前エントリの「丸谷才一の『子供に詩を作らせるな』ということの意味」の補遺としてある人のコメントへの返信をエントリしておきます。


私は前エントリで丸谷才一論や特別な「詩論」を述べているつもりはありませんのでただ具体例に即して返信しておきます。

あなたは丸谷才一が「子供に詩を作らせるな」という論で例としてあげている 

「牛が水を飲んでいる。/大きな顔をバケツの中につっこんで、ごくごくごく、がぶがぶ、でっかいはらを波打たせて、ひと息に飲んでしまった。」

という「詩」を、ある教師が、
 
「牛が水を飲んでいる。/大きな顔を/バケツの中につっこんで、/ごくごくごく、/がぶがぶ、/でっかいはらを波打たせて、/ひと息に飲んでしまった。」

と7行の分かち書きに改稿した「詩」を「声に出すことで生まれる言葉のリズム、文字からでなく耳から入る言葉のリズム」のある詩。そして、子供に「身体感覚としての言語体験」を獲得させる詩として評価されるわけですね。

しかし、丸谷は、上記の「詩」について、

「わたしの見たところでは、改作前も改作後もどちらも詩ではないし、単なる文章としては(別にどうといふことはない代物(しろもの)だけれど)、手を入れないうちのほうが数等すぐれてゐる。詩でなんかちつともないスケッチをいい加減に改行して、詩らしく見せかけようといふ卑(いや)しい魂胆のないところが、まだしも清潔なのだ。」

と批判しています。 私も丸谷説に賛成です。したがって、あなたの「丸谷才一さんの日本語論は、言ってみれば『子どもたちに谷川俊太郎さんのような詩を作らせるな』と言っているに等しい暴論」というご意見には説得されませんし、賛成もしません。 そのことのみを述べて返信としておきます。

ただ、つけたしとして、あなたがどうやら評価しているらしい
谷川俊太郎の「詩」について、2011年に『生首』で第16回中原中也賞を受賞し、2012年に『眼の海』で第42回高見順賞を受賞した詩人で作家の辺見庸の評価をご紹介しておきます。辺見は、谷川俊太郎が大手生命保険会社(日本生命)のテレビコマーシャルのために書いた「愛する人のために」という「詩」について次のように痛罵しています。

「むしろ耳に心地いいことば、穏やかでやさしいことばのなかに、標然とするような悪が居座っている。ことば自体、ほとんど資本の世界、商品広告の世界にうばいとられている。やさしさや愛のことばも。ことばということばには、資本の霧が立っています。/有名な詩人が大手生命保険会社のテレビコマーシャルのためにもっともらしい文章を寄せる。べつにそれはcrimeではない。ですが、これほど恥ずべきsinはない。ぼくはあれほどひどい罪はないとおもう。あれは正真正銘の"クソ"なのです。堪えがたい詩人のクソ。そうおもいませんか? そうおもわないという人はしょうがないけど、ぼくはおもわないということが怖いのです。おもわなくなったということに戦慄を感じます。」(『しのびよる破局』)
 
ちなみに谷川俊太郎の「愛する人のために」という「詩」はいまでもこちらで「聴く」ことができます。youtubeのこのビデオの標題には「文・谷川俊太郎」と記されていますが、以前は「文」ではなく、「詩」と書いてあったような記憶が私にはあります。これは私の憶測にすぎませんが、谷川俊太郎は、この「詩」の批判をかわすために「詩」を「文」と変更したのでしょう。

さらにつけたしのつけたしをしておけば、丸谷才一は「言葉の魔術師」として名高い『
ユリシーズ』の著者ジェイムズ・ジョイスの日本における最高峰の研究者としても著名な人でした。その人が「言葉のリズム」の問題を知らないわけがないのです。長くなるし、ここは「文学」を語る場でもありませんので、これ以上のことは述べません。
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