一昨日の8月23日、参院で審議中の「安保法制」法案に反対する市民や学生らが全国各地で一斉に抗議活動を行ったことは各メディアにも大きく取り上げられて同法案に反対する市民を勇気づけましたが、その運動の渦中に同運動の東京行動を実況するシールズのツイッター上にひとりの高校生の街宣演説を捏造して反(脱)原発に関するデマが流されるという事件が起きました。
シールズのツイッター上に流されたひとりの高校生の街宣演説の内容は次のようなものです。
 
・おがわそらさん「5年前の福島の原発事故の際、多くの人が被爆し避難を余儀なくされました。僕は被爆したうちの1人です。すでに甲状腺ガンの症状は出ています。原発から得られる物は電力だけではなく、処理しきれない放射線の恐さを、危険さを、日本中が知りました」(8月23日posted at 17:48:58) おがわそら「原発はダメだと、もう使わないと、僕達は決め、そして、止めました。あれから五年。川内原発が再稼働してしまいました。あの時に日本中が危険だと知った。なのにまだ稼働させようとするんですか?誰のためですか?」(8月23日posted at 17:49:36)

・おがわそらさん「もし日本国民の為と考えているのなら安倍さん、今すぐ再稼働やめてください。いくら放射能はコントロール出来ると豪語した総理でも、自然はコントロール出来ません。原発事故により怖い思いをする人をもう出さないようもう一度国民の力で止めましょう」(8月23日posted at 17:50:54)

・おがわそらさん「そしてもっと前の、70年前多くの尊い命が奪われ、また奪った第二次世界大戦。この戦争の底知れない悲しみ、苦しみを絶対に忘れない為に、この惨劇が2度と起こることの無いように、リアルな戦争の恐ろしさを知っている人々はある物を僕達に残しました」(8月23日posted at 17:51:56)


上記のツイートはすでに削除されていますが、
こちらのツイログで確認することができます。 しかし、実際のひとりの高校生の演説内容は以下のようなものです(この発言内容も動画で確認することができます)。
 
・4年前の福島原発事故の際、多くの人が被曝し、避難を余儀なくされました。僕は当時小学4年生でした。毎日どろんこになるまでサッカーをするのが好きでした。しかし、僕の住んでいる町がホットスポットとなってしまいました。大好きなサッカーができなくなってしまいました。そして、友達と別れ、転校することになりました。大好きなふるさとから離れることはとてもつらかったです。当時は正直母親を恨みました。でも今思うと母親も子供を守るためにつらい選択をしたのだなと、そう思います。そして、それほど原発は日常や未来、夢を奪うものだと僕たちは知りました。

シールズのツイッター上に流された高校生の演説内容は聞き間違いというレベルではなく、完全な捏造といわなければならないでしょう。高校生の演説には「僕は被爆したうちの1人」「甲状腺ガンの症状は出ています」などの発言はありません。また、「原発から得られる物は電力だけではなく、処理しきれない放射線の恐さを、危険さを、日本中が知りました」という発言もありません。この部分については高校生は次のように発言しています。「それほど原発は日常や未来、夢を奪うものだと僕たちは知りました」、と。「処理しきれない放射線の恐さを、危険さを」などと高校生は言っていませんし、「日本中が」とも言っていません。シールズのツイッター上の高校生の発言はまったく捏造であることは明らかです。

こうしたデマ(ウソ)まで捏造してこのシールズのツイッター広報担当者はなにを訴えたいのでしょう? 放射能の危険性を訴えたかったのだとしても当たり前のことですがデマによって人を啓蒙することなどできません。逆に信頼を失うだけです。私は少し前にやはりツイッター上で「反原発デマ」の弊害性、病害性について口を極めて批判していたtoriiyoshikiさん(NHK・ETVディレクター)のツイートを思い出します。すでにご紹介しているものですがtoriiyoshikiさんのその弾劾ツイートは次のようなものでした。



今回のシールズの「福島差別」につながるデマについても当然のことながら矢のような批判が生じています。以下は、その中のひとつ。



しかし、こうした人々の批判に真摯に応えることなく、また、応えようとせず、シールズは今日になって問題になっているくだんのツイートを削除するという断りのツイートを発信しました。



上記のシールズのツイートは誰が見ても明らかなうそとわかる体のものです。なぜくだんのツイートの捏造が判明したので削除することにしましたと率直に表明し、謝罪しようとしないのでしょう? 上記の福島県民の林さんは以下のような怒りのツイートも発信しています。



しかしながら、ここでも、シールズ応援団を自称する野間易通氏は正当な批判者を逆に批判する居直りのツイートを発信して反省しようとしません。以下は、「被曝したうちの一人が甲状腺に症状が出た、と言っただけで、検証もせずに叩きに行く人々」というツイート(「被曝したうちの一人」「甲状腺に症状が出た」発言は捏造であることは私としても上記で証明しています。「検証もせずに」とはおのれの態度でしかありません)を無批判にリツイートした上で、そのおためごかしというほかないリツイートを前提にして正当な批判者をさらに悪罵、誹謗中傷する野間氏のツイート。


民主主義に逆行する驚くべき姿勢といわなければならないでしょう。 林さんはそうして自己の運動を正当化し続ける野間氏を以下のようにも批判しています。



以上、高校生の街宣演説の捏造同事件とそれに対するシールズ本部(広報)とシールズ応援団を自称する野間易通氏の対応の問題の2例を示しましたが、シールズにはいま真摯な反省こそが求められていると私は思います。こうした民主主義の基本的なことについて批判されても応えようとしない運動体は所詮長続きはしないでしょう。

最後に内田樹さんが「学者の会」を代表して先々日の8月23日のSEALDsKANSAI京都集会で自身の学生時代を振り返ってシールズへ贈る言葉とした以下のエールの言葉を添えておきます。内田さんのシールズへのエールは皮肉にも逆にシールズのいまの現状に対する批判になっていないか? すなわち、シールズ広報の担当者のひとりが高校生の当日の街宣演説を捏造し、その捏造が問題化するとさらにまた「本人の意図と反してフルネームが掲載されてしまっていたため」などといううその上塗りを重ねて削除してごまかそうとする。その姿勢は「自分が日常的に、何の気負いもなく語れるような政治的意見」ということはできないはずだ、ということです。

僕が学生時代に経験した政治闘争から学んだことのひとつは、政治闘争は「持続」しなければならないということでした。いっときの高揚感や興奮によって、夢中になって、寝食を忘れて、家族との語らいも、友だちとの付き合いも、大学での勉強や、日々のふつうの学生生活を犠牲にして行う政治活動は長続きしない。持続できない運動は弱い。そのことを僕はかつて学びました。そのときに得た教訓は「自分が日常的に、何の気負いもなく語れるような政治的意見でなければ、どんなときにも、どんな抑圧や規制にも耐えて、持ち続けることはできない」ということでした。それこそ、朝起きて歯を磨いて、顔を洗って、ご飯を食べて、というような日常的なルーティンのなかに組み込まれて、自分にとってごく自然で、当たり前のもの、呼吸するように自然に口から出てくるような言葉だけが、どのように歴史的条件が変わっても、風雪に耐えて語り続けられる。「呼吸するように語る言葉」とは「それを口にすることを止めたら自分自身が死んでしまう言葉」だからです。(内田樹の研究室 2015.08.24
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