先日、私は、「ちきゅう座」というブログについて、「石(玉石混交の「石」)の投稿が多い」という批判を書きました。そしてその際、「それは編集者の目の問題が大きい」という批判もつけ加えましたが、その傾向はますます顕著になっているようです。

「最新記事」と銘打って掲載している記事である以上、同記事は筆者自らが手がけた(あるいは筆者の独自の見解を述べた)記事であるべきですが、メディアに掲載された記事の単なる転載だけであったり、誰かを批判する記事である場合にはその批判の対象の記事で展開されている「論」の反批判であるべきですが、「論」の内容批判ではない単にその対象記事を書いた「人」を中傷するだけというレベルの記事ともいえない記事が多い。このブログの編集者の目は実のところ「編集者の目」ではありません。編集者のなんたるかをまったく心得ていない人の目、単なるプロパガンダの人の目というほかないものです。

「最新記事」紹介サイトとして「ちきゅう座」というブログの失格宣言をしておきたいと思います。もちろん、以上の意見は、私の目によるものです。
 
さて、「ちきゅう座」というブログのプロパガンダの主は「反原発」というべきものですが、その主張は、「除染して、福島に住む」(安斎育郎氏ら)ことの否定。すなわち、「原発大惨事が産み出す人工放射性微粒子による低線量放射線内部被曝から子どもを守る」ためには「ここ(福島)で暮らし、子どもを育てる」ことはできないというものです。
 
そうした主張(主観的には「善意」の)がいかに福島に住み続けている人たちを傷つけているか。以下は、そのことについて「福島」に関わり続けている 絵本作家、社会学者、医師の3人のそれぞれの声であり、主張です。そして、その3人の声の紹介が私の上記の「ちきゅう座」ブログ失格宣言のもう少し具体的な本論ということにもなります。反論しようとするのではなく、耳を澄ませてお聴きいただければ幸いです。

ふくしま
主人公まやを福島の小学校の同級生たちが「おかえり」と迎える場面
「ふくしまからきた子 そつぎょう」(絵本作家・松本春野) 
 
おひとり目。
 
インタビュー「フクシマを描く善意が差別や偏見を助長したかも」 絵本作家の松本春野さん(毎日新聞 2015年04月07日)
 
福島で生活する人から学びたい
 
絵本作家、松本春野さん(31)の新作絵本「ふくしまからきた子 そつぎょう」(父の松本猛さんとの共著、岩崎書店)が話題を呼んでいる。東京電力福島第1原発事故後、福島から広島に母と避難することを選んだ主人公の少女「まや」が、自分が通っていた福島の小学校の卒業式に戻ってくるという物語だ。反原発運動に参加する松本さんは、福島での取材を通じて「(反原発運動は)もっと福島で生活を送る人の声から学ぶべきだ」と感じたという。絵本作家、いわさきちひろの孫として注目された松本さんが福島での取材で何を感じ、どう考えが変化したのか。思考の軌跡をロングインタビューでお届けする。【聞き手・石戸諭/デジタル報道センター】
 
「福島」と「広島」 象徴的に重ねたが……
 
−−「ふくしまからきた子 そつぎょう」は前作「ふくしまからきた子」の続編です。前作から「そつぎょう」までの3年間、松本さんの間でどのような意識の変化があったのでしょう。
 
松本さん 2011年の夏に、私は福島県飯舘村から避難した小学校に取材に行きました。原発事故後の混乱や避難の話を聞いたのが前作の取材でした。母子避難をした子供たちの話を聞く中で福島から広島に母子避難を選ぶ主人公の姿が決まってきた。
 
前作は「ふくしまからきた子」と呼ばれた、まやが友人に受け入れられ、「まや」と呼ばれるまでの物語です。主人公はサッカーが好きな少女だけど、事故で傷つき、ボールを蹴ることに消極的になる。登場人物の男の子が2011年に活躍していたサッカー選手の名前を挙げながらリフティングをするシーンを冒頭に入れました。これは2011年の作品であることを強調するためです。物語全体のトーンも暗く、うつむいている子供の顔を表紙にしています。原発事故で、子供たちの心に与えた影響や不安を表現している作品といえるでしょう。
 
当時、私も混乱していました。初めて聞く、ベクレルやシーベルトといった単位に驚き、困惑し、そもそも「安全」なのか「危険」なのか。極端な情報が飛び交い、まったく判断ができない。その中で「子供」に向かって作品を描き続ける絵本作家として「福島の子供たち」を守る作品を作る。それが自分の使命だと思っていました。
 
今から思えば「ふくしまからきた子」というタイトル自体、「福島への差別を助長する」と思われても仕方ないですね。福島は広いし、放射性物質の汚染状況も違う。一律に語れないのに、私の意識の中で「『福島』に住んでいるのは危ない」「避難したくてもできない人ばかりなんだろう」「みんなが避難を選択したほうがいいのではないか」という思いがあった。それがタイトルや作品ににじんでいます。
 
