キダチチョウセンアサガオ 
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【政権与党の「寂しさloneliness」の利用について】

ハンナ・アレントが『全体主義の起源』の後書きで、孤独solitude寂しさlonelinessは違うと言っている。孤独はあらゆる創造的行為にとって必要なものだ。孤独である時、人は自分自身と一緒にいることができる。自分自身と語り合うことができる。それに対し、寂しさを感じる人間は、際限なく他人を求めるが故に、自分自身のもとにあることができない。自分自身と語り合うこともできない。そしてそれはつらい経験である。アレントは、寂しさという人間にとってもっともつらい経験を利用したのが全体主義だと言っている。ドゥルーズは、若い人に孤独がいかに大切なものかを教えることが教師の大切な役割だと言っている。俺も本当にそう思うし、それを教えたいと思っている。大学での勉強や読書の経験は、孤独の価値を若い人たちに知ってもらうための貴重な機会だ。ところが、「孤独」の大切さを教えるこの大学という場で、政権与党が、「寂しさ」を利用して若い連中を集めようという酷い計画を臆面もなく語っている。そうなると、「寂しさ」に対する防衛戦と、「孤独」のための教育の二方面での配慮が必要になるわけか。(國分功一郎Twitter 2015年6月26日

【山中人間話】

【補遺】
池上彰は本当にリベラルの星なのか?(時事解説「ディストピア」 2015-06-13)
 
さすがに度が過ぎたのか、池上彰の番組が非難されているようだ。先に批判記事をリテラに書かれてしまった。残念。上の記事では池上はリベラルの星と表現されている。しかし、池上が左翼はおろか、リベラルに立ったことなどない
 
 靖国問題に関しては、参拝の意義を理解してもらうよう訴えることが大事と言い、慰安婦問題に関しては、解決されないのは韓国の市民団体のせいだと言い、竹島に関しては、「日本としては、それ(韓国の領土化)を阻止するため、韓国の実効支配を認めないというアピールをしておかなければなりません。」と言っている。どこらへんがリベラルなのか、さっぱりわからん。
 
池上の主張は右翼の言説をそのままなぞったものだ。リテラは池上が極右ブログを参考に韓国を批判したと非難するが、それはいつものことである。そもそも、右翼の言葉と左翼の言葉を並べて、 最終的に保守よりの意見を述べるのが、池上のスタンスではないか? 例えば、池上は靖国神社にしても、実はこの神社は天皇の神社であり、西郷隆盛など、賊軍として働いた人間は、同じ日本人でも祭られない、つまり、日本人ではなく天皇の兵士を称える神社であることを知っている。ところが、最終的に彼は「日本のために死んだ兵士を悼む気持ちを理解してもらおう」という安倍の言い分をそのまま繰り返している。何のための知識なのやら、わけがわからなくなる。
 
そういうわけだから、今回の反日解説番組にしても、いつも通りの通常運転だったのだが、なぜか今回だけ批判されてしまった。これは実に不思議なことだ。リテラをはじめ、岩波書店、その他の左派系メディアも池上彰を正義の使者であるかのように褒め称える。正直、私はヘイト・スピーチよりも池上のほうが性質が悪いと思う。桜井誠の言い分は、誰がどう聞いたっておかしいとわかる。だが、池上の場合、ウソを含め肝心の事実を知らせず「わかりやすく」解説する。そのため、予備知識の無い一般市民は彼の言説を疑わず信じるだろう。つまり、合法詐欺師としては桜井より池上のほうが遥かに上だ。明らかに後者のほうが受け手の思考力を鈍らせている。
 
テレビの効果もあいまって、池上の言説を聞き、嫌韓や嫌中に目覚めた国士は結構いるような気がする。その点を黙認して、池上無双だの、リベラルの星だのといって同氏を宣伝している左翼系メディアの無責任な言動は批判されてしかるべきだろう。リテラは、インターネット週刊誌の色が濃いのでまだ理解できるが、岩波まで池上に記事を書かせるのは一体全体、何なのだろうか? 『世界』の編集部や岩波新書の編集者は、池上の言説が保守派のそれだと気づかないのだろうか? これは何度も言っていることだが、今の日本の右傾化は正確に言えば、左翼の右傾化だ。 市民の中には依然、左翼と呼べるであろう人間は潜在的に多くいると思う。実際、震災などの大きな困難に遭遇して、多くの市民団体が生まれたのは記憶に新しい。とするならば、近年、左翼系の図書が売れない原因は、読者ではなく、彼らを満足させられない中途半端な情報しか発信しない出版社にあるだろう。
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