先日、PCの下書きフォルダーを整理していて、金光翔さん(岩波『世界』元編集部)の「『戦後社会』批判から『戦後社会』肯定へ――2005・2006年以降のリベラル・左派の変動・再編について」という論攷が眠っていることに気がつきました。そして、金光翔さんの論攷の冒頭の一文に記されていた「2005・2006年以降のリベラル・左派の変動」という一節に目が止まりました。そうか。私がいましている「記事を書く」という行為。そのクリティーク(批評。批判)の初源の動機はここにあったのか。そのことに改めて思い到りました。
 
振り返ってみれば、私は、「2005・2006年」頃が金光翔さんが指摘するメルクマールであったことに当時としては気づかずに、結果として、違和の生じるままに同年前後からことあるごとに「リベラル・左派の変動」に異議を申し立てる記事を書くことを日常のようにしてきました。あれから10有余年の歳月が流れています。先日もふたりの「護憲」派弁護士の論を批判する記事を書きました。昨日も市民サイドメディアの論の中にある脆弱性を指摘する記事を書きました。その私の一切の「違和」と「怒り」の所在の初源は「2005・2006年以降のリベラル・左派の変動」にありました。そのことの意味(は、もちろん、私というちっぽけな存在(もの)の「怒り」の範疇をはるかに超えるものです)を改めて明らめるためにここにその金光翔さんの論を再録させていただこうと思います(以下、ボールドは原著。人名リンクは引用者)。
 
(金光翔「私にも話させて」2008-08-01)
 
<1>
佐高信による佐藤優評価が180度変わり、それが正当化されていることが、ブログ「アンチナショナリズム宣言」2008年5月14日付記事で指摘されている。佐高の弁明に何ら説得力がないことは、そこで指摘されている通りであるが、私がここで取り上げたいのは、佐高の佐藤優評価の変容において、2005・2006年以降のリベラル・左派の変動・再編の最も重要な特徴点の一つが、観察できることである。
 
『金曜日』2005年6月10日号「読んではいけない」欄で、佐高は佐藤の『国家の罠』を取り上げて、次のように述べている。
 
「小泉政権の誕生により、日本人の排外主義的ナショナリズムが急速に強まった、と著者は書く。しかし、それは小泉だけの責任ではなく、憲法の掲げる平和主義に基づく外交を積極的に展開してこなかった外務官僚の責任でもある。/国連の安全保障理事会の常任理事国になりたがり、そのことは必然的に核を保有することにつながるのを隠して大国主義をあおったのも彼らの責任だろう。」
 
当時の佐高の主張は、その通りとしか言いようがないのだが、こうした認識からは、当然、<右傾化または排外主義的ナショナリズムに対抗するためには、「平和」であったはずの「戦後社会」の内実自体を問う作業が不可欠である>という主張が導き出されよう。
 
だが、私見によれば、2005・2006年以降のリベラル・左派の論壇において支配的なのは、こうした、右傾化に対抗するためには「戦後社会」批判が不可欠、という認識ではなく、右傾化に対抗するためには、保守派を含めた、「戦後社会」の「平和」を肯定する勢力の結集が不可欠、という認識である。2006年後半の、「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍政権の成立以降は、特にそうである。もちろん、「戦後社会」や「戦後民主主義」が批判されることもあるが、大枠ではこうである。
 
<「平和」だった「戦後社会」の内実を否定的に捉える>という立場が、<「平和」だった「戦後社会」をそのまま肯定する>という立場に、まさに180度の変容を遂げているのだ。
 
私には、佐高自身のこうした立場の移行があったからこそ、佐高による佐藤への評価の変化が生じたように思われる。佐高による佐藤評価の変容は、上のサイトで示されているように、佐藤の著書『国家の罠』(新潮社、2005年3月)への評価の変容として現れているが、『国家の罠』では、佐藤は、自身と鈴木宗男への「国策捜査」について、次のように述べている。
 