避難を選択した方からは「よく描いてくれた」「自分たちのことを描いてくれた」と共感の声も寄せられました。一方で県内の人からは「つらくて表紙を開けない」「福島に残ることを否定されているようだ」という声も寄せられました。この声はずっと心に残っていました。
 
−−広島に避難するというのも象徴的です。
 
松本さん 「見えない放射能」「被ばく」というという事実から「広島」と「福島」を象徴的に重ねて描くという手法を採りました。当時はこれが最善だと思っていましたが、今では重ねられることで見えなくなる問題もたくさんあったと思います。
 
福島からの声を聞いて「もっと福島のことを知らないといけない」と思い、前作出版後に父と機会を見つけて、福島取材を続けました。
 
福島の人は「真実を知らないだろう」と思っていた
 
−−どのように取材を進めたのでしょうか?
 
松本さん 父が関わる「ちひろ美術館」のスタッフにたまたま福島出身の人がいて、そのお子さんの担任だった先生を訪ねることから取材を始めました。その先生は当時、伊達市立富成小学校の校長先生だったのです。その先生が伊達市や川俣町、飯舘村などいろんな学校の先生を紹介してくれた。そこから一人一人を訪ねて、子供たちの状況や学校の対策を聞いて回りました。
 
その他にも福島市渡利地区の「さくら保育園」、ツイッターでつながった福島市や二本松市のお母さん、美術館の職員や図書館の司書さん、反核・反原発運動に関わる人……。関係を作って、お話を伺いました。
 
これも今から思えば、前作を出版してからも私は取材でずいぶんと失礼なことを重ねたと思っています。「普通の生活を取り戻した」という話はメモを取らず、生活を取り戻すための努力に関心を示さなかった。「まだ、大変なことがあるのでは」としつこく聞いていました。「放射線に対する不安」が出てくると熱心にうなずき、「不安」に対処するために放射性物質を徹底的に測るという対策については共感を示さない。福島の人が悲しい顔をすることを期待していたんですね。そういう心の動きが顔に出ていたと思う。ひどい話です。
 
自分で認めるのはつらいのですが、心のどっかで福島の人を見くびっていたのでしょう。「たぶん、真実を知らないのではないか」「放射線に慣れてしまっただけでないか」と。
 
「福島に住む人は無知じゃない」 足りなかった想像力
 
−−「見たい福島の姿」だけを見ていた?
 
松本さん そうそう。でも、福島に関するデータがだんだん明らかになってきましたよね。
 
安斎育郎先生(立命館大名誉教授、放射線防護学。国の原発政策に批判的姿勢をとる)が除染や放射性物質の計測をアドバイスしてきたさくら保育園でも、国が出すデータを最初から信用せずに徹底的に再計測していた。そういう姿をみると、だんだん疑問も湧いてくるわけです。「あれ、なんか違うぞ」って。すごく詳しく計測の仕方を教えてくれるし、データについての解説も細かい。「国にだまされて、安全だと思い込まされているから福島に住んでいる」わけじゃないんですよね。
 
ある図書館の司書さんは涙を流しながら話してくれました。彼女の家庭にも小さなお子さんがいる。夫と一度は福島市内から避難を検討していた。でも、自分は図書館の鍵を最後に閉めるのが仕事だと。子供たちがいる中、自分から先に避難するわけにはいかない。放射線について勉強し「いまの線量なら避難はしない」と決断したそうです。
 
この決断を不勉強だと誰が責められるのか、と深く考えてしまいました。
 
福島に住むと決めた人は無知だから決めたわけじゃない。私たちが考えていたことよりたくさん勉強して、考えていた。当たり前ですよね。そんな当たり前のことすら私の想像力は及んでいなかったのです。
 
私が唯一、良かったのは「福島に何かを与えよう」というスタンスを取らなかったことです。特定の目的を持って福島に入らず、「福島の現実をみて学ぼう、福島から持って帰ろう」と。そこはぶれなかったですね。
 
「現場は複雑」 安易に考えていた
 
−−松本さんの考えが「ここで変わったな」という場所やエピソードはありますか?
 
松本さん 福島県中通りのある小学校でプールを再開した話ですね。当時の校長先生から伺った話です。除染が終わって線量が下がった時点で、プールに入れるかの判断を迫られた。この小学校は山あいの学校で、当時線量が高かった。そこの学校は授業として近くの林にワラビ採りに行くんですよ。自然環境を生かした中で教育活動をするのが特徴なんですね。これは原発事故後、できなくなった。山の木々が放射性物質で汚染され、線量が高いからです。学校が大事にしてきたものが奪われ、その上プールにまで子供を入れないのか。
 
