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【「辺野古」問題 大橋巨泉氏の論にも高橋哲哉氏の論にも違和感が残る】
「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」が行われた17日、沖縄タイムスは全紙面を使い、県外の著名人など51人の「応援メッセージ」を顔写真付きで掲載しました。迫力のある紙面で、51人のメッセージは短いけれど、どれも気持ちと力のこもった貴重なものでした。その中で、ここではとくに2人のメッセージに注目します。そこでは普天間基地(さらに沖縄の米軍基地全般)の「県外移設」論について、私たちが考えねばならない問題提起がされているからです。2人とは、大橋巨泉氏と高橋哲哉氏です。まず、大橋氏のメッセージから。

大橋巨泉氏・・・沖縄住民の皆さん、我々日本人は皆さんに大きな借りがあります。皆さんは堂々と「米軍基地は県外へ」と言えば良いのです。まず目の前の辺野古移設反対! 我々は声を大にして後押しします。頑張ってください。

沖縄に寄り添おうとする大橋氏の心情がよく表れています。しかし、おかしくないですか? 沖縄の人に「基地は県外」つまり本土へ移設するよう主張すべきだとし、「我々」つまり本土の人間はそれを「後押し」するというのです。これでは本土の「我々」は第三者の立場からの「応援者」です。しかし、「県外移設」で基地は本土へ来るのです。「我々」はけっして第三者ではありません。まさに当事者となるのです。大橋氏の心情は理解できても、本土の「我々」がひとごとのように「後押しします。頑張ってください」と言うのは、違うのではありませんか? その点で注目されるのが、高橋氏のメッセージです。

高橋哲哉氏・・・日米安保体制下で本来、米軍基地があるべき場所は本土。本土にいる私たちは、長く沖縄に米軍基地を押し付けてきた差別を正すために、安保条約が解消されるまで、在沖米軍基地を本土に引き取る道を追求していきたい。

高橋氏は基地は「県外(本土)へ移す」のではなく、「本土に引き取る」のだと言います。同じように見えて、この違いは明確で、しかも重い意味があります。高橋氏の主張(立ち位置)は、「日米安保体制下で本来、米軍基地があるべき場所は本土」という考えに基づいています。沖縄の基地問題はまさに本土の私たちの問題にほかならないという指摘です。ここでは本土の私たちは第三者ではなく、完全に当事者です。同じ「県外移設」論でも、大橋氏と高橋氏の違いを、私たちは自分の問題として考えてみる必要があるのではないでしょうか。それは、「辺野古新基地建設反対」の次に、「では普天間あるいは沖縄の基地はどうするのか」という問題が問われてくるからです。私たち本土の人間はけっして第三者でいることは許されません。自分の問題として考えねばならないのです。そのうえで、しかし私は高橋氏の主張にも賛同できません。「安保条約が解消されるまで、在沖米軍基地を本土に引き取る」という主張です。沖縄の「構造的差別」はもちろん解消しなければならないし、それは本土の私たちの責任です。その世論を本土で高めていかねばならないことも当然です。しかし、「沖縄の基地を本土で引き取る」と主張し、それを「追求する」つまり運動化することは、けっして安保条約=日米軍事同盟の「解消」に向かわないばかりか、逆にその固定化につながりかねないと思うからです。

あってはならない基地は、沖縄はもちろん、本土にもあってはならないのです。オスプレイも同じです。普天間をはじめ沖縄の基地は、「県外(本土)へ移設」するのでなく、即時無条件に撤去すべきであり、その主張の下に沖縄と本土の連帯を目指すべきだと考えます。そう思う私が、51人のメッセージの中でもっとも共感できたのは、広河隆一氏(月刊誌DAYS・JAPAN発行人)のものでした。大橋氏、高橋氏のメッセージとともに、私たちが「沖縄」を自分の問題として考える手掛かりにしたいと思います。

広河隆一氏・・・支配する側は、される側の痛みが理解できません。本土の人間は「沖縄を解放する」のではなく、私たちが「支配者であるという立場から解放される」ため辺野古が象徴する支配構造に風穴を開ける闘いを本土で行いたいと思います。アリの一言 (「私の沖縄日記」改め) 2015年05月21日
 
【山中人間話】
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