「現在の日本では、内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換、外交における地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換という二つの線で「時代のけじめ」をつける必要があり、その線が交錯するところに鈴木宗男氏がいるので、どうも国策捜査の対象になったのではないかという構図が見えてきた。」(292~293頁)
 
佐藤は、自らや鈴木宗男らを、「ケインズ型公平配分路線」「地政学的国際協調主義」だと称する政治方針に依拠する勢力だと位置づけようとしている。「平和」で「平等」な「戦後社会」の側に立つというのだ。佐高は、新自由主義による格差社会の拡大に象徴される「ハイエク型傾斜配分路線」、小泉の靖国参拝や安倍の政治姿勢によって煽られるところの「排外主義的ナショナリズム」に対抗するために、佐藤や鈴木らと手を組むことを選択したように私には思われる。
 
佐高が、宮沢喜一小渕恵三ら、自民党「ハト派」や旧田中派系を中心に、従来は批判していた政治家への評価を180度変えていることは既に指摘されているが、根底には、こうした立場の移行が作用していると私は思う。ここでは、こうした政治家たちが、「平等」で「平和」な「戦後社会」を共に作り上げてきた同志のようなものに変容している。
 
この、「戦後社会」評価の180度の転換は、佐高だけではない。詳述は省くが、『愛国の作法』(朝日新書、2006年10月)以降の姜尚中もそうであり、朝日新聞のこの3月までの論説主幹で、次の社長とも噂される若宮啓文もそうである。若宮の『戦後保守のアジア観』(朝日選書、1995年)と、同書の刊行「以後の10年を追加、徹底加筆した新版」である、『和解とナショナリズム――新版・戦後保守のアジア観』(朝日選書、2006年12月)を読み比べれば、そのことは明瞭である。
 
こうした、「右傾化」に対抗するための「戦後社会」の肯定という立場は、『論座』編集長の薬師寺克行による以下の発言に、その完成形を見ることができる。
 
「アジア・太平洋地域を舞台とした先の戦争に関する政治指導者の発言が大きく変わりつつある。戦争によって完全に崩壊したアジア諸国との外交関係を回復するため、戦後、日本政府は腰を低くして自らの行いの非を認めて謝罪するとともに、各国の経済発展に最大限の貢献をする外交を展開してきた。その結果、なんとかアジア諸国との友好関係を再構築するとともに、安定的な外交環境を自らの国の発展につなげてきた。/ところが、最近の首相や主要閣僚らの発言をみると、少なからぬ政治指導者がこうした戦後日本外交の積み上げを否定的にとらえているようである。」(薬師寺克行「序――いまこそ論壇の「構造改革」を」(『論座』編集部編『リベラルからの反撃――アジア・靖国・9条』朝日新聞社、2006年4月、3頁。強調は引用者、以下同じ))。
 
「(注・1986年の教科書問題からの)15年ほどの間のこの変化を「右傾化」といっていいだろう。かつては多くの国民も、植民地支配や侵略の歴史を踏まえて、中国や韓国の要求を冷静に受け止めていた。ところがいまは、首相の靖国神社参拝や歴史教科書検定問題について、隣国から文句が出ると、それに謙虚に耳を貸すのではなく、頭から「余計なお世話である」「他国にいわれる筋合いではない」と拒否する狭量な反応が増えた。」(同書、12頁)
 
出鱈目もここまで来ると見事と言うほかないが、本来、<右傾化に対抗するために、「平和」だった「戦後社会」をそのまま肯定する>という立場は、ここまで来なければならないだろう。「戦後社会」「戦後国家」の全面肯定である。念のために言っておくと、薬師寺は、「中国や韓国」の主張が正しい、と言っているわけでは全くない。「中国や韓国」の要求に対し、「包容力や寛容さ」(同書、11頁)を持って、「冷静」に対処するのが必要だといっているのである。「大人」(日本)が、聞きわけのない「子供」(中国・韓国)をあやすような視線だ。(注1)
 