線量が低い近くの小学校は(児童の)人数がとても多く、保護者がまとまらなかったからプール再開を見送っていた。でも、その小学校は幸いにして少人数の学校でした。保護者と教職員が話し合いを重ね、専門家による勉強会も開いた。徹底した除染を行った上に、数値の計測を重ねて、みんなで納得した上でプールを再開する決断をしたのです。つらい事故だったのは間違いない。でも、除染を重ね、プールが再開できるところまでこぎつけた。とても喜ばしいことだったでしょう。
 
しかし、これがニュースになり、報道されたとき、状況を知らない外の人たちから批判的な電話があったといいます。「福島の水を使うなんてとんでもない」「子供を守っていない」という趣旨だと思います。当時は私も「大丈夫かな」と思っていたので、こうした意見を批判できませんが。
 
でも、さくら保育園の先生方も強調していましたが、「鉛の箱で子供は育たない」のです。閉じ込めているだけでは子供たちの精神は参ってしまう。これも現実です。きっと福島のいろんな保育園や学校であった一歩一歩の前進が理解されない。
 
子供が遊べる環境があることが最善です。それを取り戻すため学校と保護者が協力してきた学校がある。一方で、みんなの納得や合意を積み上げるには時間がかかります。学校ごとに違う課題があり、考えながら決断している。どの学校の判断が正しいかという話ではなく、現場はとても複雑であり、慎重な判断をしているということを強調したいです。批判にありがちな「福島を安全だとアピールしたいから」といった単純な話ではない。過度に単純化してきたことについては私も同じです。想像力を使って、先生方や保護者の気持ちを考えると当時、安易に考えていた自分を責めたくなります。
 
−−「そんな場所なら避難をすればいい」という声も聞きますね。
 
松本さん 正直、私もそう思っていた時期はありました。私は東京で生まれ育っていますし、転勤も身近なものでした。「家」や「土地」に縛られない考え方の家庭で育ちました。
 
でも、取材で訪れた福島県伊達市の霊山地区に古くからある家の方を訪ねたとき、家にずらっとご先祖の写真を並べてあるのを見て、感じるものがありました。土地や家の持つ意味はそれぞれに違う。避難すればいいってものじゃない。線量や計測を重ねて、その土地に暮らすことを選択した人がいるという事実は、私が単純に考えていたより重いものなのです。
 
県内の先生たち、職員、メディア関係者もみんな「当事者」なんですよね。職場を離れたら、親であり、生活者です。子供や親……といった自分以外の誰かを考えるのは当たり前なんですよね。だから東京で暮らす私が疑ってかかることなんて、みんなとっくに疑っている。だから自分で数字と向き合い、決めてきた。決断の積み重ねが今なんです。
 
子供のはじける笑顔を描くことは難しい
 
−−取材を通じ「事実」を知って考えが変わった。そこで描かれた「そつぎょう」にはさまざまな意味が込められている、すごく象徴的な言葉です。
 
松本さん 一つは文字通り、まや、そして同級生が小学校を「そつぎょう」していく。それも笑顔で卒業する。この話を描くときに私の中で、一つだけ決めていたことがありました。前作はうつむいた顔が中心だったけど、取材に行った小学校で子供たちは日常を取り戻そうと努力を重ねる親や先生たちの背中を見て、とてもいい笑顔を浮かべていたのです。その笑顔を描こう、と。
 
言い方は悪いけど、子供のうつむいた顔を描くのって実は楽なんです。社会問題を扱った作品に限っていえば「かわいそう」だと思われる絵の方が受け入れられることが多い気がします。
 
逆にはじける笑顔はとても難しい。技術的にも難しいし、このテーマなら「原発事故を軽く考えている。何もわかっていない絵本作家」という批判は避けられない。でも前作を描き、いろんな福島の子供を取材した以上、作家として責任があります。そこからは逃げられない。
 
母子避難を選んだまや、家族にとって原発事故はやっぱり悲しい思い出です。だから、事故を思い出す場面はモノトーンになります。原発が爆発したニュースを見守るまやの母親はおばあちゃんの背中をさすっています。家族がつながっていたまやの一家にとって、避難は苦渋の選択だったのです。
 
「おかえり」に込めた思い
 
−−主人公まやを福島の小学校の同級生たちは「おかえり」と迎えます。その場面は印象深いページです。
 
松本さん まやだって避難した小学校に受け入れられるか不安だったと思います。「あの時期に逃げたと思われないか」と。一方で避難先では「ふくしまからきた子」と呼ばれ、自分の名前で呼ばれないつらさを味わった彼女にとって、この小学校は「まや」と呼んでもらえる大事な場所です。
 
子供たちにとっても、久しぶりに見るまやの姿はうれしかったのでしょう。みんな、走って駆け寄り、抱きしめながら「おかえり」といって迎え入れた。避難も一つの選択であり、帰ることも一つの選択です。いろんな価値観があり、人それぞれの選択がある。どんな選択も肯定する。そうした思いを込めました。だから、まやの帰宅は一時的なのか、もう広島から戻って中学校は同じところに通うのか。そこは想像にお任せしています。ぜひ、お読みいただいた上で、思い描いてほしいなと。
 
