ヒメジョオン ヒメジョオン

はじめに「もうひとつの「今日の言葉」としてとりあげている「海神日和」ブログの「岩井克人『経済学の宇宙』(短評)」という記事への私の批評の言葉を掲げておきます。
 
資本家は農村の過剰人口に安価な労働力を見出し、それを「利潤」に結びつけた。その行為を「搾取」というのではないか? 「差異」という言葉は現にいまある「差別」の問題を隠蔽してしまう。そうして遺るのは、陳腐な現状肯定の思想だけというべきではないか。岩井克人はその点で決定的に誤っている、と私は思います。社会学者の宮台真司柄谷行人を「マルクス主義への反省からアナーキズム(国家なき中間集団主義)を提唱するアホ」と批判していますが、この宮台の批判は柄谷の思想的な弟子筋の岩井克人にもそっくり当てはまるのではないか、とも私は思っています。
 
以下、「今日の言葉」として。

【69年前、1946年6月2日に何があったか】
69年前の今日、(略)イタリアでは国民による2つの投票が同時に行われました。1つは、イタリア王国(略)存続の是非を問う
国民投票。もう1つは、憲法制定議会への総選挙です。戦時中、イタリア王室はムッソリーニのファシスト体制を支持しました。当時のエマヌエーレ3世は46年5月9日に退位し、皇太子を即位させることによって、その戦争責任の回避を図りました。それに対して王制存続の賛否を問うた国民投票でした。結果は、「連合軍の王制支持あるいは女性の初の投票権といった王制に有利な状況にもかかわらず、五四%のイタリア人は共和制を支持した」(略)のです。ここにイタリア王国は終焉を迎えたのでした。一方、同時に行われた総選挙の結果、キリスト教民主党、プロレタリア統一社会党、共産党の3党連立政権が誕生。「市民の自由と平等を事実上制限して、人間の完全な発展と国の政治的・経済的・社会的組織への全勤労者の効果的参加とを妨げる経済的・社会的障害をとりのぞくこと」(略)などを明記した新憲法が制定されました。この選挙が、完全比例代表制で行われたことは注目されます。また、イタリアの一連の戦後改革の底流に、戦時中のレジスタンス活動があったことも重要です。
 
同じころ、日本はどうだったでしょうか。1946年5月3日には、昭和天皇を被告席に立たせないことを前提とした極東国際軍事裁判(東京裁判)が開廷しました。5月22日には第1次吉田内閣が成立し、「象徴天皇制」を第1条とする憲法草案の審議が始まりました。国民投票で王制を廃止したイタリアと、天皇の戦争責任回避・天皇制(「国体」)護持を至上命題とした日本。同じ「三国同盟」の一員、連合国に敗れた国でありながら、なんという違いでしょうか。天皇の戦争責任を不問にして天皇制を存続させることが、いかに当時の国際世論に逆行していたかは、米ギャラップ社の世論調査で、昭和天皇を「殺害」「国外追放」するなど、
戦争犯罪人として扱うべきだという意見が77%にのぼっていた(引用者注:7分30秒頃)ことからも明らかです。しかし、こうした日本の状況は、当時の為政者・権力者だけの責任ではありません。1945年末に行われた日本国論研究所の調査(回答数3348)では、「天皇制支持」が実に94・8%(否定4・9%、中立0・3%)にものぼっていた(同上12分40秒頃)のです(略)。「草の根天皇制」が下支えになっていたことは否定できません。「戦後史」の中で、イタリアの歴史が教科書などで教えられる機会は、ドイツなどに比べても少ないのではないでしょうか。その背景には、国民投票によって王制が廃止されたという事実を、日本の国民に広く知らせたくないという国家権力の意図があると思えてなりません。国民(住民)投票の先進例としても、1946年6月2日イタリアで起こった歴史的事実は、記憶にとどめたいものです。(アリの一言(「私の沖縄日記」改め) 2015年06月02日

【もうひとつの「今日の言葉」と私の「批判」】
著者、
岩井克人の名前を知ったのは、1985年に出版された『ヴェニスの商人の資本論』が、評判になったときで、それを読んだときは、軽い衝撃を覚えた。シェイクスピアの『ヴェニスの商人』が、資本主義論として読み解けるなどとは思いもしなかったからである。『ヴェニスの商人』が、遠隔地貿易をおこなうアントニオと、ユダヤ人の高利貸シャイロック、その周囲の女性たちをめぐるドラマであることはよく知られている。物語は愛と正義が貨幣の呪縛を解き放つことで、大団円を迎える。交易商アントニオにからめて、著者は資本主義がいかにして利潤を生みだすかを原理的に検討した。さらに、嫌われ者であるシャイロックをみていくと、そこにひそんでいたのは、まぎれもなく貨幣の問題なのだった。(略)著者によれば、資本主義とは「利潤を目的として企業活動がおこなわれる経済システム」にほかならない。すると、そもそも利潤はどこから生まれるのか。マルクスは、利潤(というより、その根源としての剰余価値)が、資本家による労働者の搾取によって生まれるとみた。しかし、それがあやまりだと考える著者は、シュンペーターのとらえ方を持ちだす。資本主義が動態的だとすれば、企業は「新しい消費財、新しい生産方法、新しい輸送方法、新しい市場、新しい組織形態」を常に創造しつづけるなかでしか、利潤を確保できないというのである。さらに、著者は歴史をふり返り、利潤の源泉について考察する。大昔から存在する遠隔地交易が利潤を生みだすのは、二つの市場のあいだの価格差を利用することによってである。19世紀の産業資本主義は、農村に過剰人口が存在するなか、機械制工場システムのもとで、高い労働生産性と低い実質賃金率の「差異」を利用することによって利潤を生みだした。そして、ポスト産業資本主義時代になると、賃金率も上昇するため、企業は差異をつくりだすイノベーションによってしか、利潤を確保できなくなるという。その差異化のなかに非正規労働の導入も含まれているかどうかについて、著者はふれていない。しかし、いずれにせよ、利潤は「搾取」によってではなく、「差異」によって生まれるという理論が打ちだされたのである。(海神日和 2015-05-30

【山中人間話】

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