もちろん薬師寺は、「いわゆるリベラル、つまり右や左でない勢力」(同書、43頁)として、すなわち、自らを「右」でも「左」でもない勢力として自己規定している。ここまで行ってしまえば、佐藤を使おうが小林よしのりを使おうが、何らやましいところはなくなる。薬師寺にとっての「リベラリズム」とは、「平和」「人権」の擁護といった理念ではなく、「他者を認め自己を相対化しより建設的な言論を探し求める」という志向性のことであり(同書、16頁)、こうしたリベラルは、「国益」を前提として価値評価をする(この朝日新聞の「地球貢献国家」の説明図参照)「普通の国」に適合的なものだからだ。私は、論文「<佐藤優現象>批判」で、2005年以降の日本のリベラル・左派が、「国益」を前提として価値評価をする、「普通の国」に適合的な、イスラエルのリベラルのようなものに変質しつつあることを指摘したが、朝日新聞は、既にその変質が完了しているのである。
 
だが、護憲派ジャーナリズムは、明文改憲か、民主党系のものも含めた「安全保障基本法」の制定による立法改憲(解釈改憲)が実現しない限り、<右傾化に対抗するために、「平和」だった「戦後社会」をそのまま肯定する>という志向性がどれだけ強まろうと、薬師寺のレベルまでは到達するのは難しいだろう。だから、護憲派ジャーナリズムにとって現在は過渡期なのであって、護憲派ジャーナリズムが佐藤を使うにあたっての言い訳や論理は、恐らく、この過渡期にのみ観察できるものである。
 
<2>
さて、リベラル・左派における「戦後社会」の肯定という現象は、<右傾化への対抗>という名目の下に展開されているが、こうした現象は、この政治戦略だけでは説明できないと思われる。
 
私は「<佐藤優現象>批判」で、<佐藤優現象>を成り立たせている駆動力として、リベラル・左派における、「人民戦線」という志向性と、「「論壇」での生き残り」という欲望を挙げた。この両方がないと<佐藤優現象>が成立しないように、「戦後社会」の肯定という現象も、<右傾化への対抗>という大義名分だけではなく、リベラル・左派の欲望がないと成立しないように思われる。「戦後社会」を肯定したいという欲望である。
 
1980年代後半頃から、日本の侵略と植民地支配の加害責任を追及する声が、日本の周辺諸国で強まり、「戦後民主主義」の一国主義的側面、被害体験ばかりを強調する性格の問題性が、問われることになった。こうした、加害責任、植民地支配責任を追及する声を、「90年代の問いかけ」とするならば、90年代以降、護憲運動・平和運動はほぼ全面的に、こうした「90年代の問いかけ」を避けて通ることができなかったと言える。
 
ところが、現在、リベラル・左派の論調において観察されるのは、こうした「90年代の問いかけ」が、なかったことになっているという現象であるように、私には思われる。「加害」よりも「被害」の側面が強調されるようになっている傾向がその典型だ。また、「加害」の問題が言及される場合も、日本の侵略による「加害」の事実を追及しようと運動に取り組む日本人の努力(日本国家の謝罪ではなく)が被害当事者に認識されることで、もたらされるとする、被害当事者と日本国民の「和解」が強調される傾向も、「90年代の問いかけ」の強度を弱める機能を果たしてしまっているように思う。
 
沖縄戦集団自決に関する教科書検定をめぐる言説に関しても、「集団自決の日本軍による強制性の記述を勝ち取り、「従軍慰安婦」や朝鮮人強制連行も歴史教科書へ改めて記述されるようつなげていこう」という声は、ほぼ皆無だった。逆に、沖縄の運動も含めて、リベラル・左派は、沖縄県民の意識への一定の配慮を重視する保守派との連携に向かっているようである。佐藤は、「特にいけないのは、今、右派の沖縄に対する見方が、朝鮮や中国に対する見方と同じになっていることです。これはいけません。沖縄は、わが同胞なのだということからまず出発しなければなりません。」(「吉野、賀名生詣でと鎮魂」『月刊日本』2007年12月号)と述べているが、佐藤はよく状況を認識しており、実際に、沖縄の運動を含めたリベラル・左派は、この論理で動いているように思われる。まさに「戦後」を象徴する、憲法9条と日米安保の矛盾を押し付けられた沖縄は、「戦後社会」を批判する側に回ってもよさそうなものだが、現実に起こっているのは、「戦後社会」の価値観を、アジア諸国の「反日」の動きや在日外国人と連帯して問い直すのではなく、「戦後社会」における実質的な人権享受主体であった「同胞」(「国民」ですらない)という点を根拠として、日本社会からの配慮もしくは処遇改善を要求する、という動きであるように見える。歴史認識が、再収縮している。
 
