14日付けのエントリで、私は、矢部宏治氏の週刊プレイボーイニュース掲載の「日本を支配する“憲法より上の法”の正体とは?」というインタビュー記事の論は「うそ」「ハッタリやホラ話」のたぐいにすぎないとする私の評価を述べておきましたが、その私の評価に関してKTさんという読者がさらに疑点を提起してこられました。以下、そのKTさんとの問答を一昨々日のエントリの続きとしてアップしておこうと思います。この「続き」の記事を通じて14日付けの私の問題提起ないしはそこで提起した論点はより明確になるだろう、というのが下記の応答のアップの理由です。
 
はじめにKTさんの14日付けの私の問題提起に関する疑念の提起から。
 
はじめまして。「日本人はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」を読んだだけなので、その範囲で書かせていただきます。「日米原子力協定の第十六条三項」と「国際条約と日本国憲法との法的関連性」についてです。
 
<国際条約と日本国憲法との法的関連性>
東本さんの前提は、「「条約の効力は一般的な法律よりも優先するが、憲法に対しては劣位にある」(wikipedia「条約」)というのが法学上の一般的解釈」です。が、矢部氏は、憲法より優先されている条約がある、と示しています。
 
その根拠が、砂川裁判。「日米安保条約のごとき、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度な政治性を有するものが、違憲であるか否かの法的判断は(略)裁判所の司法審査県の範囲外になると解するを相当とする」という最高裁判決でした。有名な判例でもあるので、私は疑問を感じませんでした。
 
<日米原子力協定>
第十六条三項で定められた「この協定が停止、終了した後も引き続き効力を有する」条文がほとんどであるというのは、質的にも量的にもほとんどのように見えます(引き続き効力有り・・・第1条・第2条4項・第3?9条・第11条・第12条・第14条。効力を失う・・・第2条1?3項・第10条・第13条・第15条・第16条)。
 
これを確認した上で、同協定第十二条四項を見ます。「どちらか一方の国がこの協定のもとでの協力を停止したり、終了させたり、〔核物質などの*〕返還を要求するための行動をとる前に、日米両政府は、是正措置をとるために協議しなければならない。そして要請された場合には他の適当な取り決めを結ぶことの必要性を考慮しつつ、その行動の経済的影響を慎重に検討しなければならない」(〔*〕は矢部氏による注記。第一項の「この協定に基づいて移転された資材、核物質、設備若しくは構成部分又はこれらの資材、核物質、設備若しくは構成部分の使用を通じて生産された特殊核分裂性物質」を示すと思われる)
 
・・・以上のように「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」の該当箇所を読み返してみると、「矢部さんの言うように「原子力政策については『アメリカ側の了承がないと、日本の意向だけでは絶対にやめられない』ようになっている」と、私は思ってしまうのです(ただし、第十六条三項の「適用可能ではない」場合とはどんな場合なのか・・・は、私は調べていません。日米開戦などのような場合なのか、もっと些細な場合なのか)。
 
矢部氏のこの本に「こうしたハッタリやホラ話で条約の有害性を説くのは人心を惑わせる」という印象があるのは、確かです。私自身、惑わされているような気もしているので、まずは、東本さんのように否定的に論じている方々のブログを中心に拝見していこう、と思っています。
 
以下は、上記のKTさんの疑点の提起に関する私の応答。
 
KTさん、コメント拝見しました。ありがとうございます。KTさんは「国際条約と日本国憲法との法的関連性」の問題と「日米原子力協定第十二条四項に基づく協力の停止、協定を終了させる場合の是正措置」の問題の2点に論点を絞られて疑点を提示されていますので、同2点の疑点に関して私の考え方を述べてみます。
 
第1。KTさんは「憲法より優先されている条約がある」という矢部氏の論を否定できない理由として、砂川裁判の際の「高度な政治性を有する国家の行為については司法審査の対象から除外する」という有名な最高裁判決の統治行為論を例にあげておられますが、統治行為論は、「裁判所は政治的に中立であるべき」という裁判所の性質上の問題や裁判所が違憲・違法と判断することにより生ずる政治的混乱を回避するための法政策的観点から派生してくる(ウィキペディア「統治行為論」)いってみれば便宜のための論(便法)であって、法令の優先順位とは無関係です。したがって、統治行為論をもって「憲法より優先する条約」が存在する論拠とすることはできないと考えます。ただ、現実は、対米追随というのが日本と米国の属国的な政治的関係性ですから米国と締結した条約(たとえば安保条約)は強固で、力関係的には、あるいは実態的には憲法を凌駕している(ように見える)というだけのことのように思います。あくまでも「条約の効力は一般的な法律よりも優先するが、憲法に対しては劣位にある」というのが日本における憲法と条約の優劣関係の法学上の一般的解釈だろう、というのが私の憲法理解です。すなわち、安保条約であれ、日米原子力協定であれ、政府の決意しだいでは廃棄することもできるし、終了させることもできるということです。そうでなければ独立国家の体はなさないでしょう。先にも書きましたが、矢部氏の論は実態論でしかないものを決定論(あるいは本質論)のようにいうもので誤まった論である、というのが私の見方であり、評価です。
 
第2。第1の論点とも関係するのですが、「アメリカ側の了承がないと、日本の意向だけでは絶対にやめられないようになっている」かそうでないかは憲法と条約の法令上の優先順位をどのように見るかということに関わってくるでしょう。「憲法は条約より優位」という日本の法学上の一般的解釈の立場、すなわち常識的な立場に立って、憲法と日米原子力協定の優先度の問題を考えれば「アメリカ側の了承がないと、日本の意向だけでは絶対にやめられないようになっている」などとはとても解釈できるものではない、というのが私の解釈です。 
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