「アリの一言」(「私の沖縄日記」改め)ブログを主宰するK・サトルさんの下記の天皇の「お言葉」批判は20年ほど前まではごくふつうの天皇の「お言葉」批判というべきものだったでしょう。それがいまはそうではない。天皇皇后のパラオ訪問の本質を突いている論として光って見えるのです。どのように光って見えるのか。ご自身の目で確かめるためにまずは「アリの一言」ブログ主宰者の論をお読みください(改行と強調箇所は引用者)。

天皇皇后のパラオ訪問ー「戦争責任・謝罪」なき「追悼」
(アリの一言(「私の沖縄日記」改め) 2015年04月09日) 

天皇と皇后のパラオ訪問(8~9日)(略)の論調は例外なく、「両陛下のお気持ちを私たちもよく考える必要がある」(古舘キャスター)など、「平和を願う慰霊の旅」として賛美・絶賛するものです。しかし、天皇・皇后のパラオ訪問は、はたしてそのように評価できるものでしょうか。
美化された映像・報道の裏で、重大な問題が不問に付されていると言わざるをえません。天皇は8日の晩さん会でのスピーチでこう述べました。「先の戦争においては貴国を含むこの地域において日米の熾烈な戦闘が行なわれ、多くの人命が失われました。日本軍は貴国民に、安全な場所への疎開を勧めるなど、貴国民の安全に配慮したと言われておりますが、空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした」日本軍はパラオ住民の「安全に配慮」したが「犠牲者」が出たのは「痛ましい」と、まるで他人事のようです。しかし、パラオ住民が犠牲になったのは、戦争に巻き込まれたからにほかなりません。その戦争の最高責任者は誰だったのか。言うまでもなく、現天皇の父である昭和天皇です。(略)

昭和天皇と
パラオの激戦」との間には、たんに戦争の最高責任者であったというだけではない特別な関係がありました。中川州男ペリリュー島守備隊長以下日本軍の「徹底抗戦」の背景に、天皇の異例の“後押し”があったのです。「中川守備隊長は毎日、ペリリュー本島のパラオ地区集団司令部へ戦況を無線で報告した。それが大本営へ転電された。大本営はつとめてそれらを公表し、そのつど新聞紙上を飾った。太平洋戦争としては珍しく同時進行の大本営発表がおこなわれたわけである。ついには天皇も、『今日のペリリューはどうか』と側近に尋ねるほど、高い関心をもって見守られた。戦闘中に守備隊に対する“御嘉尚(ごかしょう)”は11回におよんだという。1回や2回というケースは少なくないが、11回とは異例だった。御嘉尚とは、『よくやった満足だ』という天皇のおほめの言葉である。こういう場合は万難を排して部隊に伝達されたのである」(前掲『図説 玉砕の戦場』)結果、膨大な死者を出しました。昭和天皇はペリリュー島の「徹底抗戦」を11回もほめちぎり、それに新聞も一役買って、日本全体の「戦意高揚」を図ったのです。

天皇・皇后のパラオ訪問が、まるで他人事のようになった根源は、実は出発前に天皇が行った
スピーチ(羽田空港)に表れていました。天皇はこう述べました。「祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ人となった人たちが深く偲ばれます」耳を疑う発言です。南島で戦死した兵士は、「祖国を守る」ために戦地へ行ったのか。そうではありません。日本帝国主義の侵略戦争のために、その戦線を守るために派兵され、玉砕したのです。侵略戦争を「祖国防衛戦争」であったかのようにいい、戦争責任を棚上げすることは許されません。裕仁天皇の長男であり、父から「天皇制」について折に触れて教育を受けた明仁天皇が、天皇の侵略戦争の責任、現地住民や沖縄、朝鮮人への差別に目をそむけ、多大の犠牲を生じさせたことに「謝罪」の言葉もないまま、慰霊碑に供花しても、それは真の追悼とはいえないのではないでしょうか。

