先に私は「慰安婦」問題に関して、大沼保昭氏(東大名誉教授、元アジア女性基金理事)と朴裕河(パク・ユハ)氏(世宗大学教授、『和解のために』(2007年度大仏次郎論壇賞受賞)著者)の認識を高く評価する弁護士の金原徹雄さん(憲法9条を守る和歌山弁護士の会、青年法律家協会和歌山支部所属)の人物評価(すなわち、その人の思想評価)の未成熟を批判する記事を書きました。

が、今回の記事でも前回記事と同じようにやはり金原さんの伊勢崎賢治氏(東京外大教授・平和構築学)に対する人物評価と思想評価の未成熟を批判をしておく必要を感じます。しかし、私は、もちろん、金原さんひとりを目の敵にして批判したいのではありません。おそらく金原さんと同じような認識を持つ一部の(というよりも、現在では大勢というべきかもしれません)現在の「護憲派」を自称する人たち(たとえば伊勢崎賢治氏)、また、「護憲派」を称するメディア(たとえば「マガジン9」)の現状のていたらくを批判しなければならないと思ってのご本人のブログ記事から判断できる「護憲」論者のひとりの象徴としての金原さん批判ということでしかありません。
 
さて、金原さんは、今回は「伊勢﨑賢治氏著『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』を読む」(2015年3月7日付)という記事を書いています。
 
が、金原さんが伊勢﨑さんを高く評価していることは、たとえば「私が刊行後すぐに入手しながら、本書をなかなか読み切れなかったのは(略)あだやおろそかに読み飛ばす訳にはいかない、というプレッシャーが、知らず知らずのうちに私自身にものしかかっていたからでしょう」などの記事中の表現からもよく伝わってくるのですが、金原さんが伊勢﨑さんのどのような「思想」を高く評価しているのかという点については同記事を読んでも実のところよくわかりません。金原さんの伊勢﨑評価が明確に記されていないからです。ただ、こういうことかな、と思えるところはあります。金原さんは同記事の「4章 戦争が終わっても」の項に次のように書いています。
 
「私が本書で最も興味深く読んでのは、実はこの章なのです。長く続いた「戦争が終わる」ということは、その後の国家・社会の体制をどう構築していくかということに直結せざるを得ませんが、それが必ずしもうまくいかない、いかない中で少しでも良い方向に進めるためにはどうすれば良いのか、ということが、東ティモール、スリランカ、シエラレオネなどを例に検討されていきます。/そして、これらの事例を学ぶことは、日本の「憲法9条」が、戦争が終わったあとの体制(安倍首相がかつて「戦後レジーム」と言っていたもの)そのものであるということに私たちが気付き、「国際比較」という視点を獲得するために大変役立つものだと思いました。」
 
また「5章 対立を仕切る」の項では「以下のように伊勢﨑さんが語る言葉が印象的でした」と述べた上で次の箇所を引用しています。
 
「脅威に対する人間の本能が社会集団として増幅し、このままではだめだと、それまでの国のあり方を変える政治決定が下される。このプロセスを分析する「セキュリタイゼーション」について、2章で話したね。僕たちの針は常にフラフラ振れつづけることを自覚すると、それが大きく振れたときに元に戻そうとする「脱セキュリタイゼーション」(高揚する脅威に冷や水をかけて落ち着かせること)の能力をもてるかどうかが肝だとわかる。 そのためには、まず、知ることかな。将来、敵になるかもしれない相手のことを知っておく。そこの独裁体制がなぜ生まれたか、何が彼らをそうさせるのか。知らないことは楽だよね。セキュリタイゼーションが起こったら、何の疑いもなく空気に身をまかせ、みんなで恐怖におののき、その原因とされるものへの怒りに熱狂する。そういうなかで、「ちょっと、どうよ!」みたいなことを言うのって、度胸がいる。KYとか言われたりして(笑)。村八分になるかもしれない。その意味で、平和は闘いなんだと思う。」
 
金原さんの上記の感想や伊勢﨑さんの文章の引用からわかることは、金原さんは伊勢﨑さんの「それが必ずしもうまくいかない、いかない中で少しでも良い方向に進めるためにはどうすれば良いのか」といういわば現場主義の考え方、臨機応変な行動スタイルに魅かれているのではないか、ということです。現場主義は言葉を換えて言えば現実主義的ということでもあるでしょう。さらに現実主義を言葉を換えていえば教条主義に捉われて理想倒れしないタフな精神力と行動力ということでもあるでしょう。金原さんはそうした才能を伊勢﨑さんに見出しているように見えます。それが金原さんの伊勢﨑評価の理由になっているのだろうと私は見ます。
 