「おかえり」は大事なんですよ。さきほどお話しした司書さんのところにも、避難から一時的に戻ってきた子供を持つ親から相談があるそうです。「子供が『(避難した)自分が図書館に行っていいかわからない』って悩んでいる」と。司書さんは「みんな一度は悩んだことだから気にせずおいで」って答えたと話してくれました。子供たちの気持ちは私たちが考えている以上にずっと繊細なんですよね。子供たちにとって「おかえり」がどんなに大事な言葉か。わかってもらえると思います。
 
−−モデルの一つになった富成小学校の卒業式にも実際に出席しましたね。
 
松本さん お世話になった先生は別の小学校に異動してしまいましたが、その先生が実際に卒業式で語った言葉を絵本の中に使いました。実際に描くときにモデルになった子供たちが笑って卒業していく。保護者でも先生でも、職員でもないけど印象深いです。11人の卒業生、一人一人に絵本を手渡せて本当に良かった。みんなのおかげで描けた、ありがとうって思いました。
 
「そつぎょう」では学年ごとの思い出を見開きのページごとにまとめているのですが、ハイキングの川遊びなんかは実際に子供たちの声を聞いて、様子を想像して描いたものです。子供たちの声は絵本にかなり反映されています。
 
「善意」のつもりが差別や偏見を助長と痛感
 
−−「そつぎょう」という言葉は、「偏見」を持って接していた松本さんの姿勢にもかかっている。
 
松本さん そうです。私の4年間は原発事故に怒り、悲しみ、そこから学ぶ4年間だったといえるでしょう。イメージの「フクシマ」から現実の「福島」の姿を描くための4年でもあった。4年前の事故直後からイメージする「フクシマ」と「福島」は違います。
 
私の前作は「フクシマ」を反核の象徴として描くという意味合いを持たせてしまった。それはそれで一定の意味を持っていました。
 
しかし、もっと大事な日常の「福島」の姿を描かず、避難という選択を「フクシマ」を描くために利用してしまったかもしれない。あまりに旧来的な描き方をしてしまった。
 
こうした描き方は長年、福島県内で反核運動や反原発運動に取り組んできた人たちからも批判されました。善意のつもりが、差別や偏見を助長する役割を果たした側面もあるのでは、と痛感します。
 
先にお話しした福島からの反応がすべてでしょう。もう、そういうことはやめにしたい。
 
福島に住むことに「罪悪感」を抱かせるような運動でいいの?
 
−−「そつぎょう」を描き終えた後、参加した反原発運動の集会で行ったスピーチもすごく反響がありました。課題は個別にあるにもかかわらず、ひとくくりに「福島」を語ってしまう。そんな語り方への疑問であり、「おかえり」の場面に象徴されるように分断を乗り越えたいという松本さんの意志を感じます。
 
松本さん 主催団体から頼まれてから、かなり悩んだんですよね。言うべきことを整理するために、原稿を書いて持っていこうと思っても、直前まで書けなかった。覚悟を決めて、これだけは言おうと思ったことを書き連ねました。
 
私は当初から反原発デモにも参加していますし、政治的な立場で言えば「脱原発」。事故が1回起きたら取り返しがつかないし、分断も深まるし、面倒な問題をいっぱい起こす。他のエネルギーに替わってほしいと思っています。
 
でも、反原発運動の中に「福島は住めない」「福島県産食品は危険だ」といった差別的な表現があったのは事実です。それは今でも残っています私はそこには絶対、賛同できない
 
「私たちは、もっと、福島に暮らす人々の声から学ぶべきなのではないのでしょうか」と呼びかけました。複雑な問題を理解することは時間がかかります。でも、同じように原発に反対する気持ちを持ちながら、福島の方に「県外の反原発運動の発信を見ていると心が折れる」と言わせてしまう。福島の内と外で分断を深めているのは誰なのか。もっと私たちは問わないといけないと思います。
 
反原発のために広大な福島を住めない土地にする必要はありません。浜通り、中通り、会津の地方ごと、自治体ごと、地区ごと、個人ごとに問題は違います。福島に住むことに罪悪感を抱かせるような運動でいいのか。そこをもっと問わないといけない。
 
差別や偏見を助長するような運動からも「そつぎょう」が必要なのです。
 
「個別の声」に耳を傾けよう
 
−−反原発運動に限らず、福島をどう語るかは常に見直しが必要です。
 
松本さん 生まれたときには亡くなっていましたが、私がいわさきちひろから学んだことがあります。それは「北風と太陽」があるなら、ちひろがそうであったように私も「太陽」の立場を取りたいということです。批判は大事ですが、強く、激しい言葉だけで人はつながれない。語り方は常に考えないといけません。
 
