なんじゃもんじゃの木 
なんじゃもんじゃの木

弊ブログ左端欄の「今日の言葉」は徳岡宏一朗弁護士の10日後に迫っている大阪「都」構想住民投票の反対投票の訴えを選びましたが、そのほかにも「今日の言葉」として記録しておくべきと私が思う言葉群が何点かありました。その中からさらに「kojitakenの日記」の言葉と「澤藤統一郎の憲法日記」の言葉を抜粋しておきたいと思います。kojitakenさんの言葉は今日のいわゆるリベラル・左派陣営の「人を見る目のなさ」の問題を問うていますし、澤藤統一郎さんの言葉は今日のリベラル・左派陣営のその「人を見る目のなさ」の問題に関連して保阪正康という本質的には保守の論客をほんもののリベラリストであるかのように遇する今日のリベラル・左派陣営の「人を見る目のなさ」の問題を具体論として提起している論のように思えるからです。
 
以下、徳岡宏一朗さん、kojitakenさん、澤藤統一郎さんのそれぞれの今日の問題提起。
 
このままでは、大阪「都」構想を問う住民投票で、橋下市長と彼が率いる大阪維新の会は勝利し、住民投票は賛成可決となって大阪市が解体・廃止される可能性が濃厚だと思います。各種世論調査は僅差で賛成派が多数を占めていますし、住民投票に実際に赴く率は賛成派の方が多いと思います。反対派は白けて棄権してしまう方も多いでしょうから。なにより、関西のマスメディアの中には明らかな橋下市長寄りの報道をする番組があり(読売テレビ、テレビ大阪)、公平であろうとしている局でも、どうしても目立つ橋下氏の発言を大きく取り扱いがちです。また、この住民投票が死活問題である大阪維新はここぞとばかりに政党交付金を投入しており、その額は4億円以上。テレビでコマーシャルまで流しています。しかし、反対派はこの住民投票で党の死活が決まるわけではありませんから維新ほどお金はかけられませんし、熱心に運動できません。なにより反対派の各政党は寄り合い所帯ですし、大阪の民主党はほぼ死に体です(略)。公明党は反対派に数えられていますが、実質的には自主投票であてになりません。自民党も安倍首相と菅官房長官の動き次第ではどうなるかわかりません。(略) そこで、全国の心ある市民の皆様にお願いがあります。大阪「都」構想住民投票まであと10日しかありません。大阪市にお住いのご友人の方々に、大阪「都」構想には絶対反対すべきだと話してみてはいただけないでしょうか。(略)それほどの危機感があるのは橋下徹という人が安倍晋三首相かそれ以上にこの国にとっての災厄だと思っているからです。(略)橋下氏が大阪「都」住民投票で勝ってしまい、ますます影響力を持つことは、日本全体にとっての不幸なのです。全国の皆さん。今は遠い大阪のこと、他人ごとと思っておられるかもしれません。しかし、橋下市長と大阪維新の会をこのままのさばらせるのは、日本全体の自由と人権を危機にさらすことなのです。ここで橋下徹とその「文化」をストップするために。是非、大阪市のお知り合いに、あの住民投票だけは賛成してはならないと是非是非お伝えください。(徳岡宏一朗のブログ 2015年05月07日
 
・ゴールデンウィーク中の護憲集会に民主党の長妻昭が出てきたこと自体、日頃から長妻に好感を持っていない私としては、なんだか白々しいなあと思っていたのだが、なんと長妻昭は共産党の志位和夫と手をつなぐのを拒否したのだそうだ。いかにも長妻らしいなあとか、やっぱり民主党だなあなどと、長妻や民主党に対するネガティブな印象しか持てなかった。民主党応援色の強い「リベラル」のブログがこの件を見て見ぬ振りをしているのもいつものことだが、このような身びいきが支持政党をますますダメにするのである。同様の傾向は、「生活の党となんちゃらかんちゃら」支持系のブログ群にはさらに強烈にある。結局、2009年に「政権交代」を果たした民主党は、小沢(・鳩山)系も反小沢系もみんなひっくるめてダメだったんだなあとつくづく思う。
 
ところで、本屋で江藤淳の『一九四六年憲法 その拘束』が「文春学藝ライブラリー」から出ているのを見かけたが、下記文春のリンク先から確認できる画像を見ると、帯に「戦後民主主義に対する最も本質的で鋭利な批判」 白井聡氏(「解説」より)などという毒々しい文字が印刷されているのが目に突き刺さる。昔から政治に関心のあった者なら誰でも知っている通り、江藤淳の「押しつけ憲法論」は、保守派による日本国憲法批判論の典型例である。江藤の本は「反米保守」の立場から書かれているが、どうやら白井聡はその江藤淳に強い共感を示しているらしい。白井聡というのは、いうまでもなく、内田樹、孫崎享、矢部宏治らと同じグループに属するとみられる論者であり、池澤夏樹や朝日新聞にいわゆる「左折の改憲」を焚き付けた一派とみなされる。しかし、矢部宏治が唱える「押しつけ憲法論」は江藤淳の主張と変わるところなど何もないだろう。つまり、「左折の改憲」というのは池澤夏樹の幻想に過ぎないのである。内田樹らのグループの中でも、孫崎享については、岸信介や佐藤栄作へのシンパシーを隠さない「右翼」であるとして、私は3年前から今に至るまでずっと批判し続けているが、白井聡も孫崎の同類と見るほかない。池澤夏樹や朝日新聞に対しては、あんたらが「左折の改憲」とか「下からの改憲」などと思っている(または思い込もうとしている)ものは、つい80年代までの「右からの改憲論」の典型的な立論とまるっきり同じなんだよ、と強く言いたい。「リベラル」が感情的な「反米」ムードに安易に乗っかって、「『右』も『左』もない」などと言い出したことで自ら墓穴を掘り、自分が掘った穴に自分が落ちてしまったのが現状であるように思われる。(kojitakenの日記 2015-05-07
 