「アリの一言」ブログ主宰者は「安全に配慮」という言葉、「犠牲者」という言葉、「痛ましい」という言葉の連関を読み逃していません。だから、「まるで他人事のようです」と天皇の言葉の無自覚ゆえの虚を明徴にすることができています。そのことを明徴化しえているゆえに「『謝罪』の言葉もないまま、慰霊碑に供花しても、それは真の追悼とはいえない」と天皇の「お言葉」を批判する視点を獲得することもできているのです。
 
対して、いわゆるリベラル・左派の天皇評価とはどういうものか。あるひとりのリベラル・左派のブログ主宰者の天皇評価は次のようなものです。まず「戦後70年にあたり戦没者を慰霊し平和を祈念」という天皇、皇后のパラオ訪問時の写真が飾られてその下に以下のような賛辞が添えられています。
 
いつも思うのですが、お二人の表情が年々美しくなっていく。明仁天皇と美智子皇后は黙々と平和のための活動をされていますが、ここまでお二人が頑張らないといけないのは、今の日本の元首が安倍首相だからじゃないでしょうか(天皇が元首と言うのは少数説。元首は国の象徴であると同時に、政治的権能がないといけないから)。(Everyone says I love you ! 2015年04月08日
 
「お二人の表情が年々美しくなっていく」というのはわからない感想ではありませんが、先の戦争におけるパラオ住民の惨禍について自らの国の戦争責任に無自覚なままに「まるで他人事のよう」に言う天皇のパラオの晩さん会における「お言葉」に対する批判の視線はつゆほどもありません。この人も戦争責任について天皇と同様無自覚というべきであり、これが私たちの国のいまの一個のリベラル・左派のふるまいのありようなのです。
 
ここから私たちはなにを反省するべきなのでしょうか? 「荒れ野の40年」と邦訳された1985年の有名な演説の中でワイツゼッカー元ドイツ大統領は次のように言っていました。その言葉を置いておくことにします。
 
過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも、目を閉ざすこととなります。
 
非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、またそうした危険に陥りやすいのです。
 
そして、不遜ながら以下の私の言葉をつけ加えておきたいと思います。
 
たとえそれが無自覚的な行為であったとしても。

追記:
人を「腐す」という所為は精神衛生上心地よいものではありませんし、もうこれ以上は書くまいと思っていましたが、孫崎享氏の以下のツイートを見て改めて煮えたぎるものを感じましたので以下追記しておきます。池田香代子さんのリツイートも付加しておきます。

・内田樹Twitterリツイート(2015年4月10日)

・池田香代子Twitterリツイート(2015年4月08日)

孫崎享氏のツイートするWSJの記事にはパラオの海の彼方の戦没者の亡骸に深々と礼を尽くす天皇と皇后の写真がクローズアップされています。また、小川一氏(毎日新聞東京本社編集編成局長)のツイートする毎日新聞の社説記事には「両陛下パラオへ 終わりなき平和の祈り」という見出しと「戦後70年の節目にあたり、激戦地に倒れた多数の戦没者を慰霊し、平和を祈る旅である」「両陛下の戦没者慰霊と平和への深い思いには、長い歩みがある」というリード文が置かれています。

そのそれぞれのツイートをリツイートする内田樹氏と池田香代子さんにもおそらく同感の思いがあるのでしょう。だから、リツイートする。これがいまのリベラル、あるいは左派の代表的(=有名)とみなされている人たちの思想状況なのです。そこにはパラオにおける天皇の「お言葉」に対する批判の視点など微塵もありません。いまという時代の「右傾化」の様相をよく示している事例というべきでしょう。そうした「右傾化」は、いわれるような革新的な「大同団結」に結びつくようなものではなく、逆に戦争へのポイント・オブ・ノーリターン(帰還不能地点)の道をさらに突き進んでいくだけのことにしかならないだろうというのが私の判断であり、私の「いま」という歴史の見方です。
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