運動に関わる人は少数派(マイノリティー)の存在は尊重されないといけないと考える人が多い。私も基本的にそうした考えに賛同しています。だから「福島に残って生活している人の声も避難した人の声も多様だ。でも、全国にまだ十分に届いていない。『福島の声』は日本全体から見れば『少数派の声』なのだから、まずは耳を傾けよう」と呼びかけていきたいです。
 
多様なはずのものを一つにまとめていくようなやり方ではなく、個別に耳を傾ける。そして、福島に実際に行く。私も、継続的に福島に関わっていきたいと思います。
 
おふたり目。
 
「福島へのありがた迷惑12箇条」~私たちは福島に何が出来るか?~――俗流フクシマ論批判(開沼博 cakes(ケイクス) 2015年02月28日)
 
更新されるたびに賛否両論、大きな反響を巻き起こした「俗流フクシマ論」。前回で連載に一区切りがつきましたが、今回はその「番外編」です。私たちは福島にいかに関わればよいのか? いかに関わることが出来るのか? 社会学者の開沼博さんは、私たちが掛けてはならない迷惑と、私たちが出来る三つのことを、具体的にあげています。(略)
 
なぜ話が噛み合わないのか?
 
「福島を応援したい」「福島の農業の今後が心配だ」「福島をどうしたらいいんですか」
 
こういう問いを福島の外に暮らす人から何度も投げかけられてきました。
 
ごく一部にではありますが、こういう問いを過剰に威勢よく投げかけてくる人もいます。
 
どう「過剰」なのかというと、その人は「問いがある」んじゃなくて、「主張したいことがある」ようにしか思えないことがある。
なんでそれに気づかされるかと言うと、会話が噛み合わないからです。
 
それらの問いに対して、私は本連載で書いてきたようなことを答える。
「農業はこういう現状です。今後はこういうことをする必要があります」「あまり知られていないけど、こういう情報がありますよ」
 
ただ、いくら論理的に説明しても、話が全く噛み合わず、「私の知り合いの福島の人から聞いたんだけど」とか、「ネットで知ったんだけど、実は……」みたいな針小棒大・牽強付会な無駄話、あるいはただのデマ話を続ける。
 
要は、「福島の子どもたちを今からでも移住させて救うべきだ」とか、「政府は福島での農業を禁止すべきだ」とか、「マスメディアは情報隠蔽をやめるべきだ」とかいう自らの主張を肯定してもらいたい、その場で主張を貫き通し承認欲求を得たいだけなわけです。
 
残念ながら、私はその方のカウンセラーでも飲み友達でも傾聴ボランティアでもセルフヘルプグループのメンバーでもありませんので、自己肯定・承認欲求のためのコミュニケーションについてはある程度以上の対応はいたしかねます。
研究者・支援者としては事実を示し、知識をつけてもらうための言葉と理解のためのツールをつくることしかできません。
 
ただ、そういう極端な方の例を抜きにして、やはりまだまだ、福島の問題を理解するためのツールが足りないと、自らの力不足を感じてきました。
それは、ただ、大量の情報を集めてやたら難解な本を作ることではなく、可能な限り明確に、文脈を共有していない人にもわかりやすく、それでいて網羅的な本(『はじめての福島学』)をつくることでした。
 
「善意」はややこしい
 
「福島を応援したい」「福島の農業の今後が心配だ」「福島をどうしたらいいんですか」
 
こういう問いに対して、一つ、明確に簡明に網羅的に出せる答えがあります。
それは、「迷惑をかけない」ということです。
 
迷惑は知らぬ間にかけているものです。迷惑をかけようと思って迷惑をかけている人もいるでしょうが、そうではなく、むしろよかれと思って、悪気なくやっていることも多い。だからこそ、こじれる。
「善意」でやっていることを「迷惑をかけているのでは」と指摘されると、「私は迷惑をかけていない」と反発することになる。
 
この「善意」はややこしい。「福島にどう関わるか」。復興業界では「支援」という言葉が使われますので、「福島をどう支援するか」と言い換えてもいいです。
必ず、この「善意」が絡んでくるから、そう簡単に拒否したり批判できなかったりもする。
 
その結果、一方では、自らの「善意」を信じて疑わないけれど、実際はただの迷惑になっている「滑った善意」を持つ人の「善意の暴走」が起こり、問題が温存される。多大な迷惑を被る人が出てくる。
 
他方では、本当に良識ある人が「的を射た善意」も持つのに、気を使いすぎる結果、タブー化された「言葉の空白地帯」が生まれて、そこについて皆が語るのをやめ、正しい認識をだれも持つことができなくなる。迷惑が放置される。
 
この「善意のジレンマ」とでも呼ぶべき、「滑った善意」と「的を射た善意」という逆方向に向かう二つの矢印がすれ違う。結果、悪貨が良貨を駆逐するように、「滑った善意」だらけになって「迷惑」が放置され、状況が膠着する。
 
この状況を抜け出す際に意識すべきことは一つだけです。「迷惑をかけない」ということです。
 
これが「福島へのありがた迷惑12箇条」だ!
 