しかし、現実主義はおうおうにして実利実益のみを追求するたぐいのプラグマティズムに陥りやすい傾向をもあわせ持っています。伊勢﨑さんの昨年4月付けの神奈川新聞の主張はそのようなプラグマティズムに浸食された思想のよき摘示のように私には見えます。「現実」を重視するのはよいことだとしても、その「現実」はアメリカ流の平和主義(それは南米やイスラムなどの第三世界諸国にとってはしばしば侵略主義の糊塗を意味するでしょう)のフレームを通した「現実」主義でしかないように見えるからです。神奈川新聞の主張とは次のようなものです。
 
集団的自衛権を考える(5)犠牲者を出す覚悟はあるか 東京外国語大・伊勢崎賢治教授(神奈川新聞 2014.04.05)
 
日本が戦後に掲げてきた「平和」が岐路に立つ。安倍晋三首相は積極的平和主義を唱え、集団的自衛権の行使容認、そして憲法改正を目指す。「日本に9条はもったいない」。東京外国語大教授の伊勢崎賢治さん(国際政治学)はそう繰り返してきた。アフガニスタンをはじめ紛争地域の現場に身を置き、武装解除に携わってきたその人が考える平和の創り方とは。
 
-閣議決定された「防衛装備移転三原則」により武器輸出が原則解禁になります。武装解除に携わった身としてどう受け止めますか。
 
「実のところ、あまり気にしていません。アフリカではゲリラが使う車の多くは日本製。荷台を改造し、機関砲を載せている。日本製は性能が良くて壊れないから重宝されているのです」
 
-日本で作られたものが人を殺す道具になっている現実がある、と。
 
「そもそも日本はすでに戦争に参加している。米国と北大西洋条約機構(NATO)のアフガニスタン攻撃に自衛隊はインド洋上での給油活動で加わっている。憲法9条があるのに、おかしいですよね」
 
-とはいえ、武器輸出解禁は大きな転換です。
 
「アフガンでの武装解除では米軍からも現地の軍閥からも、日本人だからうまくいったと言われた。日本は経済大国でありながら唯一戦争をしない国と認識されている。中立的ないいイメージに、不純なものが入ってくる感じはあります」
 
「ただ、そのイメージも誤解にすぎない。自衛隊の給油活動はアフガンの大統領も知らなかった。中東の国々から日本は参戦してないと『美しい誤解』をされているわけです」
 
■9条はもったいない
 
-武器輸出の歯止めになってきたのも9条でした。
 
「僕は9条そのものを信じてはいない。9条のおかげで平和だというが、そんなのうそ。9条を押しつけてきた米国が守ってくれているから平和だったにすぎない。その現実を直視したくないから、そう思い込もうとしている」
 
-でも、伊勢崎さんは護憲派として知られています。
 
外交的に使えるから守れと言ってるんです。これだけの経済大国で戦争をしないし、政府開発援助(ODA)も出す。そういうイメージをつくってきたから成功した。ただ、9条のことは海外ではあまり知られてない。誤解しちゃいけないのは、そのイメージは9条のおかげではないということです」
 
-思考停止に陥らず活用すべきだ、と。
 
「戦争をしない日本には平和外交をする潜在能力がある。でもノルウェー以上のことをやってない。ノルウェーは1993年にパレスチナ暫定自治宣言(オスロ合意)への秘密交渉を仲介し、スリランカの和平合意にも尽力した。一方でNATOの一員として戦争にも参加している。でも平和国の地位は揺るがない」
 
-日本で語られてきた平和に不満がある。
 
「今までは国益の議論に終始していた。つまり、戦後レジーム(体制)によって保たれていた平和をいかに守るか、と。でも、日本のためだけの9条でいいんですか、ということです。もっとも、『9条は日本にはもったいない』と新聞に寄稿したら、護憲団体から講演に呼ばれなくなりましたが」
 
■テロの背景にメスを
 
「日本を守ってくれていた米国は元気がなくなっている。それを認識すべきです。2001年から続くアフガン戦争は米国建国以来最長の戦争です。経済は疲弊し、米国は今年中にアフガンから撤退する意向です。平和を引き続き享受したいと思うなら、日米両国の利益になる9条を大切にしていかなければならない」
 
