだし、非政治的市民の政治参加(丸山眞男)によってのみ、デモクラシーははじめてデモクラシーたり得るからだ。

しかし、私は今回の運動のあり方に関して少なくとも以下の4つの問題を提起する必要があると感じている。それはすぐれて、今回の運動が一過性のものに終わって欲しくないからであり、さらに言えば、日本政治のあり方そのものを問い直し、自公政治に引導を渡す主権者・国民の政治意思を表明するまでに成長を遂げて欲しいからである。第一、安保法制及びそのもとにある集団的自衛権行使の本質について明確な認識を具える運動である必要があるということ。(略)第二、安保法制の成立・不成立にかかわらず、憲法違反の閣議決定を無効にすることによって第9条の原状回復を行い、立憲主義の根幹を擁護するという国民的課題は厳然としてあるということ。(略)第三、安保法制・集団的自衛権行使の国際的含意について、明確な認識を具えなければならないということ。(略)第四、安保法制及び集団的自衛権行使は、特に東アジアの平和と安定に直結する重大な問題であるということ。(略)元々戦前回帰・軍事大国化志向の強烈な安倍首相は、対米軍事協力の枠組みの中で自らの野心を実現しようとしている。その正当化材料として利用するのが「中国脅威論」である。大国・中国に違和感が強い国民心理に「中国脅威論」は滲透しやすい。したがって、安保法制・集団的自衛権行使の日本は、否応なしに米日対中国の軍事的対峙構造を作り出すことになる。(略)

今回の安保法制反対の国民運動は、日本政治のあり方を根本的に問い直す、粘り強さが求められる運動として自らを鍛え上げていく必要があると確信する。そのような闘いを経験したことがない私たちにとって、確かに簡単なことではない。しかし、辺野古における粘り強い闘いは正に私たちにお手本を示している。私たちもいい加減、「お上」の言いなりになる悪習と決別しようではないか。(
浅井基文のページ 2015.09.19

【安倍政権の「暴走」を規定しているもの】
採決劇なるものは茶番である。(略)安部政権の行動を「
反知性主義」と批判する向きがある。それはその通りであろう。しかし、それは文脈によっては、やや知識人が、自己の知性を誇るというニュアンスがあって、私は好まない。何よりも、そこで集団的に国家機構を使って謀議が行われていることを軽視できないのである。それは反知性ということを越えている。しかもその謀議は日本という国家とアメリカという国家の公的な関係ではない。日米政財界および軍部の一部に巣くう安保利権集団といわれる集団を地盤にしているというほかない。アーミテージはいわゆる ジャパンハンドラーにすぎず、アメリカでは政治家としてみとめられていないという。

経団連は9月10日、武器など防衛装備品の輸出を「国家戦略として推進すべきだ」という
提言を公表し、安全保障関連法案の成立をみこんで、「防衛産業の役割は一層高まり、その基盤の維持・強化には中長期的な展望が必要」として、10月に発足する防衛装備庁に対する先行的要望をまとめたということである。軍部、財界の一部が、全体として動いていることは明らかである。まず必要なことは、多くの人がその実態を知り、それがどういうことかを考えることであろう。国家機構・軍部・財界の一部がこういう人びとによって占拠されているのである。私は、これは暴走としかいえないものであると思う。(略)しかも、この暴走を規定しているのは国家間の公的な関係ではなくして、アメリカと日本という世界資本主義の二大国の隙間に巣くっている利権集団であるから、そこには長期的な意思そのものが宿りようがない。

彼らにとっては、今が千載一遇の好機にみえるのであろう。(略)自民党は原発事故に責任のある政党である。また沖縄の耐えられない基地負担の放置にも責任のある政党である。様々なところで責任を問われることが目に見えており、その意味でも追いつめられていることを彼らは実感している。いま、アメリカへの軍事的協力と従属に進まなければ、機会はないという判断である。しかし、これは蛸が自分の足を食うようなものだ。見通しがない集団の動きによって国がひっかきまわされるのは止めなければならない。安保法制の問題は、すべての人びとの仕事と生活に必然的にかかわってくる問題である。この法案は日本の社会と国家にとって危険・無用な存在であって、廃案にするべきものであるというほかない。(
保立道久の研究雑記 2015年9月18日
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