結局、「90年代の問いかけ」は、2005年の中国の「反日」運動に関する報道・論評あたりをきっかけに、「反日ナショナリズム」として、切り捨てるか、せいぜい想いを受け止めるだけでよいことになったようなのである。その主張をそのまま受け取り、応答しなくてもよくなったようなのだ。こうして、「90年代の問いかけ」という制約が取り払われた、もしくは大して重視しなくてもよくなったという(無)意識の下で、<右傾化への対抗>という大義名分の裏で、実はかねてからあった、「戦後社会」を肯定したいという欲望が、だだ漏れしているという印象を私は受ける。
 
もちろん、「戦後社会」の肯定は、日米安保条約の容認であり、河辺一郎が再三批判している、戦後日本の国連への大国主義的関与の容認でもある。「戦後社会」の「平等性」(というもの自体が神話だと思うが)の肯定とは、外国人労働者の流入またはメンバーシップを排除した上での「平等性」の肯定であり、また、在日朝鮮人を日本社会の構成員として位置づけない社会状態における、日本人の「平等性」の肯定であるから、外国人労働者及び在日朝鮮人への攻撃は、リベラル・左派論壇でも、表立っては大して取り上げられないことになる。在日朝鮮人の場合、日本国籍取得によって「コリア系日本人」になることが奨励されることになるだろう(もう暗黙のうちにはなっているが)。(注2)
 
また、近年のリベラル・左派論壇では、佐藤優がブームになるのとほぼ同時期に、小田実がちょっとしたブーム(特に小田の没後に)となっている。注目されるべきは、現在も小田と同様に、日本が「国益」中心主義的な方向に向かうことを拒否したい、としている人々だけでなく、まさに、「国益」中心主義的な方向へと主張を強めている人々が、小田実へのオマージュを捧げる、といった現象が多く見られる点である。佐藤優のような国権主義者を称えた同じ口が、市民主義者を称えるわけだ。私はこの現象を興味深く思っていたが、小田を讃えることで自らの「右傾化」を隠蔽する、というような(無意識の)計算も働いているのかもしれないが、これも、リベラル・左派における「戦後社会」の肯定、という側面から考察することが、問題を解く手がかりになると思われる。すなわち、小田は、平和な「戦後社会」を作ることに貢献した、「戦後民主主義者」として、旧田中派政治家が称賛されるのと同じ意味で称賛されているのではないか。要するに、「戦後社会」を肯定したいという欲望が、小田への賛辞の背景となっている。
 
朴裕河が朝日新聞系のメディアを中心に、これほど持てはやされるのも、同じ流れの中にある。単に、朴が「韓国ナショナリズム」を批判している点だけではなく、朴が、日本は戦後一貫して(しかも政府レベルで!)、「戦前の日本との「切断」の意志があった」(強調は引用者。以下同じ))とし、「反省する戦後日本」を高く評価している点が、先の薬師寺のような、現在のリベラルの自尊心をくすぐっているのだと思われる。かくして、朴は言う。
 
「新しい日本を築こうとした人々、いわゆる「良心的知識人」と市民を生んだのもまた、ほかでもない戦後日本ではなかったか。そうである限り、そして彼らが少なからぬ影響力をもつ知識人であり、また市民の多数を占めていることが明らかである以上は、日本が戦後めざしてきた「新しい」日本は、ある程度達成されたとみるべきであろう。そしてそのような意味では、韓国における「反省なき日本」という大前提は再考されるべきである。」(朴裕河『和解のために――教科書・慰安婦・靖国・独島』平凡社、佐藤久訳、2006年11月、24~25頁)
 
