サツキ

【国民の「知る権利」とメディアの「報道の自由」】
思い出すのは、ジャーナリズム史に残る、
佐藤栄作元首相の退陣会見です。佐藤元首相は開口一番「テレビカメラはどこかね。どこにNHKがいる」と言い、「新聞記者の諸君とは話をしないことにしてるんだ。僕は偏向的な新聞が大嫌いなんだ。だから、直接、国民に話したい」と言って退席しました。会見場に再び戻ってきた佐藤元首相に、記者が正面から問いただします。「総理が『新聞はけしからん、テレビを優先しろ』というのは、我々は許すことはできません」。そして、記者たちは「出よう、出よう」と言って席を立ったのです。こうして元首相は記者が1人もいない会見場でカメラに向かって退陣の弁を述べることになりました。1972年のことでした。重要なのは、記者たちがテレビ、新聞、通信社の別なく全員、席を立ったことです。いま、同じ状況になったとしたら、記者たちはそろって抗議の意思を示すでしょうか。国民の「知る権利」に奉仕するという共通基盤がメディア内部から崩れているように感じます。

政権や与党の、意に沿わない報道は排除するという姿勢がこのところエスカレートしています。総選挙前に、在京テレビ局に「公平中立な報道」を求める文書を出す。アベノミクスについての街頭録画VTRが偏っていると、首相みずからが騒ぎ出す。さらに、自民党が「報道ステーション」など個別の番組内容について局幹部を呼びつけて事情聴取する――。そこにあるのは、批判や異論など耳障りなものは聞きたくないという狭量で幼稚な態度です。43年前の佐藤元首相のように、テレビを「持論を伝えるための道具」としか考えていないのではないでしょうか。かつて特派員として崩壊の過程を取材した旧ソ連では、ソビエト共産党が気に入らない放送が流れると、関係者を呼びつけて容赦なく処分していました。独裁的な権力ほどメディアに介入したがるのは、時代や体制を問わず共通しています。政府にとってメリットのある「政府益」と、市民の求める「公共益」は必ずしも一致しない。政府は往々にしてウソをつきます。だからこそ、権力を監視する番犬「ウォッチドッグ」としての役割が重要なのです。しかし、いまや、愛玩犬のようなメディアや記者が目につきます。メディアと権力の緊張関係はすっかり変質してしまいました。伝えるべきことを伝えず、政治の介入に毅然たる姿勢を示せないメディアへの不信も広がっています。ただ、みなさんは、日本のメディアがかつてのように「大本営発表」の垂れ流しに戻ることを望んでいるのでしょうか。(
金平茂紀 朝日新聞 2015年4月28日
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