ヤナギラン
ヤナギラン
【鄭さんバッシングの背景としての日本社会の「愛国」の風景】
「人」が「国民」に変えられていたことに私はまったく気がついていませんでした。これは
古関彰一さんが名著『日本国憲法の誕生』(岩波現代文庫)で指摘している、アメリカが草案した憲法の中の人権に関する部分で、peopleを敢えて日本政府は「人」ではなく「国民」にして、在日外国人の人権を意図的に排除したというくだりを思い出させてくれます。古関さんは2013年に『安全保障とは何かー国家から人間へ』(岩波書店)を書いて、国家を中心にするのではなく、世界は21世紀になって、人間の貧困や「恐怖からの自由」を中心にする考え方になってきているという解説をしています。「人間の安全保障は、国家安全保障の下での国権であった安全保障を個人中心に変化させることによって、安全保障を人権として、かつ、各国の憲法にとって国民権であった人権を本来の人権に創り替えることを可能にしている」(同著 P160)。しかし福島事故から1年経って、日本政府は自公民の賛同を得て原子力基本法を「改悪」しました。そこには核兵器による国家安全保障を前提にして、あくまでも「平和利用の下」に原発を再稼働していくという強い意思を見ることができます。それが川内をはじめとした再稼働の動きに連動し、また「戦争法案」の動きにつながってきているのです。私が危惧するのは、戦争責任を曖昧にしたままのSEALDs批判をした韓国人研究者に対する徹底した攻撃をかけた、ヘイトスピーチに物理的に対抗する「しばき隊」リーダーたちの動きです。若い人が安倍政権に反対する行動をとりはじめたという評価がめだちますが、日本社会が全体として「愛国的」になってきており、原子力基本法の改正にあたってもマスコミは、「人」から「国民」への書き換えを伝えず、「国民」を当然視したところに、私は不安を感じるのです。残念ながら、私たちのメーカー訴訟の訴状の中にも、この「国民」を強調する流れがはっきりと読み取れます。日本の住民は日本国籍者だけでなく、外国人でもあるのです。(崔 勝久「OCHLOS」2015年8月8日

【山中人間話】

封印された原爆報告書
永原 純さんが新しい写真2枚を追加しました

■「日の丸」掲げて、右へ右へ 
「日の丸」は地名としての「日本」ではなく、国号としての「日本」(日本國)のシンボルとして使用されている。確実にナショナリズムに埋没し、意図せずにその旗振り役を演じている。
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