私たちが目撃しているのは、恐らく、「90年代の問いかけ」をやり過ごした上で、再浮上した、「戦後社会」である。それは、戦前への批判を思いきり弱め、戦前の「健全な保守」及び「リベラル」を高く評価した上で、自らを戦前と「切断」した、「「新しい」日本」であると称し、「戦後民主主義」と自らを同じものだと主張して、「戦後民主主義」の名を借りることによって、自らを正当化するだろう。再浮上しているのは、一国主義的な限界はそのままで、「国益」中心主義的に再編された「戦後民主主義」である。そこには、「戦後民主主義」をバージョンアップさせるための契機、「戦後民主主義」を外に開いていく可能性は、あらかじめ摘み取られている。
 
こうした再浮上した、「戦後民主主義」と等置された「戦後社会」には、もちろん、それ自体の「象徴」を必要とするだろう。
 
宮台真司は、神保哲生との共編著『天皇と日本のナショナリズム』春秋社、2006年10月)の「まえがき」において、安倍政権を「「戦後的なものの否定」と「国家への貢献の称揚」を結びつけるタイプ」のナショナリズムとし、否定した上で、「「戦後的なもの」にコミットするという意味でのナショナリズム」は不可欠だとする。
 
そして宮台は、「日本が国際社会に約束した「戦前的なもの」との断絶と矛盾しない、日の丸、君が代、天皇、ナショナリズムが、ありうるか否か」と問題提起した上で、「「戦後的なもの」を肯定するナショナリズムこそが必要である」、「「象徴天皇制」とは「戦後的なもの」を肯定するナショナリズムのためにこそある」と述べている。
 
宮台は「リベラル」ではあっても左派ではないから、回りくどさや婉曲表現のない分、率直で分かりやすい。これからのリベラル・左派、すなわち、「戦後民主主義」と等置された「戦後社会」は、「「戦後的なもの」を肯定するナショナリズム」を「象徴」する天皇制とともに―― 一部の「戦後民主主義者」の天皇制批判等は忘却された形で――立ち現れるだろう。
 
これは、「象徴天皇制は「世論」で広く支持されているから、容認せざるを得ない」ということではない。「象徴天皇制」が、「戦後社会」を肯定するナショナリズムの象徴として、改めて選び直されているのである。
 
 
(注1)ここでの薬師寺の視線は、以前のブログ記事で書いた、『週刊朝日』見出し「いい加減にしろ!韓国人」の記事の視線に、危険なほど近似しているように思われる。同記事は、<嫌韓流>的な視線の下、韓国人を「大人になってもらいたい」として慨嘆(嘲笑)する記事だった。政治的寛容さとレイシズムは、同一人の中で容易に共存するし、ガッサン・ハージの言葉を借りれば、寛容は「あっという間」に不寛容に移行する。こうした「寛容さ」は、あらかじめ設定された「寛容の限界」が超えられた場合(例えば、竹島に関する韓国の「反日」的要求が「限度」を超えた場合)、容易に捨てられ、「共和主義的レイシズム」が表出されることになるだろう。
 
(注2)「<佐藤優現象>批判」の「(注55)」でも取り上げたが、赤木智弘は、「不公平な弱者救済を受ける人間」として、「もはや差別などほとんど無きに等しいのに今だに非差別者としての特権のみを得ている、女性や在日や部落」を挙げている(「深夜のシマネコBlog」2006年9月15日付)。この発言が興味深いのは、それ自体の差別的認識もさることながら、赤木においては、「戦後社会」が、「女性や在日や部落」を優遇する社会だった、社会的弱者に優しい社会だった、という認識が前提されている点である。赤木のこの「戦後社会」像は、もちろん虚偽のものだが、これは、現在のリベラル・左派が、そう思い込みたいところの「戦後社会」像である。だから、「戦後社会」認識において、赤木と現在のリベラル・左派には、強い親和性がある。
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