米津篤八さんが「鄭玹汀さんバッシング」問題に関連して「SEALDs支持者による鄭玹汀さん攻撃の差別性と、SEALDsの責任について」という論を書かれています。事実に即したSEALDs(シールズ)批判となっており、1970年代以来長い間の政治的なシチュエーションの場における若者不在がやや過剰気味な「若者讃歌」を演出しているというある意味万やむをえない事情もあるのでしょう。その過剰気味なシールズ評価が「世論」的にも受容されているという空気の中にあって冷静で重要な指摘だと思います。
さて、以下、米津篤八さんの論をご紹介させていただこうと思うのですが、その前にこれまでも批判されてきたシールズをとりまく問題性の一端を知っていただくために下記のツイートを先にご紹介させていただきます。


以下、米津篤八さんの論。私も「鄭玹汀さんバッシング」批判記事をいくつか書いていますが、その主なものを下段に示しておきます。ご参照ください。

SEALDs支持者による鄭玹汀さん攻撃の差別性と、SEALDsの責任について(米津篤八 2015年7月20日)

私はこのところ、Twitterとfacebookを通じて、SEALDsとその周囲の人物の批判ばかりしてるが、それでもたいした攻撃を受けていない。それはやはり、彼らが対象を選んで叩いてるからだろう。
 
たとえば大田英昭氏は自身のブログで、次のようにSEALDsのステートメントを批判している。
 
<日本国が「侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した」などという、日本国内でしか通用しない内向きの幻想の上に立って、「東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャル」が日本国にはある、などと平然と語る日本人の(おそらく無意識の)傲慢な独善性に、アジアの多くの人びとは当然反発し、身構えることは間違いない。>
http://datyz.blog.so-net.ne.jp/2015-06-21-1
 
大田氏によるSEALDs批判のポイントとトーンは、鄭玹汀氏のものとそう大きな違いはない。下記は鄭氏のfacebook。
https://t.co/2njUTvgHsY
 
ところが、SEALDsとその支持者達の両者に対する対応はまったく違う。
大田氏には、批判掲載からわずか3日後の6月24日に、SEALDsの奥田愛基氏から直接回答があった。
https://t.co/cKInXyx6JY
 
一方、鄭玹汀氏に対しては、批判掲載から1カ月を過ぎた現在に至るも、SEALDsからは回答がない。それどころか、批判掲載当日の6月18日から22日にかけてツイッターに様々な中傷や脅しめいた文句が書き込まれた。下記は野間氏による「まとめ」である。
https://t.co/E7jjSsZhyw
 
SEALDs支持者たちは、これらをもって鄭氏への「反批判」と称しているが、高林氏は自身の名誉棄損訴訟の経験から、野間氏がまとめたツイート群は「脅迫の要素を含む」「名誉毀損を認定される可能性が非常に高い」と述べている。
https://t.co/zgSLRhtijc
 
中傷や脅し混じりのツイートは批判への応答などとは言えない。また、大田氏には奥田氏直々に回答があったのだから、その差は歴然だ。さらに鄭氏宛にはいまもSEALDs支持者たちから「悔い改め」や「謝罪」を要求するメッセージが届いているのである。
https://t.co/GdGYdbLbfr
 
大田氏と鄭玹汀氏に対する、この対応の差はいったい何を意味するのか。両者のSEALDs批判の内容に大きな違いがないとすれば、あとは「大田氏=日本人男性/鄭氏=韓国人女性」という属性にその根拠を求めるしかない。それを踏まえて、私は野間氏による「まとめ」を民族差別、女性差別であると考え、こう分析した。
https://t.co/NYyxbqY9R0
 
この重大な差別と人権侵害について、「SEALDsには責任はなく、取り巻きが悪い」と言う声もある。だがSEALDsが大田氏のみに回答し、1カ月を過ぎても鄭玹汀氏を無視している点、SEALDs支持者による鄭氏への攻撃を止めようという努力がまったく見られない点から、もはやSEALDs自身の責任は免れないと考える。
 
<追記 2015.7.20 午前10:35>
もちろん直接の責任は、鄭さんに攻撃をしかけている人達にあります。ですが、SEALDsのメンバーもその人達の支援を受け、行動をともにしているかぎり、相応の責任が発生すると考えます。
選挙権が与えられているというのは、政治的にも責任を負わなくてはならないということなので、「若いから」は免責の理由にはなりません。過去の学生運動でも様々な誤りがあり、多くの命が無残に奪われた歴史がありますが、「若さ」ゆえにそれが許容されるわけではありません。「大きな目的」のために一人の人権を踏みつけにする運動は、結局は目的自体を見失うことになるでしょう。
SEALDsの人達は、ぜひそうした悲惨な過去に学び、過ちを繰り返さないよう真摯に対応していただきたいと思います。
 
附:
以下は、私の「鄭玹汀さんバッシング」批判記事の主なものです。
 
・「立ちあがった若者」を若者ゆえに特別視してはならないだろう ――鄭玹汀さん(京大研修員)の「SEALDs(シールズ)」批判と鄭さんへのバッシングについて(Blog「みずき」 2015.07.03)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1366.html
・「のりこえねっと」は自らの組織の内部の問題としてある「カウンター運動における右傾化」の問題をどのように乗り越えるのか?(Blog「みずき」 2015.07.09)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1376.html
・私の辛淑玉さん評価と上野千鶴子さん評価再説 ――SEALDs(シールズ)問題とのりこえねっとの「カウンター運動における右傾化」の問題に関連して(Blog「みずき」 2015.07.11)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1381.html
・前田朗さんの「植民地解放闘争を矮小化する戦略」(朴裕河『帝国の慰安婦』書評)と「のりこえねっと」の「カウンター運動における右傾化」問題(Blog「みずき」 2015.07.15)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1392.html
・いまも続く「シールズと関わりがあるとおぼしき人たちから」の執拗な鄭玹汀さんバッシングと福島在住の林智裕さんの批判する「福島」の暴力的な反原発デモとの相似性について(Blog「みずき」 2015.07.18)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1396.html 
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