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共同通信社が14、15日に実施した世論調査によれば、戦後70年に当たっての安倍談話を「評価する」との回答は44・2%だったのに対して、「評価しない」は37・0%。内閣支持率は43・2%で、前回7月の37・7%から5・5ポイント上昇。逆に内閣不支持率は46・4%で、前回7月の51・6%から5・2%下降という結果が出ています。この世論調査の結果から見れば、安倍談話に「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「おわび」の4つのキーワードを急遽盛り込むことにした安倍内閣のネライはひとまず奏功したと見ることができるでしょう。 
安倍談話がいかに騙しのテクニックを駆使して虚構されたものであるかということについては、この一両日、私も、さまざまな論者、批評者の論を引いて傍証してきました。「安倍さまのNHK」と産経、読売を除くジャーナリズムとしてのメディアと市民メディア(主にフェイスブックやツイッター、ブログ)では圧倒的に安倍批判が勝っていました。にもかかわらず、上記の結果です。

この世論調査の結果をどう見るか。資本家、政治家流の「数は力なり」の観点から見れば、NHK、産経、読売など最大手メディアの高い購読率と視聴率、番組独占力(14日の「ニュース・ウォッチ9」は44分間という時間をとって
安倍首相独演会を演出したということです)にモノをいわせた物量作戦に負けたということになるのでしょうし、そのとおりだと私も思いますが、「世間」という曲者の下記のような「善良」な声々も内閣支持率アップの無視できない大きな要因としてあるのではないか。


こうした「善良」な市民の声にどう応えるべきか。その打開の道を私たちは考える必要があるでしょう。その打開のひとつの道を示すものとして哲学者、内田樹の以下の思索は「考えるヒント」になるのではないか(内田樹の「明仁天皇=平和主義者」等々の論には私はまったく賛成しがたいところがありますが、それはそれとして)。



映画監督、想田和弘の下記の思索も「考えるヒント」として有意義です(ただし、想田和弘の思想についても、私は内田樹と同様の懸念を持っています。しかし、これも、それはそれとして)。



最後に詩人で早大教授(フランス思想)の守中高明の「反省」ということについての省察をあげておきます。守中は「この国の首相」がとりうる朝鮮半島の人々、中国の人々、かつて侵略し植民地支配下においたその他の東アジア各地域の人々に対する「反省」の所作のありようについて次のように述べています。

「この国の首相が朝鮮半島の人々、中国の人々、そしてかつて侵略し植民地支配下においたその他の東アジア各地域の人々に対して行うべきなのは、赦しを想定しない謝罪、赦されることの可能性を考察の外に置いた、エコノミー外の、絶対的謝罪である。これが現在の東アジアの中で日本という国家が取り得る、取るべき唯一の歴史的―倫理的行為である。」(ジャック・デリダ著『赦すこと――赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの』訳者解説)

ただ、これまでの歴代内閣の歴史認識は踏襲するって言っちゃってるからどう文句の附けようもないんだよな」というもうひとつの世間の認識については、15日付けの「今日の言葉」でも引用していますが、ジャーナリストの田畑光永日本ジャーナリスト会議(JCJ)の以下の説を対置しておこうと思います。「文句の附けようもない」という問題提起者を説得することができるかどうか?

「簡単な例からいけば、村山、小泉両談話で共通に使われた4つのキーワード(マスコミの命名だが)、つまり「侵略」、「植民地支配」、「痛切な反省」、「こころからのお詫び」が入るかどうかという内外の関心には、なるほど「全部入れました」と答えられるようになっている。しかし、談話を読めば明らかなように、最初の2つは今後そういうことがあってはならないという文脈での使用である。「侵略しました」、「植民地支配をしました」と言っているわけではない。後の2つは「先の大戦における行い」について「我が国」はその言葉を表明してきたという文章である。敗戦70周年時の首相として反省し、お詫びを言っているわけではない。そして相手は「インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々」である。結局、この4つの言葉の使い方で分かるのは、まず安倍首相は日本が「侵略しました」「植民地支配をしました」とは言いたくない。第2に、ほかの国々と並べることで中国、韓国を特別扱いしたくない、はっきり言えば中国、韓国に頭を下げるのではない、ということだ。隠すより現るる、とはこのことだ。このくだりの最後に、「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」とあるが、村山、小泉両談話は、日本の行った「侵略」、「植民地支配」に「反省」と「お詫び」を表明したのだから、この安倍談話を「こうした歴代内閣の立場」と言うのは明白なすり替えである。村山、小泉両談話は今後、安倍談話に吸収されてしまう恐れがある。」(田畑光永「小賢しさの限りを尽くした安倍談話」2015.08.15) 

「3300字に及ぶ戦後70年「安倍談話」の冗漫さは極まる。発表までに二転三転、迷走したあげく「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「おわび」の言葉だけは盛り込んだ。それも傍観者的に引用する形で、脈絡はなく、覚悟も心もなし。「私は」の主語がないどころか、慰安婦問題への記述もなく、かつ日本の加害責任には全く触れず。首相自らの歴史認識はあいまいにしたままだ。「どのような行為が侵略に当たるかは歴史家の議論に委ねるべきだ」などと、いまだに強弁する始末。率直に加害の過去を反省した村山・小泉両談話の姿勢とは大違い。両談話は「私は」という主語をはっきり使い、謝罪意思を明確にした。だが「安倍談話」には、それがない。憲法の「け」の字もない。世界に誇るべき「憲法9条」の、日本の平和主義と不戦の誓いは、今こそ広く世界にアピールすべきではないか。15日の戦没者追悼式でも、安倍首相は3年続けて触れず、加害責任への言及も避け、天皇陛下の「深い反省」という言葉との隔たりは際立つ。さらに「積極的平和主義」の美名をかぶせて、「戦争法案」を強行するのは、どういう神経だ。これでは言葉の裏から鎧が透けて見える。世界から鋭く批判されるのは当然だ。」(Daily JCJ【今週の風考計】2015年8月16日) 

なお、安倍首相の「戦後70年談話」全文は以下。 http://www.sankei.com/politics/print/150814/plt1508140016-c.html
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