昨日のエントリの続きとして想田和弘さん(映画監督)と山崎雅弘さん(現代紛争史研究家)の古賀発言評価を記録しておきます(あくまでも昨日のエントリの続きというのが本日の記事の前提です。その前提を強調しておかなければならないのは、昨日述べた古賀発言を必要以上に買いかぶり、日本の政治のゆくえを総体として見ることができないカレント・デモクラティックの連中(いわゆる「反共左翼」家が多い。「反共」が主軸であるため現実の「右」的旋回に貢献する)の駄論、愚論がとどまらないからです。こうした連中の駄論、愚論を放置してきたことによってこの国はここまで右傾化してしまった。その二の舞を舞うことは私として許容することはできません)。

が、その前に3月28日付けのエントリでご紹介している高世仁さんの記事を再掲しておこうと思います。同記事で高世仁さんは本日のエントリのテーマに重なる問題として某テレビ局のあるニュース番組のスタッフの重要な証言を言論の自由に関わる重要な問題提起として紹介しています。

・きょうは、GALAC(ぎゃらく)という雑誌の座談会に呼ばれて新宿へ。この雑誌は、ギャラクシー賞を出しているNPO放送批評懇談会が発行するテレビとラジオの批評誌だ。座談会のテーマは「イスラム国」の日本人人質事件とテレビについてで、出席したのは共同通信の原田浩司、フリーでアフガンの米軍従軍取材で知られる横田徹、イラク戦争から現地を取材しつづける綿井健陽の各氏。私は、ジャーナリスト常岡浩介さんの私戦予備陰謀容疑でのガサ入れへの対応、常岡さんのテレビ出演時の政府批判封じ込め、旅券返納命令への屈服などの例をあげて、日本のテレビ局の姿勢はひどすぎると批判したが・・・仕事を干されてしまうかも。6月号に掲載予定なので、関心ある方は書店でごらんください。座談会のあと、司会の水島宏明さんも交えて近くの「塚田農場」で飲んだ。

水島さんは、かつて日本テレビ系の札幌テレビ(STV)の社員で、ロンドン、ベルリンの特派員やNTVで解説員までつとめ、2013年に退社して今は法政大学でジャーナリズムを教えている。5人でワイワイやっているうち、今のテレビ局、おかしいんじゃないか、という話題になった。そこで、先日、某テレビ局のあるニュース番組のスタッフに聞いた驚くべき話を披露した。去年7月1日、安倍内閣が集団的自衛権行使容認を決めた日のこと。いつものように、30人のスタッフを集めて打ち合わせがあった。そこで番組の責任者が「きょうは『街録』(街頭録音)はやらなくていい」と言ったという。消費税が増税されるとか、原発の再稼働が認可されたとか、重要な政策転換があれば、街頭インタビューで街の声を拾って放送するのは「定番」だから、これは異例の指示だった。一人のスタッフが質問した。「今日こそ街録が必要なんじゃないですか、なんでやらないんですか」。その責任者が放った答えはこうだ。「おれたち共産党じゃないよな」さらに、「街録で答えたヤツが共産党員でないか、証明できるのか?」その場にいたスタッフは沈黙したまま打ち合わせは終り、その日、集団的自衛権行使容認のニュースに、街録は流れなかったという。(高世仁の「諸悪莫作」日記 2015-03-20

本日の記者会見(6:45頃~)で菅官房長官は報ステの古賀発言について「事実無根だ」と全否定していますが、古賀さんが「菅官房長官が『とんでもない放送法違反だ』と裏で言っていると聞いています」と言っているのはおそらくほんとうのことでしょう。ここで古賀さんが「裏で」と言っているのは菅官房長官のオフレコ発言を指しているのだと思いますが、証明できないのがオフレコ発言の特徴です。だとすれば、裁判所でも検察でもない私たちは状況証拠から判断する以外ありませんが、古賀さんは数人の記者からそのオフレコ発言を聞いたと言っています。上記の高世仁さんが紹介する事例、また、昨年の総選挙直前の11月の政府の露骨なメディア介入の事例などなどと重ねあわせてもこの場合の発言の信憑性は古賀発言の方にあると見るのが常識的な判断というものだろうと私は思います。

さて、以下が想田和弘さんと山崎雅弘さんの古賀発言評価。

想田和弘Twitter(2015年3月30日)

