FC2ブログ
小野昌弘Twitter(2015年6月2日~7月7日)から。

参考:事実をどのように評価するか ――福島産のコメの安全性の問題に関連して(「『福島』をめぐる思想戦の問題」(25日付)補記)Blog「みずき」 2015年5月27日
参考:http://togetter.com/li/569224
toriiyoshiki Twitter(2015年5月14日)から。

繰り返し書いてきていることだが、あらかじめ明確なスタンス(政治的立場)から「事実」を都合よく捻じ曲げて、牽強付会的に持論を展開する方がネットの世界には少なくない。ヘイトスピーチ問題もそうだけど、原発をめぐる議論も酷いものだと思う。いま福島産の野菜などから放射線が検出されるケースはほとんどないし、県民の内部被ばくも基本的にゼロ。外部被ばくの数値も健康に影響が出るとは考えられないほど低い。しかし、そうした「事実」をハナから受け付けようとしない人たちがいる。「危険がゼロとは言い切れない」と脊髄反射する人も。その一方で、科学的なデータを基に「福島の安全」を主張する専門家もいる。しかし、そうしたなかには、放射線以外の問題を無視しているのか、全く触れようとせず、帰還を恐れるのは非科学的だと言わんばかりの主張をする人たちも少なくないように見受けられる。
 
福島の取材を続けていて痛感するのは、原発事故が如何に多くのものを奪ったかである。健康不安は「被害」のほんの一部でしかない。それまでの生活を根底から突き崩された人が少なくないのである。放射線量が低くなったからといって元の暮らしに戻れるはずもない。国はそこを敢えて無視して、強引とも言えるやり方で住民の帰還を推し進めようとしている。その背景には、東電が負担する補償金の軽減を図りたいという意思、さらには福島原発事故の「収束」を演出することで、再稼動をスムーズに進めようという思惑が見え隠れしているように思う。福島原発事故がもたらした惨禍を直視すれば、原発事故が如何に取り返しのつかないもので、万が一にも起こってはならないことだというのは自明だとぼくは思う。リスク論からいっても、万が一のリスクが大き過ぎて、原発再稼動のメリット(経済的利益?)と比べて天秤がつりあわないのである。天秤が釣り合わないことは国も電力会社も百も承知で、その結果として生み出されたのが所謂「安全神話」である。原発事故が起こっては困るので、「起こらないことにした」のである。しかし、それは現実に起こった。その事故を事実として正面から受け止めれば元福井地裁の裁判長のように考えるしかない。
 
話が「本質に向かって脱線」したが、福島の多くの地域で今後健康被害が生じる可能性はかなり少ないだろうとぼくも思う(ヨウ素による初期被ばくは話が別)。しかし、だからといって放射線の「安全」だけをことさらに強調する論者には警戒を怠らないほうがいい。敢えて原発事故被害の全体像に触れず、放射線のリスクという局所的議論に終始している可能性があるからだ。そうした「木を見て森を見ない」議論を意識的に展開するのは、いうまでもないが典型的な詭弁である。もちろん、安斎育郎さんのように「過剰に恐れず、事態を侮らず、理性的に恐れる」をモットーに粘り強い住民支援を続けている人もいて、同じ「安全」という言葉の意味が全く違ってくる。どういう人が…これが大切だが…どういう行動を伴わせての発言なのかを見極める、受け手のリテラシーが問われる。(略)文脈上「安全」という言葉を使ったが、安斎さん自身はこの言葉を軽々に使わないように心がけておられると思う。いつも「それほど神経質に恐れるほどの線量ではない」といった表現で、さらに「放射線は低いに越したことはない」と付け加えられることが多い。

toriiyoshiki Twitter(2015年5月20日)から。

いずれにせよ、こういうご時世には有象無象が蠢くものである。原発事故の直後、東大医学部の中川恵一氏は放射線の安全性を周知することは「思想戦」だとのたまって、「少なくとも科学者の台詞じゃねえなあ」と俺を呆れさせたものだが、いま福島をめぐって起きているのはまさに「思想戦」なのだと思う。(略)何を根拠に、あるいは何を意図して、こうした暴言をばら撒くのか?…ぼくは40年来の反原発派だが、このようなデマ体質の「反原発」(あるいは「脱原発」)派には激しい憤りを禁じ得ない。本当になんと情けない「脱原発」なのかと思う。こんなの「脱原発」ではないのはもちろん、「放射能恐怖症」ですらない。単なる「福島恐怖症」ないし「福島忌避症候群」。こんな連中が「脱原発」を叫ぶことが、どれだけ「脱原発」を遠ざけていることか。本当に頭にくる。ぼくは原発は可能な限り早く廃絶すべきだと思っている。だが、根拠なき「福島差別」や、闇雲な恐怖感の流布を通してそれを実現したいとは思わない。福島産米が「毒入り」なんぞという低劣なデマを通して「脱原発」を主張しているのを見ると、「脱原発」が排外主義の一変種に矮小化されたと頭にくる。
関連記事
Secret

TrackBackURL
→http://mizukith.blog91.fc2.com/tb.php/1377-4132d567