では、具体的には何が迷惑か。
多くの迷惑は「ありがた迷惑」です。何かを攻撃したり、傷つけるつもりなど毛頭ない。むしろ弱者への配慮、自由や公正さの確保をしたいという「善意」があるがゆえに起こる迷惑です。
典型的な「ありがた迷惑」から、事例を交えて、見ていきましょう。
 
1)勝手に「福島は危険だ」ということにする
 
福島の農家の方から聞く事例です。
「知人が、『福島の野菜は危険だと聞きました。ぜひ食べてください』などと、他県の野菜を送ってきて嫌な思いをした」
 
本連載でも見てきたとおり、一次産業従事者の方は多大な努力をして3・11後の状況に対応してきました。実際にその状況もデータで示されてきました。
むしろ、放射線以外も含めてこれだけ安全性に配慮して農家をやっているところは他にないと、わざわざ福島の有機農法やっている農家から作物を買う人もいる。
 
もちろん「危険」なところもあるが、そうではないところもある。その実態を知らずに勝手に「危険だと慮ることこそ正義」とでも言うべき態度をとる人は、まだまだいます。迷惑です。
 
2)勝手に「福島の人は怯え苦しんでる」ことにする
 
幼稚園の先生から聞いた事例です。
「『外で遊べないかわいそうな子どもたちに元気になってほしいと思います』と、毎年絵本や積み木を送ってくる人がいる」
 
県内の幼稚園・保育園でよくある話なんですが、2011年4月から普通に再開して、園庭の草木を切って、砂の入れ替えもして、親御さんとも丁寧にコミュニケーションをとって、外遊びができるようにして、既に何年も経っている。
そこに対して、これまでの多大な労力を知ろうともせず、何よりも勝手に「怯え苦しんでいる」ということにして、その認識を押し付けてくる。
 
やっている側は、悪気はないのはわかります。ただ、「福島の子どもたちのことを思い続けている自分」みたいなのがあるのかもしれません。
たしかに、怯え苦しんでいる人もいるだろうし、そうではない人もいる。にもかかわらず、全部まとめて怯え苦しんでいるとする。
 
3・11直後にしたり顔して、「福島は若い人なんかみんないないんですよ。残っているのは仕事をやめられない人とか親の介護がある人だけで、逃げられる人はみんな逃げているんです」とか、偉そうに言う人がいました。
本連載の人口のところで見たとおり、怯え苦しんで「みんな逃げている」なんてことはありません。ステレオタイプな誤解を押し付けられるのは迷惑です。
 
3)勝手にチェルノブイリやら広島、長崎、水俣や沖縄やらに重ね合わせて、「同じ未来が待っている」的な適当な予言してドヤ顔
 
4)怪しいソースから聞きかじった浅知恵で、「チェルノブイリではこうだった」「こういう食べ物はだめだ」と忠告・説教してくる
 
これは、社会心理学でいう理論、「利用可能ヒューリスティック」として説明できます。利用可能ヒューリスティックとは、「ある事例を思い浮かべやすい時に、別な対象にも同じことが起こりやすいと自動的に判断するバイアス」のことです。
 
例えば、大きな飛行機事故があった後だと、人々に「人が自動車事故で死亡する確率と飛行機事故で死亡する確率と、どっちが高い」という質問を投げかけると、「飛行機事故」と答える人が増えます。
 
ですが、冷静に考えれば、自動車事故は毎日どの街でも起こり、一定確率で死者が出ている。一方、自動車よりは利用者が限られるにせよ、人が亡くなるような飛行機事故は日常的に起こるものではないことに気づくはずです。
「何か特徴あることが目の前にあった時に思考停止して、ある側面を過大評価してしまう思考の癖」が利用可能ヒューリスティックです。
 
もちろん、ある事象とある事象を比較して、共通するところと違うところとを明確にして、教訓を導き出すことはとても重要です。それは分析の基本、学問的な営みそのものです。
しかし、それは思考を豊かにするためにやるべきことであって、思考停止のためのものではありません。
 
ここで、もう一つ重要な視点があって、安易に福島と何かを重ね合わせることが相手にとっても無礼なことになり得るということです。
 
例えば、チェルノブイリでは、ソ連崩壊と経済危機、医療の不足などが相まって被害が深まった。それと、経済が比較的安定し、医療水準も高い日本とを勝手に重ね合わせて「彼らはかわいそうだ。そして私たち日本も」などと憐憫の情を向ける。
 
沖縄の地元に根ざした議論をする方々にとっては、彼らの歴史は「ヤマト(本土)に銃剣とブルドーザーで蹂躙された」ものであり、それを全くレベルの違う原発の歴史に重ねて「一緒だよな」などと安易に言う。
先方にもそういうのに「そうだよ、仲間だよ」と言ってくれるいい人もいるでしょうが、何も言わずに白い目で見る人が大勢いるのはたしかです。そういう話に福島の問題を巻き込むと、余計面倒になります。迷惑です。
 