【まとめ】
この発言自体が露骨な圧力ですよ。→菅長官、バッシング「事実無根だ」「当然、放送法という法律があるので、まずテレビ局がどういう風に対応されるかをしばらく見守りたい」 報ステでの発言に - 朝日新聞デジタル彼 のボスもそうだが、菅官房長官は自らに権力があることを自覚し自重するどころか、権力をちらつかせて反対者を黙らせることに躊躇がない。ヤクザと同じ。朝日バッシングに見られたように、マスコミも団結して横暴な権力と闘うどころか、同業他社を叩く好機とばかりに尻馬に乗るのだから始末におえぬ。権力を笠に着るタイプの人間に政治権力を与えては絶対にダメなんですよ。なぜなら権力は良い方に使えば効果も絶大だけど、悪用されたら破壊的な威力を発揮するので。だから権力の暴走を抑えるために三権分立や憲法や報道があるわけだが、それらも骨抜きにされっぱなしだからひとたまりもない。日本のデモクラシーがこれほど脆いものだったとはね。なかなか受け入れがたいけれど、もはや認めざるを得ない事実だと思う。





山崎 雅弘Twitter(2015年3月30日)

【まとめ】
古賀茂明が『報ステ』放送中・放送後のスタッフとのやりとりをすべて明かした!(リテラ)「放送から一夜明け、古賀氏が、彼に非常に近い新聞記者に語った内容を我々は独自ルートで入手した(古賀氏本人に確認したところ『ノーコメント』)」。テレビ朝日の報道局員「報道フロアはもう騒然となってましたよ。報道局幹部は、激怒してましたが、番組のスタッフや局員からは、よく本当のことを言ったという称賛の声や、普通のことを言っただけじゃないかという冷静な声、激論はあってもいい、面白い、視聴率が取れるといった様々な声が出てました」古賀茂明「(番組幹部W氏に)あなたは名前を出さないで裏でそういうふうに圧力かければすべて済むからいいですけど、僕は名前出してやっているんですよ、と。だからあなたも正々堂々と言えると思っているんだったら、名前を言っても何も困らないでしょうと言ったら、それは困ると」「私が黙っていたら、前にあったテレビ局への自民党からの圧力文書の時、テレビ局が何も抗議しなかったことと同じになってしまう。だから私は黙っているわけにはいかない。菅さんが脅してくるなら、私はそれを言いますからねと、だから申し訳ないけど私はああいうことを言わせてもらった」

テレビ業界の人は、局内の「非公式な放送コード」にすっかり順応してしまい、言論の自由への制約が以前より強まっても、もう疑問にも思わなくなっているのか。「他局もそうだから」みたいな、外部から見れば何を言ってるのかと思う理屈で、本来持ち続けるべき疑問を流してしまっているようにも見える。古賀氏が指摘しているように、昨年末の総選挙で自民党がテレビ各局に「与党批判するな」と恫喝した時、大手テレビ局は形式的な抗議文を出しただけで実質では完全に服従した。与党圧勝という予想を一斉に出して与党有利の流れを作り、政策の失敗は報道せず、テレビコメンテーターもその流れに追従した。古賀氏の行動について「テレビコメンテーターのあるべき姿」という小さい箱の中に論点を押し込み「コメンテーターとしては失格」と切り捨てて幕引きにする光景を見ると、言論の自由はこうして社会から失われていくのかと改めて思う。言論の不自由を否認することで、それは論点から徹底的に除外される。



「政府のテレビ局への圧力」という民主主義の根幹に関わる問題に一切触れず、古賀氏の人格問題に矮小化して袋叩きにする動きの中に、テレビ業界人の姿もあるのが異様だと思います。古賀氏を見せしめとして潰す前例を作ることは、自分達の足枷をさらに大きくするはずですが。古賀氏の件で不思議なのは、テレビ業界人やテレビコメンテーターの中に「自分は政権批判NGなんて一度も言われたことがない」「だから今まで安倍政権を批判したし、今後もする。NGと言われても従わない」とコメントする人が見当たらないこと。政府の圧力が古賀氏の妄想なら、こう明確に言えばいい。たった一人のテレビ出演者が、水面の下に隠れていた「言論の不自由」を水面の上に出すだけで、慌てふためいてそれを手で覆い、出した人間を袋叩きにする。対米従属の否認、言論の不自由の否認、男女不平等の否認、汚染水海洋漏洩の否認など、社会の中で「無いこと」にされる現実がどんどん増えている。















関連記事
Secret

TrackBackURL
→http://mizukith.blog91.fc2.com/tb.php/1226-fa39c5aa