-9条は米国の利益にもなるのですか。
 
「アフガン戦争は終わっていません。逆に(国際テロ組織の)アルカイダ的なものは拡大している。テロの背景には社会の腐敗や貧困がある。構造的な暴力の被害者たちが宗派や言語などで集団化し、衝突して内戦に発展してしまう。ロシアとチェチェン共和国の関係や中国の新疆ウイグル自治区もそう。世界が共通して抱えている病気です。この病気との戦争が9・11以降始まった。その戦いの中で日本が果たせる役割がある」
 
-役割とは。
 
「テロの根絶には構造的な社会問題にメスを入れ、テロを嫌う社会、過激な思想を生まない社会をつくっていかなければならない。当事国の内政に入り込み、変えていくしかない。それは優しく、平和的にしかなし得ない。危険でも武装勢力の中に入って調停したり、停戦を監視したりすることも求められている」
 
-それができるのは日本だ、と。
 
「9条がつくりだした日本の体臭というものがある。9条の下で暮らしてきて好戦性というものがない。戦火に生きる人々はそれを敏感に感じ取るのです」
 
■積極的平和主義とは
 
「そういう意味では、テロとの戦いにおいて日本も集団的自衛権を行使して参戦すべきだと思います」
 
-集団的自衛権は同盟国が攻撃された場合、加勢する権利のことですが。
 
「あくまで非武装で、平和的に、です。それは米国が一番望むことでもある。米軍は自衛隊に武力を使って手助けしてほしいなんて思っていない。NATO加盟国の軍隊は皆銃を撃てるわけだから。武器は使えないけど現地の人の心をつかみ、社会の何がテロリストを生んだのかを考える部隊が一つくらいあったっていい。安倍首相の言う『普通の国』になる必要は全くありません」
 
-武力は平和介入の選択肢の一つにすぎない。でも安倍首相の掲げる積極的平和主義からは、そうした考えはうかがえません。
 
「非武装で戦いの中に入っていく。これこそが積極的平和主義です。いままでは武力を使わない代わりに、本当に危険なところに入ってはいかなかった。本当にやるとすれば犠牲者が出ると思う。その覚悟があるかどうか、です」
 
■安倍首相が提唱する積極的平和主義
 
自衛隊の海外展開を念頭に世界の平和と安定のために貢献することをうたう。特定秘密保護法の制定や国家安全保障会議創設、集団的自衛権の行使容認、武器輸出三原則に代わる防衛装備移転三原則といった安倍政権が進める安全保障政策の見直しは、いずれも同じ文脈に位置付けられる。1月の施政方針演説で安倍首相は「国際協調主義に基づく積極的平和主義の下、米国と手を携え、世界の平和と安定のためにより一層積極的な役割を果たしていく」と意義を強調した。
 
上記でボールドにしているところ、金原さんは「護憲」派の弁護士として賛同できるでしょうか? それでも伊勢﨑さんの主張を支持すると言うことはできるでしょうか?
 
伊勢﨑さんが「テロの根絶には構造的な社会問題にメスを入れ、テロを嫌う社会、過激な思想を生まない社会をつくっていかなければならない。当事国の内政に入り込み、変えていくしかない。それは優しく、平和的にしかなし得ない。危険でも武装勢力の中に入って調停したり、停戦を監視したりすることも求められている」というのは私もそのとおりだと思います。そのためには伊勢﨑さんが主張するような「現実」的な、ときとして実利的な対応も求められることにもなるでしょう。そういう意味でのプラグマティズムは私も必要だと思います。
 
しかし、もう一方で伊勢﨑さんの言う「米国が(日本を)守ってくれている」という観念、「日米両国の利益になる9条を大切にしていかなければならない」という観念は、米国の傘の下での「平和」、言葉を換えて言えば対米従属関係を前提にした西側諸国的価値観の下での「平和」でしかなく、東欧や南米、アフリカ世界を含む全世界の平和の構築の観念とは縁遠いものです。伊勢﨑さん的認識は真の世界の平和の構築にとって逆にきわめて危険な認識といわなければならないでしょう。伊勢﨑さんの「テロとの戦いにおいて日本も集団的自衛権を行使して参戦すべきだと思います」という主張(「あくまで非武装で、平和的に」という前提があったとしても)に到ってはほとんど「イスラム国人質事件」を最悪の形に悪化させた首相安倍のエジプト・カイロでの「テロとの戦い」の演説との違いを見つけ出すのは困難です。

金原さん。それでも伊勢﨑さんの主張を「護憲」派の主張として評価しえますか?
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