ムクゲ
ムクゲ

【三木清と西田幾多郎の窮境の相似性】
安保戦争法案がどういう動きになるのかは心配なことである。東アジアにおける平和は、世界全体にとって極度に大事なものである。この法案は、ともかく東アジアにおける軍事行動の臨戦態勢を法的に作ろうということであることは、どのような立場からであろうと否定できない事実である。武力を行使する体制を太平洋の東(アメリカ)と西(日本)で目に見える体制として作ろうというのである。(略)
私は、この国にいる学者として、世界戦争というようなことを考える場合に、もっとも重要なのは、やはり哲学の西田幾多郎のことだと思う。西田は敗戦直前、1945年6月に死去したが、その三ヶ月ほど前の手紙で「我が国の現状については、不幸にして私どもの予見していた通りになりました。民族的自信を武力に置くというのが根本的誤りではないかと思うのです」「新しい方向は、却ってその逆の方向、即ち世界主義的な方向にあって、世界は知らず知らずその方向にむかっているのではないだろうか」と述べている。1942年の手紙には「こう世界中の人狂うて遂にいかがなるのか。一人の達識の人なきか」ともある。これらは西田の本心であろうと、私は思う。いわゆる真珠湾攻撃の「大戦果」をつたえる号外を弟子から渡された時の西田について、その弟子は、戦後、「そのときの先生の全身はただただ深憂であった。先生の直覚は、このときすでに日本民族の今日の非命をを透見せられたのである」と述懐している(以上、上田閑照西田幾多郎哲学論集3岩波文庫、解説)。昨年くらいから、ときどき西田を読むようになった。私は三木清鈴木大拙を通じてしか西田のことを考えたことがなかったが、西田の哲学は、もちろん、晩年の三木が批判を宣言しているように、いろいろな問題をはらむことはいうまでもないが、三木を読んできたものには、よくわかる部分が多い。そもそも文章が似ている。三木が豊玉刑務所で殺されたのは、9月のことだが、三木の窮境は西田はよく知っていたし、戦時下の立場も相似した問題をもっていた。そういう時、「場所的論理と宗教的世界観」などの論文を書きながら死んでいった西田の気持ちの暗さは、ちょうど西田を襲った家庭的不幸などもあって、想像に余る。(保立道久の研究雑記 2015年6月28日

【山中人間話】
関連記事
Secret

TrackBackURL
→http://mizukith.blog91.fc2.com/tb.php/1361-8a3e06e5