5)多少福島行ったことあるとか知り合いがいるとか程度の聞きかじりで、「福島はこうなんです」と演説始める
 
これは、福島県外での福島をテーマにした講演会とか映画のトークショーとかでよくあります。2011年当初に比べて最近は減ってきましたが、福島の人間が大勢いる前で、「福島の子どもたちは外に出て遊ぶこともできず町はひっそりしている」とかドヤ顔で言う。
 
聞かされている側は、「朝、家の前を通学する小学生の集団がうるさくてキレそうになったんですけど」みたいなこと思っているわけですけど、黙っています。迷惑な人と絡みたくないからです。
 
6)勝手に福島を犠牲者として憐憫の情を向けて、悦に入る
 
7)「福島に住み続けざるを得ない」とか「なぜ福島に住み続けるのか」とか言っちゃう
 
これも、演説始める人にありがちなんですが、「都会の電気のために犠牲になった福島」とか、「我々の世代がしっかりしてこなかったから子どもたちが犠牲に」とか、「福島に住まざるを得ない犠牲者」とか。じゃあ、その反省の上で何をやったのか、と聞いてみると、何もやっていない。
そういう解釈の仕方はあるのかもしれないけど、この「憐憫の情を向ける」っていうのはとても無礼なことです。
 
以下、8から12までは概要のみ。
 
8)シンポジウムの質疑などで身の上話や「オレの思想・教養」大披露を始める
 
9)「福島の人は立ち上がるべきだ」とウエメセ意識高い系説教
 
10)外から乗り込んできて福島を脱原発運動の象徴、神聖な場所にしようとする
 
11)外から乗り込んでくることもなく福島を被曝回避運動の象徴、神聖な場所にしようとする
 
12)原発、放射線で「こっちの味方か? 敵か?」と踏み絵質問して、隙を見せればドヤ顔で説教
 
お三人目。
 
これからの福島の伝え方(南相馬市立総合病院・神経内科 小鷹昌明 2015年04月02日)
 
ネット配信されている開沼博氏のコラム(俗流フクシマ論批判)を読んだ。22回にわたる連載は既に終了していたのだが、最後は『番外編』として、「福島へのありがた迷惑12箇条:私たちは福島に何が出来るか?」という内容で締め括られていた。あえて挑発的な言葉で綴られたこの論考は、今後の福島の伝え方を考えるうえでとても示唆に富むものであった(少なくとも、私にとっては)。
 
開沼氏と私とは、以前に対談経験があり、その内容は『1984フクシマに生まれて』(講談社文庫)という文庫本にまとめられた。震災に関して、お互いの考えを述べ合うことで共感を得ることができたのだが、その後、彼と関わることはなかった。私は私の考えで南相馬市にこもり、医療を中心とした支援活動を行っていた。「アカデミックより先にやることがあるだろう」と考えていたからである。だから、学会や研究会などのディスカッションの場に出向くことは、ほとんどなかった。
 
彼のコラムは、「論理とデータとを用いることによって議論ベースの再設定を目指し、同時に、現代日本の地方が抱える窮状や産業、教育、医療福祉の病巣を浮かび上がらせる」ということを信条としていた。いま、改めて読み返してみると、彼は、随分と県外の、特に放射線論者たちからの攻撃に遭っていたようだ。それは、このコラムの「なぜ話が噛み合わないのか?」という副タイトルにも現れていた。
 
「福島を応援したい」、「福島の農業の今後が心配だ」、「福島をどうしたらいいのか?」という県外の人からの問いに対して、「一部にではあるが」と断りを入れてはいるものの、「その中には“問いがある”のではなく、“主張したいことがある”ようにしか思えない」と述べていた。どういうことかというと、「福島の子供たちを今からでも移住させて救うべきだ」とか、「政府は福島での農業を禁止すべきだ」とか、「マスメディアは情報隠蔽をやめるべきだ」とか言うような人の中には、「自らの主張を肯定してもらいたい」、あるいは、「主張を貫き通すことで、承認欲求を得たいだけ」というものもいると訴えている。
 
また、「“善意”はややこしい」ということも強調しており、県外の人は被災地に対して「迷惑をかけない」ということが何より大切だと断じている。被災地への迷惑の多くは、何かを攻撃したり傷つけたりするつもりのない、むしろ弱者への配慮や、自由と公正さを確保したいという「善意」があるがゆえに起こる「ありがた迷惑」なのだと。
 
具体例として、勝手に福島は危険だということにして、人々は怯え苦しんでいると煽る。チェルノブイリや広島、長崎、水俣や沖縄などに重ね合わせて、同じ未来が待っている的な適当な予言をする。「福島の人は立ち上がるべきだ」というような、上から目線で説教をする。外から乗り込んできて、福島を脱原発運動の聖地にしようとする。
 
