小澤俊夫さんという人は私はよく知らないのですが、「リベラル21」というリベラルを標榜するネット・メディア紙に定期的に記事を執筆しているところから察して一応「リベラルの人」と評価すべき人なのでしょう。インターネット百科辞典のウィキペディアにはドイツ文学研究者で筑波大学名誉教授とあります。また、ご本人のつけた肩書きには「小澤昔ばなし研究所所長」とあります。その「リベラルの人」である小澤さんが「リベラル21」の2015年4月13日付けで「天皇・皇后ご夫妻の精いっぱいの意思表示」という記事を書いています。以下のようなものです。
 
天皇・皇后ご夫妻がパラオ群島に慰霊の旅をなされた。あの大戦中に少年時代を過ごされた天皇陛下が長年にわたって実行してこられた、慰霊の旅の一環である。新聞報道によれば、天皇陛下は出発に先立ち、皇太子、秋篠宮、安倍首相らを前に、「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」と述べられたということだ。この言葉は明らかに「そして、この多くの犠牲者のおかげで私たちが獲得した日本国憲法をきちっと守っていくことが大切なのです」と続くはずの言葉である。しかし、天皇・皇后ご夫妻としては、日本国の象徴なのだから、そこまでは言えないと思って、遠慮なさったのであろう。ぼくはそこまで言ってもらいたかったと思うが、それは理解する。しかし、そこまで言わなくても、天皇・皇后ご夫妻が平和憲法を守ろうと思っておられることは、誰でも推測できることである。そして天皇陛下のこの言葉は、今、アメリカ、ドイツ、中国、韓国が日本の安倍政権に対して言っている「過去の歴史を歪曲するな」「歴史を直視せよ」という批判と同じことを言っているのである。マスメディアには、この関連を強く指摘してもらいたいと思う。そうでないと、天皇・皇后ご夫妻が精いっぱい言われたその心が、国中に広がっていかないからである。ぼくらは、みんなで、天皇・皇后ご夫妻の志をサポートしようではないか。(以下、略)(リベラル21 2015.04.13

天皇・皇后に対して「なされた」「過ごされた」「陛下」などの最高敬語を用い、内容的にも天皇の言葉を至上の言葉のように解釈し、読者(一般市民)に対しては「ぼくらは、みんなで、天皇・皇后ご夫妻の志をサポートしようではないか」と呼びかけています。
 
しかし、天皇の「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」という言葉を「この言葉は明らかに『そして、この多くの犠牲者のおかげで私たちが獲得した日本国憲法をきちっと守っていくことが大切なのです』と続くはずの言葉である」。「天皇・皇后ご夫妻としては、日本国の象徴なのだから、そこまでは言えないと思って、遠慮なさったのであろう」などと解釈するのは正しい解釈と言えるのでしょうか?
 
産経新聞によれば、小澤さんが例として挙げる天皇の羽田空港における出発式でのスピーチの全文は以下のようなものです。それほど長くはないので全文を引用します。
 
本年は戦後七十年に当たります。先の戦争では、太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ、数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことが深く偲(しの)ばれます。私どもはこの節目の年に当たり、戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ、パラオ共和国を訪問いたします。パラオ共和国は、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国と共に、第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが、戦後、ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により、我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ、我が国から多くの人々が移住し、昭和十年頃には、島民の数より多い五万人を超える人々が、これらの島々に住むようになりました。終戦の前年には、これらの地域で激しい戦闘が行われ、幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで、この戦いにおいて日本軍は約一万人、米軍は約千七百人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。この度のパラオ共和国訪問が、両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の、更なる発展に寄与することを念願しています。私どもは、この機会に、この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに、パラオの国の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に、慰霊碑や墓地の清掃、遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し、大統領閣下始めパラオ国民に、心から謝意を表したいと思っております。この訪問に際し、ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり、パラオ国大統領御夫妻と共に、ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。終わりに、この訪問の実現に向け、関係者の尽力を得たことに対し、深く感謝の意を表します。(産経新聞 2015.4.8

小澤さんは上記の天皇のスピーチ全文のうち「太平洋に浮かぶ美しい島々で・・・」という言葉を「日本国憲法をきちっと守っていく」決意の言葉として受けとめるのですが、元新聞記者の「アリの一言」ブログの主宰者は天皇のスピーチのはじめの部分の「祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ人となった人たちが深く偲ばれます」という一節に着目した上で「耳を疑う発言です。南島で戦死した兵士は、『祖国を守る』ために戦地へ行ったのか。そうではありません。日本帝国主義の侵略戦争のために、その戦線を守るために派兵され、玉砕したのです。侵略戦争を『祖国防衛戦争』であったかのようにいい、戦争責任を棚上げすることは許されません」というコメントを述べています。「アリの一言」ブログ主宰者のように天皇のスピーチのはじめの部分の一節に着目すれば小澤さんのような極端に主観的な天皇のスピーチ解釈は出てこようもないもののように私には思われます。小澤さんのような天皇のスピーチ解釈は「リベラルの人」の天皇のスピーチ解釈とはとても思えません。連想するのは天皇の「勅命」(その多くは間接的なものだったでしょう)を現人神の言葉として直立不動で奉勅する軍人の姿です。しかし、いまや、いうまでもなく軍人の時代ではないのです。
 
小澤さんの天皇に対する姿勢にとても「リベラルな人」のものの見方を見出すことはできません。そこに見出せるのはリベラルの「右傾化」です。あるいは「右傾化」思想と呼ぶべきものです。その「リベラルの総右傾化」とでも呼びたい現象がこの国全体をいかに「右傾化」させているか。いまという「右傾化」の時代がそのことを雄弁に証明しています。ひとつ前の記事でも書きましたが、社民党が自民党を支持しても平然としているという大分の風潮はまさにそのことの雄弁をさらに二乗する証明になっているでしょう。
 
私は小澤さんの上記の記事を読んだ同じ日に弁護士の澤藤統一郎さんの「主権者としての主体性を鍛えようーいささかも天皇を美化してはならない」という記事も読みました。澤藤さんの記事は「天皇を美化」することの危険性をさらに弁護士らしい観点から詳説しています。以下、澤藤さんの記事の最後の章節を引用しておきます。含蓄のあるサジェスチョンとして私は受けとめました。
 
戦後社会の支配の仕組みにおける、象徴天皇の利用価値を侮ってはならない。現天皇の意思を忖度して君側の奸を攻撃する類の言説をやめよう。親しみある天皇像、リベラルな天皇像、平和を祈る天皇像は、「天賦民権・民賦国権」の思想を徹底する観点からは危険といわざるを得ない。もちろん、「恩賜の民権」などの思想の残滓があってはならない。われわれは、主権者として自立した主体性を徹底して鍛えなければならない。そのためには、天皇の言動だけでなく、その存在自体への批判にも躊躇があってはならない。(澤藤統一郎の憲法日記 2015年4月13日
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