「町内会から「お知らせ」。仰天。絶句。「地震、集中豪雨、ミサイル着弾等の災害や危機事象」が発生したさいにいちはやく通知する無線放送設備設置にかんする説明会だと。ここまできたのか。(引用者注:町内会の「ミサイル着弾」という「危機事象」はおそらく下記記事にいう自民党推進本部が憲法改正「2段構え」戦略として画策している「緊急事態条項」を反映しているでしょう)」(辺見庸「日録2-5」2015/05/02 
「おかしいじゃねえか!モズのはやにえ。季語はたしか「秋」だぜ。なべて不時現象つづく。「ミサイル着弾等の危機事象」とともに、ものみな狂ってきている。アベ、おまえら、そんなに戦争をやりたいのか。東京を中心とした関東一帯で行われた防空演習を批判して、桐生悠々が「関東防空大演習を嗤ふ」を書いたのは1933年夏だった。1937年、対中全面侵略開始。」(辺見庸「日録2-5」2015/05/03

以下は、桐生悠々の「関東防空大演習を嗤う」(初出:「信濃毎日新聞」1933(昭和8)年8月11日)。桐生悠々がこの記事を書いた11年後にいわゆる東京大空襲が、12年後に大阪大空襲がありました。東京のある町内会で近々開かれるらしい「ミサイル着弾等の危機事象」が発生したさいの無線放送設備設置にかんする説明会」はもはや「嗤」ってだけではすまされないことは70年前の東京、大阪だけではない日本全国の「大空襲」の悲劇の連なりが証明していることです。
 
東京大空襲:東京は1944年(昭和19年)11月14日以降に106回の空襲を受けたが、1945年(昭和20年)2月26日,2月28日特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模だった。その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上と著しく多い1945年3月10日の空襲を指すことが多い。この3月10日の空襲だけでも罹災者は100万人を超えた。(ウィキペディア『東京大空襲』)
 
大阪大空襲:1945年3月13日深夜から翌日未明(日本時間、以下同様)にかけてに最初の大阪空襲が行なわれ、その後、6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、8月14日に空襲が行なわれた。これらの空襲で一般市民 10,000人以上が死亡したと言われている。(ウィキペディア『大阪大空襲』)
 
関東防空大演習を嗤う 桐生悠々
 
防空演習は、曾て大阪に於ても、行われたことがあるけれども、一昨九日から行われつつある関東防空大演習は、その名の如く、東京付近一帯に亘る関東の空に於て行われ、これに参加した航空機の数も、非常に多く、実に大規模のものであった。そしてこの演習は、AKを通して、全国に放送されたから、東京市民は固よりのこと、国民は挙げて、若しもこれが実戦であったならば、その損害の甚大にして、しかもその惨状の言語に絶したことを、予想し、痛感したであろう。というよりも、こうした実戦が、将来決してあってはならないこと、またあらしめてはならないことを痛感したであろう。と同時に、私たちは、将来かかる実戦のあり得ないこと、従ってかかる架空的なる演習を行っても、実際には、さほど役立たないだろうことを想像するものである。
 
将来若し敵機を、帝都の空に迎えて、撃つようなことがあったならば、それこそ人心阻喪の結果、我は或は、敵に対して和を求むるべく余儀なくされないだろうか。何ぜなら、此時に当り我機の総動員によって、敵機を迎え撃っても、一切の敵機を射落すこと能わず、その中の二、三のものは、自然に、我機の攻撃を免れて、帝都の上空に来り、爆弾を投下するだろうからである。そしてこの討ち漏らされた敵機の爆弾投下こそは、木造家屋の多い東京市をして、一挙に、焼土たらしめるだろうからである。如何に冷静なれ、沈着なれと言い聞かせても、また平生如何に訓練されていても、まさかの時には、恐怖の本能は如何ともすること能わず、逃げ惑う市民の狼狽目に見るが如く、投下された爆弾が火災を起す以外に、各所に火を失し、そこに阿鼻叫喚の一大修羅場を演じ、関東地方大震災当時と同様の惨状を呈するだろうとも、想像されるからである。しかも、こうした空撃は幾たびも繰返えされる可能性がある。
 
だから、敵機を関東の空に、帝都の空に、迎え撃つということは、我軍の敗北そのものである。この危険以前に於て、我機は、途中これを迎え撃って、これを射落すか、またはこれを撃退しなければならない。戦時通信の、そして無電の、しかく発達したる今日、敵機の襲来は、早くも我軍の探知し得るところだろう。これを探知し得れば、その機を逸せず、我機は途中に、或は日本海岸に、或は太平洋沿岸に、これを迎え撃って、断じて敵を我領土の上空に出現せしめてはならない。与えられた敵国の機の航路は、既に定まっている。従ってこれに対する防禦も、また既に定められていなければならない。この場合、たとい幾つかの航路があるにしても、その航路も略予定されているから、これに対して水を漏らさぬ防禦方法を講じ、敵機をして、断じて我領土に入らしめてはならない。
 
こうした作戦計画の下に行われるべき防空演習でなければ、如何にそれが大規模のものであり、また如何に屡しばしばそれが行われても、実戦には、何等の役にも立たないだろう。帝都の上空に於て、敵機を迎え撃つが如き、作戦計画は、最初からこれを予定するならば滑稽であり、やむを得ずして、これを行うならば、勝敗の運命を決すべき最終の戦争を想定するものであらねばならない。壮観は壮観なりと雖も、要するにそれは一のパッペット・ショーに過ぎない。特にそれが夜襲であるならば、消灯しこれに備うるが如きは、却って、人をして狼狽せしむるのみである。科学の進歩は、これを滑稽化せねばやまないだろう。何ぜなら、今日の科学は、機の翔空速度と風向と風速とを計算し、如何なる方向に向って出発すれば、幾時間にして、如何なる緯度の上空に達し得るかを精知し得るが故に、ロボットがこれを操縦していても、予定の空点に於て寧ろ精確に爆弾を投下し得るだろうからである。この場合、徒らに消灯して、却って市民の狼狽を増大するが如きは、滑稽でなくて何であろう。
 
特に、曾ても私たちが、本紙「夢の国」欄に於て紹介したるが如く、近代的科学の驚異は、赤外線をも戦争に利用しなければやまないだろう。この赤外線を利用すれば、如何に暗きところに、また如何なるところに隠れていようとも、明に敵軍隊の所在地を知り得るが故に、これを撃破することは容易であるだろう。こうした観点からも、市民の、市街の消灯は、完全に一の滑稽である。要するに、航空戦は、ヨーロッパ戦争に於て、ツェペリンのロンドン空撃が示した如く、空撃したものの勝であり空撃されたものの敗である。だから、この空撃に先だって、これを撃退すること、これが防空戦の第一義でなくてはならない。(【青空文庫】初出:「信濃毎日新聞」1933(昭和8)年8月11日)
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