ただの迷惑になっている「滑った善意」を持つ人の「善意の暴走」が起こっているその一方で、(もっと大切なこととして)「的を射た善意」を有する本当の良識人が、被災地を気遣う余りに言葉を詰まらせ、タブー化された「言葉の空白地帯」を生んでいると。皆が語るのをやめてしまった結果、正しい認識を持つことができなくなっていると。
 
迷惑をかけないためには、「理解すること」、それもひとりよがりな理解ではなく、「解ろうとすること」、「知ろうとすること」が重要だと説いている。
 
と、ここまでが、開沼氏のコラムから発信された心の叫びとも捉えられる見解である。
 
 
開沼さんが、福島を伝える度にこのような大きな苦悩を抱えていたとは、正直驚きであった。なぜなら、私が行ってきた講演活動の聴衆は、皆、理解のある方で、そうした反感を買うことなど一切なかったからである。もちろん、私の方が圧倒的に機会の少ないということもあるし、専門分野が異なるという理由もあるであろうが、福島県民の悩みが、“風化されない風評被害”という県外からの「ありがた迷惑」の対応だとしたら、こんなもったいないことはない。
 
もちろん私がこんな脳天気なことを言っていられるのは、「小鷹のやっていることは、打っても響かないような言論活動だからだ」と言われればその通りかもしれないし、「たまたまこれまで、人間関係で悩むような人生を歩んでこなかった幸せ者だからだ」と言われれば、さらに返す言葉はない。力のある人の言説には、それなりのリスクがあり、悩みも付いて回るのだろう。あえて対立するものとの柔和を目指したいのならば、批判されても仕方のない部分もある。そう言われると身も蓋もないのだが、毒にも薬にもならないようなことを語っている私の言説は、単に発信力がないだけでなく、つまらないきれい事だからである。
 
誰かが言ったことなのだが、情報を伝える場合に、「平均からの格差拡大のベクトルを持った情報」は重宝がられ(“お金を取れ”だったかな)、「平均像を伝える、情報の格差をならすようなベクトルの情報」には価値がない(同じく“お金を貰えない”)」ということがあるようである。私の言説も、つまりそういうことなのか。
 
被災地の淡々とした安全を伝える内容は見向きもされず、他者を煽るようなセンセーショナルな話題にばかりに反応が寄せられ、それが福島全体の真実のように独り歩きをする。開沼さんの指摘は、一部の側面を捉えた真実なのだろうが、その一方においては、本当に協力的な人たちもたくさんいる。要は、捉え方なのだ。
 
つまり何が言いたいかというと、「一部の攻撃的、あるいは善意に基づく迷惑を唱える人たちとの柔和を図ろうとする余りに、本当の良識人が離れていったのでは何にもならない」ということであり、もっと言うなら、その「ありがた迷惑」を奮う人たちは、二重の意味で被災地に負担を強いているということである。厳しいようだけれど。
 
最後に開沼さんは、「福島のために何かしたい」という人がいたとしたら、それに対しては、「“買う・行く・働く”」ということが妥当だと指摘している。確かに、そういう行動を取ってくれる人がいたとしたら助かる。加えるとしたら、「学ぶ・伝える・住む」もあるが、それは難しい注文かもしれない。
 
県外の多くの人たちの偽らざる今の感情は、こういうことなのではないか。
 
「風評被害に悩む福島県には同情する。だから自分は、根も葉もないような情報を信用することはない。だが、自分は福島に行かない」、「南相馬市に住む覚悟を抱いた人たちには敬意を評する。それは地元住民の覚悟とも取れる。だが、自分は住まない」、「出荷されている福島の食品は安全なのだろう。美味しいお米やお酒があるのもよく知っている。でも自分は食べない」。そして、「それなりに復興は進んでいるのだろうから、今後もがんばってもらいたい。自分は今の暮らしもあるし、あえて積極的に行動するつもりはない。ただひとつお願いしたいことは、危険性のあるものを県外に持ち出さないでくれ」と。
 
私は、応える。「もちろんそうだよね。僕たちが福島のために勝手にやればいいことだ。いつまでも県外の人たちに頼ってばかりはいられないし、覚悟を持った人たちが、その中でやればいいだけだよね」と。
 
福島を伝える方法が困難を極めてきている。センセーショナルな話題はほとんどない。「だったらそれでいいではないか」という意見はもっともかもしれないが、関心の薄れるなかで、淡々とした生活をどう伝えればいいのか。快適な土地を求めて移住する現代社会の中で、不自由とは知りつつも、自分の住む大地に愛情と誇りを持っている人たちがここにはいる。守るべきものは、この故郷であり、ここでの暮らしである。
 
このようなことを考えていると、「自分も住み続けている理由は何なのか?」ということに行き着くのだが、きっとその回答にこそ真実が隠されているのだろう。それは、まだわからない。ただひとつだけ言えることは、この地がどう再生していくかを見届けたいということである。大袈裟を言えば日本人として。
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