ノンフィクション作家で元『朝日ソノラマ』編集者の保阪正康と同じく作家で元『文藝春秋』編集者の半藤一利はともに「リベラル」の作家としていまいわゆるリベラル・左派陣営の間でもっとも人気のある(といってよい)作家です。彼らがもともと保守の論客であったことは周知の事実ですが、いまはメディアからも左派政党からもまったく「リベラル」の論客として遇される扱いを受けています。
この点について、辺見庸は2015年2月18日付けの「日録」で「これはnew normal(「新たなる常態」)みたひだが、じつは、戦前、戦中からずっとおんなじ。といふか、このたぐいのnew normalは、むしろ戦前、戦中特有の現象である。いまはまちがひなく戦前であり、広義には、世界戦争のさなかである。(略)てっきり「右」系の方かとばかりおもっていた半藤さんが、いまや「左」っぽくみえたりするんだから、足下の座標がすっかりかわったのだ」という悲嘆のような感想を述べています。
 
辺見は「足下の座標がすっかりかわった」ところに保阪、半藤両氏がリベラル・左派層に「リベラル」の論客として遇される契機を見ているのですが、保阪、半藤両作家の本質的な「反動」を見逃さない眼はまったく消失したわけではありません。
 
そのうちのひとりの中嶋啓明さん(「人権と報道・連絡会」会員、通信社記者)は保阪の「反動」の本質を次のように記しています。
 
この間、気になるのが、ノンフィクション作家・保阪正康の言説だ。「昭和天皇実録」の公刊以来、保阪はその分析に精力を注いでいる。すでに何冊かの著作をものにし、『サンデー毎日』誌上では毎週、「昭和天皇実録 表と裏を視る」と題した連載を続けている。確かにこの分野で取材を重ねてきた“第一人者”の一人として、その分析には参考になる点があるのも事実だ。だが、その主張の基調は、「裕仁=平和主義者」論の再確認でしかない。軍部、陸軍にないがしろにされて軍事情報から遠ざけられ、その暴走に頭を痛めながらも立憲主義を貫いて、ひたすら平和を祈念し続けた裕仁。戦後一貫して強調され、裕仁死去の際には盛んに繰り返されたそんな主張を、ここに来て保阪はあらためて民衆意識の中により深く浸透させるための役割を、率先して買って出ているのだ。
 
テロの時代 ファシズムの前哨戦 天皇の憂慮」とサブタイトルに掲げ、6月28日号に掲載された連載の第36回で保阪は「実録の記述を見ていくと、天皇が満州事変以後どのような態度を貫いているか、そこにどういう考え方が垣間見えるのかを語っている。読む側としてまとめてみると以下のように整理できる」として、次のように箇条書きしている。すなわち、
 
(一)天皇は自らの信条や考えを牧野や西園寺に伝え、直接に大権を委託している者には伝えない。
(二)政治指導者・軍事指導者には心底からの信を置いていない。
(三)国際社会の孤立を恐れ、軍事行動に一定の歯止めをかけるのに必死だった。
(四)暴力の季節の到来に不安を示しているが、その現象や怒りについては直接口にしていない。
(五)現実を追認するプロセスが臣下の者にしだいに悪用されていく。
(六)天皇自身の現実への理解はきわめて妥当で、現実を見抜く目は鋭い。
(七)実際に側近や指導者の中でどのような人物が信頼できるか、しきりに見定めようと試みている。
 
その上で、「天皇の言動にこの七条件をあてはめていくと、満州事変以後の天皇の姿がより鮮明に浮かびあがってくる」という。何のことはない、保阪は、「実録」は「裕仁=平和主義者」像を補強するように記述されているのだから、その意図に忠実に読め、そうすれば裕仁は平和主義者だったことがはっきりと理解できる、と言っているのだ。
 
それにしても「軍事行動に一定の歯止めをかけるのに必死だった」と記す一方で、「自らの信条や考えを」「直接に大権を委託している者に伝えない」ことを、無批判に肯定する保阪。何なんだ、これ(そもそも裕仁は、戦況上奏などの際にも「ご下問」を通じて作戦に積極的に関与し、自らの考えを「直接に大権を委託してい」た軍事指導者らに伝えていたのではないのか)。
 
保阪も恐々と腰を引かせながらも認めているように、裕仁は「軍の行動と大権干犯の事実をやむなく追認し」(6月14日号掲載の連載第34回)、ずるずると侵略戦争を肯定していった。「暴力の季節の到来に不安」を抱きながらも「その現象や怒りについては直接口に」せず、自分の追認を「悪用」した「臣下の者」に責任転嫁する。こんな卑怯で無責任な大権保持者の態度も、保阪の手にかかれば、現実を見抜く鋭い目を持ち、信頼できる側近や指導者が誰かを見定めようと試みながらも、「心底からの信を置いていない」政治・軍事指導者から裏切られたためと、同情と賞賛の対象に仕立て上げることができるのだ。」(「鄭玹汀 2015年7月29日」より
 
 
予備校の小論文講師の酒井克明さんは自身のフェイスブックの2015年7月28日付けの記事で半藤一利の本質的なところの「見る目のなさ」について次のように述べています。
 
