ナミ 

【難民の「受け入れ」はドイツ社会の「善意」か?】
日本は、
シリア難民の問題から非常に遠いところにいます。しかし、この問題には、中東諸国の政府の圧政と腐敗、それを背後から支える米英仏露などの大国が関わり、実にグローバルな問題の縮図です。日本として何をすべきかを考えるなら、現実にこの問題にさらされているヨーロッパ諸国の対応を良し悪しで判断するのではなく、何が背景にあって、そういう対応をしているのか、そこから私達が何を学べるのかを冷静に考えることです。
ドイツが庇護請求権を世界の人々に認めるのはドイツ社会が善意に溢れているからではない。過去にユダヤを始め多くの人々の身に起こした罪への反省から西ドイツ時代のボン基本法にこの条項を入れた。時代は移り、庇護請求権に厳しくなっているが、それでもドイツは難民を受け入れる。しかし、ドイツ社会の中に移民や難民、特に異なる価値体系の中に生きようとするムスリムへの敵意が増幅されてきたことは過去半世紀の歴史を見れば明らか。両者のせめぎ合いの中でドイツがどうなっていくのかを注視し、必要なことを学びとるべきだと思う。(略)

移民がドイツに増えたのは、といっても、ドイツは「移民」という言葉さえ長らく使わなかった。ガストアルバイターと言い続けた。世代が代わった90年代でさえそうだった。コール政権の頃まで「ドイツは移民国ではない」は保守派の合言葉だった。9.11の後、ドイツの民族差別は、見事なまでにイスラム教徒への差別感情にすり替わった。それ以前、トルコ人出て行け!外人出て行け!はレプブリカーナーというネオナチのスローガンだったが、これ以降、普通の市民達でさえ、ドイツはキリスト教の国なんだからムスリムは要らない。これ以上、モスクは要らないと口々に言い始めた。人種や民族の多様性をようやく認める兆しが出てくると、今度は、合法的な差別として反イスラムを公然と主張する人が増えたのである。

ドイツ連銀ティロ・ザラツィンが「ドイツが消える」を書いてムスリムの増加を批判したのは2010年のこと。それから5年で、シリア難民を前にした途端「おもてなしの文化」が生まれるとは思えない。多文化共生に前向きな市民を皮肉る意図など全くない。しかし、ドイツという国が異文化としての難民を歓迎する状況にあるとは思えない。シリア難民の多くがムスリムだと言う現実を知った時にそれは明らかになる。シリアの人びとは、難民キャンプに収容され小遣いを渡される生活に甘んじない。トルコで彼らの話を聞いていると、ドイツには自由があるから行きたいと言う。誤解を招くかもしれないがシリア人には商人的性格が強い。彼らはドイツで難民として処遇されることを望んでいるのではない。私は、差別や抑圧が衝突をもたらし、暴力の応酬に陥り、そこに大国が介入し、人の命が奪われていくことを、できるだけ減らすには何が必要かを自分の研究課題としている。だから、対立を生じさせる「芽」に対しては、それが外国語で書かれていようと日本語で書かれていようと批判する。(内藤正典Twitter 2015年9月8~9日

【「68年」も広範な大衆が決起した】
小熊さん、「歴史社会学者」なら、もっと生きた歴史・客観的歴史を調べて発言されたらいかがか? 小熊氏は「学生ばかりだった『68年』と違い、老若男女あらゆる層が抗議に参加」と戦争法案反対運動について言うが、「68年」(70年闘争)は、学生(高校生を含む)ばかりだけでなく、国鉄・全逓・民間など反戦派労働者、障がい者・部落・沖縄(在本土)・在日・被爆者2世・アイヌなどの被差別大衆、そして女性解放、三里塚農民等の地域住民・市民運動、反原発・反公害・反基地運動など、層としての青年を中心に広範な大衆が決起した、戦後初めての長期の大衆運動時代だった(10年単位の運動。だから、自衛隊員たちも起ち上がった)。(
小西誠 2015年9月9日

(思想の地層)国会前を埋めるもの 日常が崩れゆく危機感 小熊英二:朝日新聞デジタル

【山中人間話】

上記の内藤正典さんの「今日の言葉」での問題提起に対して金平茂紀記者の視点はいささかノーテンキ、とは私の感想です。名記者金平さんにしてこの言、ということです。いまのジャーナリズムのありさまの現状を示しているというべきか。

きょうもミュンヘンには大勢の難民が流入していた。メルケル政権の姿勢は非常にはっきりしている。「受容」だ。1年に50万人を受けいれると言う。なぜに、こうも違うのか。僕らの国とは。

Posted by 金平 茂紀 on 2015年9月8日
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