内田樹さんが「学問の自由を考える会のHPができました」という報告をしています。そして、「大学での国歌国旗についての政府要請」に反対する署名をさらに募っています。

以下は、内田樹さんの国旗国歌問題に関しての基本的なスタンスと考え方です。内田さんは「私の基本的な立場はむかしから変わっていません」として国旗国歌問題に関して16年前に書いた文章を自身のブログに再録しています。以下は同記事の抜粋です。


【「国旗国歌についての大学人声明」について】
国立大学での国旗掲揚国歌斉唱を求める文科省の要請に対して、
大学人として反対している。その理由が「わからない」という人が散見される(散見どころじゃないけど)。 同じことを何度もいうのも面倒なので、国旗国歌についての私の基本的な見解をまた掲げておく。今から16年前、1999年に書かれたものである。私の意見はそのときと変わっていない

国旗国歌法案が参院を通過した。このような法的規制によって現代の若者たちに決定的に欠落している公共心を再建できるとは私はまったく思わない。すでに繰り返し指摘しているように、「公」という観念こそは戦後日本社会が半世紀かけて全力を尽くして破壊してきたものである。半世紀かけて国全体が壊してきたものをいまさら一編の法律条文でどうにかしようとするのはどだい無理なことだ。(略)式典などで君が代に唱和しないものを指さして「出ていけ」とよばわったり、「声が小さい」と会衆をどなりつけたり、国旗への礼の角度が浅いと小学生をいたぶったりする愚か者が続々と出てくるだろう。こういう頭の悪い人間に「他人をどなりつける大義名分」を与えるという一点で、私はこの法案は希代の悪法になる可能性があると思う。

一世代上の人々ならよく覚えているだろうが、戦時中にまわりの人間の「愛国心」の度合いを自分勝手なものさしで計測して、おのれの意に添わない隣人を「非国民」よばわりしていたひとたちは、8月15日を境にして、一転「民主主義」の旗持ちになって、こんどはまわりの人間の「民主化」の度合いをあれこれを言い立てて、おのれの意に添わない隣人を「軍国主義者」よばわりした。こういうひとたちのやることは昔も今も変わらない。私たちの世代には全共闘の「マルクス主義者」がいた。私はその渦中にいたのでよく覚えているが、他人の「革命的忠誠心」やら「革命的戦闘性」についてがたがたうるさいことを言って、自分勝手なものさしでひとを「プチブル急進主義者」よばわりしてこづきまわしたひとたちは、だいたいが中学高校生のころは生徒会長などしていて、校則違反の同級生をつかまえて「髪が肩に掛かっている」だの「ハイソックスの折り返しが少ない」だのとがたがた言っていた連中であった。その連中の多くは卒業前になると(略)きれいに髪を切りそろえて、雪崩打つように官庁や大企業に就職してしまった。バブル経済のころ、やぐらの上で踊り回っていたのはこの世代のひとたちである。

こういうひとたちのやることはいつでも変わらない。(略) 国難に直面した国家のためであれ、搾取された階級のためであれ、踏みにじられた民族の誇りのためであれ、抑圧されたジェンダーの解放のためであれ、それらの戦いのすべては、それを口実に他人をどなりつけ、脅し、いたぶる人間を大量に生み出した。そしてそのことがもたらす人心の荒廃は、国難そのもの、搾取そのもの、抑圧そのものよりもときに有害である。
内田樹の研究室 2015年05月28日

さらに以下は、「国旗国歌についての大学人声明」に署名した際の私のコメントです。弊ブログにも記録しておきます。
 
「学問の自由を大切に」思う者のひとりとして署名します。娘が中学生のときPTAの会長をしていたことがあります。入学式や卒業式の祝辞を述べる際、壇上の日の丸ともろに対面せざるをえなかったのですが極力日の丸の方に目を向けないようにしてやりすごしました。君が代を斉唱するときは立場上起立だけは免れなかったのですが、覚えていないふりをして歌いませんでした。私は大学に対する国旗・国歌の強制に反対します。「国旗国歌についての大学人声明」を弊ブログに一個の市民のささやかな抵抗のあかしとして紹介させていただきました。
関連記事
Secret

TrackBackURL
→http://mizukith.blog91.fc2.com/tb.php/1307-57534bcf