【権力とジャーナリズムの劣化について】
政権に限らず権力がジャーナリズムに有形無形の圧力をかけるのは暴走につながることはもちろんだが、結局は、権力の弱体化につながる。ジャーナリズムも証拠のないことを書いたり発言してはならないが、証拠の上に見解を表すことは絶対的に必要。そうしないと、権力は挙証責任をないがしろにし、たいした裏付けもないのに、議会を軽視し暴走することになる。証拠の上に論理を組み立てる必要がなくなれば、急激に知性が劣化していく。官僚も、根拠を積み上げる努力を怠り、政権に阿るだけの行政となる。活字になるまで時間のある新聞と違って、テレビでコメントするときは言ってしまうと取り返しがつかない。だからこそ、自説を主張する前に、必ず論拠を示して、権力の介入を阻止しなければならない。それができないとコメンテーターを外から呼ぶ意味はない。視聴者も読者も、どうしても自分の主張に近い人の声を聞こうとする。そのことは問題ではない。だからこそ、フジだろうとテレ朝だろうと、各々、論拠を挙げて主張を闘わせれはよい。政権が万が一にも圧力をかけて、それを狂わせると、本来、重要であるべき挙証責任が軽視され報道の質が下がるだけ。特に、学者が出演してコメントする場合には、視聴者の関心に応えることと、証拠を丁寧に説明することが不可欠。そうでないと、テレビ局側に「箔づけ」に使われるだけ。それだけの時間を与えない番組には私は出ない。もう一つ。キャスターがコメンテーターを誘導する番組も嫌いだ。(略)報道ステーションミヤネ屋は、そういう誘導を一切しなかったので、出演する側としても真剣に話す事ができた。言うまでもなく、親会社は朝日と読売だからレギュラーのコメンテーターには政治色の違いもある。だが、現場のディレクターとキャスターが優れていると、色の違い以上の中身を要求する。(略)キャスターとゲストが、丁々発止と意見を戦わせないと、誰も見なくなってしまうだろう。(内藤正典Twitter 2015年5月6日
 
以下の山崎 雅弘Twitterの引用は上記の内藤発言の注としての引用です。
 
茂木健一郎さんの憲法についての論考は至言だと思う。私も現行憲法に安全保障面での瑕疵があることは承知しており、いずれ不備を修正する必要があると思っているが、立憲主義に基づく憲法を「立憲主義など眼中にない、憲法に似せた国民支配の制約集」に差し替えようとする政治的な策謀があるうちは、「現行憲法ホールド」という立場をとらざるを得ない。「護憲」というよりは「システム乗っ取りを企てる連中が操作盤の前から立ち去るまでホールド」。今この国で巧妙に進められている「本物の憲法を社会から排除する政治的変化」に、加担する気はない。現行憲法の瑕疵を、形式的に指摘するのは簡単で、私も昔はよくやっていた。しかし、今はそれとは違う「別の視点」も持っている。それは、「1945年から2015年までの70年間を振り返って、日本とその他の国民はどんな環境で暮らしてきたのか」ということ。私の人生47年は、日本の戦後70年の3分の2を占めるが、1945年以後も終わることなく地球上で進行している凄惨な戦史・紛争史の観点で見れば、日本の戦後70年は(沖縄を除けば、と補足しなくてはならない現状が悲しいが)、世界中の戦後70年の中でも、飛び抜けて恵まれた、安心して日々の暮らしを送れる「平和な環境」だった。それを考えると、私は「日本国憲法」が持つ総合的な「力」を、今まで過小評価していたかもしれないと思う。地政学的な境遇での幸運という面も無視できないが、形式的に文章の瑕疵や欠落を指摘するだけでは見えない「力」が、日本と世界の戦後70年を虚心坦懐に比較すれば見えてくる。(山崎 雅弘Twitter 2015年5月6日
 
そして、以下は、引用者の注。
 
上記で山崎雅弘さん(戦史・現代史研究家)は茂木健一郎さんの論を「至言」だと評価していますが、私はそうは思いません。「至言」だとされる茂木さんの論のテーマは「憲法改正大いに結構! だが」というもの。茂木さんの論の中身は現安倍政権の「改憲」論批判にはなっていますが、その安倍政権が来夏の参院選後の国会発議をめざして「2段構え」で憲法改正を仕掛けてきている現状においてわざわざ「憲法改正大いに結構」などという論陣を張るのは兵糧攻めの最中に敵陣に「塩を送る」のたとえを地でゆくような愚かな論というべきでしょう。その論を「至言」などというべきではないというのが私の感想です。
 
その山崎雅弘さんは、


として古賀茂明さんを擁護していますが、古賀「報ステ」発言が「日本国内で叩かれる」のは、右翼の古賀批判は論外として、古賀さんが安倍政権を批判したという行為ではなく「自説の主張の論拠」が
「論拠」と呼べるようなものではなかったことにあります。山崎さんには内藤正典さんの発言の意味するところを再考していただきたい、というのが「今日の言葉」の注として私の言いたいことです。
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