引用者注:内田樹さんと池澤夏樹さんの評価については私は「kojitakenの日記」の主宰者と認識を異にします。その認識を異にする第一点は、kojitakenさんは池澤夏樹が朝日新聞に投稿した「主権回復のために 左折の改憲、考える時」(朝日新聞 2015年4月7日)という一本の記事を根拠に池澤を批判していますが、この一本の記事で池澤の思想を斟酌するのには無理があるという点です。kojitakenさんの池澤評価は仮定に仮定を重ねた上での評価でしかないというのが私の判断です。第二点目は内田樹さんの評価についてです。内田樹さんをどのように評価するべきか。私の評価はいまだ定まっていません。したがって、私には、 kojita
kenさんのように内田樹、池澤夏樹、白井聡、孫崎享、矢部宏治各氏を「同じグループに属する」と断言することはためらわれます。というよりも、この点についてのkojitakenさんの評価は誤っているように私には見えます。にもかかわらず、kojitakenさんの言葉を引用するのは彼の「リベラル・左派」批判には共感するところが大きいからです。
 
・5月3日の未明、たまたま「ラジオ深夜便」保坂正康インタビューで特攻の話を聞いた。そして、その日の午後、立教大学で行われた全国憲法研究会が主催した憲法の日記念講演会で、ほぼ重なる保坂の話に接した。印象に残ったことのいくつかの要約。「特攻機が離陸した後は無線機のスイッチはオンのままとなる。基地では特攻隊員の『最期の叫び』を聴いて、これを通信記録として残していた。厖大な記録だったが敗戦時にすべて焼却されている」「それでも、個人的なメモを残していた参謀もいた。殆どの最期の声は『お母さーん』か、恋人と思しき女性の名前だった。『大日本帝国万歳』というのはほとんどなかった。中には、『海軍のバカヤロー』と叫ぶ者もあった」「特攻は志願を建前としてたが、実際には強制だった。知覧で特攻機の整備兵だったという人から話を聞いたことがある。『特攻が決まると、殆どの者は茫然自失し、痛々しいほど取り乱す。私は、そのような若者を次々と死地に送り出したことに、いまだに心の痛みが消えない』と言っていた」「特攻での死者は学徒兵と少年兵とが圧倒的に多く、職業軍人は少ない。これは、指揮官を育てるのに金を費やしているからだ。ここに、生死を分ける差別の構造が見える。ある参謀は言っていた。『息子を戦死させない方法を教えてやろうか。陸大に入学させることだよ』と。エリートは前線に行かず死なないのだ」(略)保坂の言は傾聴に値する。特攻を命じた旧軍のシステムに怒りを露わにしていることには大いに共感する。
 
しかし保坂は、特攻隊員の死に感傷的なまでに感情移入している。特攻隊員の死を他の戦争犠牲者の死とは分けて特別視しているやに覚えて、多少の違和感を禁じ得ない。むしろ、思う。どうして、知性も勇気も持ち合わせた人々が、「海軍のバカヤロー」と言いつつも、敵艦に突っ込んでいったのだろうか。形式的にもせよ、どうして「志願」したのだろうか。「命が大切」「命が惜しい」「生きながらえたい」「この命、国家なんぞに呉れてやってたまるものか」と考えるべきではなかったか。いささかも特攻を美化してはならない。国家のための死の選択を美しいなど言ってはならない。国家が、国民の生を謳歌する自由を奪った非道として断罪しなければならない。特攻は、戦争の非道、戦争の悲惨、戦争の醜さ、戦争の愚かさを際立たせた一つの事象として記憶されなければならない。(澤藤統一郎の憲法日記 2015年5月7日
 
引用者注:リベラル・左派の陣営の弁護士の澤藤統一郎さんが「多少の」という控え目の形容詞句をつけているものの保阪正康氏に対する「違和感」を述べているのは重要だと私は思います。本質的には保守の論客である保阪氏を真の「リベラル」の論客のようにもてはやしているのがいまのリベラル・左派陣営の「見る目のなさ」というべきだからです(この「見る目のなさ」の問題は共同、共闘の問題とはまた別の問題というべきものです)。その欠陥は「自ら墓穴を掘」っている行為のように私には見えます。
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