私は河合弘之弁護士の唱える「脱原発」に根底的な疑問を持つ ――反原発運動の主張や言葉に強い違和感を持ったり、傷ついたりしている人が多いのも事実なんです」の追記です。

もう一点。河合弁護士ご自身の問題に関することではなく、ここでは「脱(反)原発」を主張する人たちをそれぞれの主張や思想の違いを無視してひとまとめに「脱(反)原発」陣営と言っておきますが、その陣営の河合弁護士評価への私の違和感についてもひとこと述べておきたいと思います。河合弁護士はいまや「脱(反)原発」大物弁護士として左記にいう「反原発」陣営から引っ張り凧の存在ですが、同陣営の人たちは同弁護士の弁護士としての手腕を賞揚するのになにゆえに彼がこれまで手掛けてきたダグラス・グラマン事件やイトマン事件などの経済事件の弁護活動までを賞揚の対象にするのでしょう? 河合弁護士が大物弁護士であることを誇示したいためにそうしているのでしょうが、ある弁護士が大きな事件を手がけたということとその弁護士が民主主義的な弁護士であるということとは別様のことでしょう。
 
河合弁護士が手がけた「ダグラス・グラマン事件」の弁護活動とはどういうものだったか。同事件の河合弁護士の弁護活動について同弁護士の公式サイトでは次のように自画自賛されています。
 
昭和54年(1979年)TVの前では元総理大臣2人、その後に総理大臣になった人1人を含む政界を揺るがす巨大汚職事件「ダグラス・グラマン事件」の国会証人喚問の生中継に釘付けになる人々がたくさんいました。その時に証人喚問を受けた一人が日商岩井航空機部課長代理だった有森國雄氏。河合は有森氏証人喚問の随伴者として国会に入りました。当時の衆議院予算委員会の証人喚問は大変厳しいものだったため、答弁に窮しないよう河合は有森側と綿密な事前打ち合わせを行いました。この頃、すでに「記憶にございません」は証人喚問で使われており流行語化していた上に、あやふやな発言が不信感を惹起することも踏まえ、証人に嘘をつかせず、不利な発言をせずに済むよう、河合は考え抜いたと言います。考え抜いた末の方法論が<自己負罪拒否特権>でした。憲法に規定されている「何人も自己に不利な供述を強要されない」という権利の行使です。「自分が起訴された時に不利になりますので、その証言はできない」というものでした。この一連の国会生中継では、証人たちの震える手、額に浮かぶ脂汗など、言葉には出さなくても証人たちが窮する様が大きく話題になっていた中で、有森・河合コンビは<自己負罪拒否特権>を行使して証人喚問を切り抜けることができたのです。有森氏は事件本体においては罪に問われることはありませんでした。当時、河合弘之35歳。これ以降、政財界の事件の用心棒弁護士として大舞台に登場していくことになるのです。
 
河合弁護士は資本(企業)の側に立って国民の代表としての国会議員の追求をかわす術を教えていた。それが同事件の河合弁護士の弁護活動の実態です。「政財界の事件の用心棒弁護士」という民主主義とは縁もゆかりもない経歴がなにゆえに大物弁護士の証明として「脱(反)原発」陣営サイドで評価されなければならないのか。「脱(反)原発」陣営の河合弁護士評価には同陣営のものの見る目のなさと思想性のなさ、すなわち、思想の脆弱性が直(もろ)に露わになっています。そうした地平から叫ばれる「脱原発」とはなにか? 私はおおいに胡散臭さを感じずにはいられないのです。
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