太平洋戦争(対米英戦争)は自存自衛の「防衛戦争」だとの史観に立つ、半藤氏では仕方のないことかもしれないが、ここにはアジアの犠牲者の視点がまるでない。2千万人近いアジア民衆の死者たちはどうしたのだろう。また、日本兵として死んだ朝鮮人・台湾人兵士への視点もない。彼らは戦後、日本人の軍人・軍属と異なり、国籍剥奪を理由に一切の恩給・補償の支給を拒否されてきた。(「酒井克明 2015年7月28日」より)
 
以下は、昨年の8月15日の毎日新聞に掲載された半藤一利へのインタビュー記事。半藤一利の「見る目の不確かさ」に対して酒井克明さんの批評の「見る目のたしかさ」が一滴光ります。
 
「戦没者230万人」という数字を、私たちはどのように読み解けばいいのだろうか。昭和史の著作が多い「歴史探偵」こと作家の半藤一利さん(84)に聞いた。【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】
 
 
戦前の日本は近代国家の体をなしていなかった。「戦没者230万人」という数字はそのことを端的に示していると思います。国民を戦地に送り込むならば、国家は責任を負わなければなりません。いつ、どこで、どのように戦没したのか。確実に把握していなければならない。ところが、「戦没者230万人」という大枠のみが残り、具体的なデータは部分的にしか残っていません。厚生省(当時)は戦後、戦域別で戦没者数を算出しましたが、そこまで。死因までは分類できていない。230万人というざっくりとした数字も、私は過小評価ではないかと疑っていますよ。
 
詳細が分からないということは道義的にはもちろん、軍事的にも非常に問題があります。前線に送り込んだ部隊のうち、戦闘に耐えうる兵士は何人なのか。あるいは戦傷、戦病者は何人いるのか。正確な戦力を測れずして、作戦を立てることはできません。そもそも、前線に送らなければならない武器弾薬、糧食、医薬品などを算出するためにも、絶対に必要です。それができていなかったのではないか。
 
兵站(へいたん)を軽視した、あるいは無視したのが日本軍でした。「輜重(しちょう)が兵隊ならば チョウチョ、トンボも鳥のうち」というざれ言があります。輜重とは兵站部門のことです。そもそも、陸軍参謀本部や海軍軍令部のエリート将校にとって、兵卒はしょせん、1銭5厘(当時のはがき代)で集められる存在。作戦時には3日間分のコメ6合など25キロの荷物を背負わせ、前線へとおっぽり出した。食糧がなくなれば、現地調達しろと。降伏はありえないのだから、負け戦になれば玉砕しかありえません。敗残兵の消息など気にもとめなかった。
 
これに比べ、米国の手厚さは語るまでもないでしょう。あるエピソードがあります。ブッシュ元大統領(第41代ジョージ・H・W・ブッシュ、第43代大統領の父)は戦時中に小笠原諸島の父島沖で撃墜されました。元大統領は救助されましたが、この時に捕虜になった同僚がいました。戦後、米軍の調査団が父島を訪れ、彼が埋葬された墓地を掘り返したんです。すると、遺骨の首は切断されており、日本軍に処刑されたことが明らかになった。一兵士に対するまで、その死をないがしろにしない。国家としての責任を果たしているんですね。
 
日本軍は自己の実力を顧みず、攻勢の限界線をはるかに越えました。餓死者が続出するのは当然のことです。私は戦没者のうちの7割が、広義での餓死だと思っています。このような軍隊は古今東西にありません。人間をまるで、将棋の駒のように扱っている。
 
海上を移動中に乗船が沈められ、死亡した陸軍将兵は18万人にも上ると見積もっています。これも補給軽視、つまりは人命軽視の表れです。開明的とされている海軍ですが、陸軍とそんなに違いはありません。レイテ沖海戦で、小沢艦隊はおとりになりました。基幹の空母4隻に搭載した航空機は定数をはるかに下回る100機余りしかなかったのに、整備員は必要もないのに定数を乗せた。帳簿上の員数合わせだけを気にする官僚主義としかいいようがない。
 
軍の指導者たちは無責任と愚劣さで、兵士たちを死に追いやりました。特攻作戦も同様です。特攻隊員たちの純粋な気持ちを利用した。「日本的美学」などと言われるが、とんでもない。立派な作戦であるような顔をして、机の上で「今日は何機出撃」などと記していた参謀らを許すべからずです。
 
集団的自衛権の行使について、容認する声があります。何を言ってんだ、と思いますよ。戦後の日本は平和だった。その権利を行使しなかったため、何か問題があったのでしょうか。
 
太平洋戦争を巡り、これまで各国の将軍、提督たちを数多くインタビューしてきました。みんな、偉い人は生きているんですよ。戦争とはそういうものです。「戦没者230万人」の犠牲のうえに日本は成り立っています。その数が示していることは何か、考えてみるべきじゃないでしょうか。(「戦没者230万人:兵士を「駒」扱い 愚劣な軍事指導者たち 半藤一利さんインタビュー」毎日新聞  2014年08月15日
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