私の沖縄・広島日記」ブログが今日も翁長沖縄県知事の「辺野古埋め立て」問題への後手後手の対応に強い警鐘を鳴らしています。

辺野古埋め立て承認の「法的瑕疵」を検討する第三者委員会(委員長・大城浩弁護士)の初会合が6日、沖縄県庁で行われました。予想されたこととはいえ、その致命的限界・欠陥の数々が、1回目にして早くも露呈しました。同時にそれによって、今何をなすべきかが、いっそう鮮明に浮かび上がってきました。大城委員長は検証結果について、「6月中には意見を取りまとめ、遅くとも7月には県に報告する」(琉球新報、7日付。以下、琉球新報、沖縄タイムスはいずれも7日付)と会見で述べました。(略)これは致命的な遅さです。(略)「移設計画で政府は6月ごろまでの埋め立て本体工事着手を目指している」(沖縄タイムス)のです。手遅れになるのは目に見えています。「毎日数十㌧とも言われるアンカーブロックが投げ込まれ、海が悲鳴を上げている。止められても8月というのは、卒倒しそうな話。県民の思いから懸け離れた委員会になりかねない」(沖縄平和運動センター・山城博治議長、沖縄タイムス)という声を、委員会、翁長知事はどう聞くのでしょうか。なぜこんなに遅くなるのでしょうか。それは(略)「ほとんどの委員が公有水面埋立法の作業に取り組むのは初めて」(琉球新報)だからです。委員らはこれから「1万㌻を超える膨大な資料に目を通す」(同)のです。(略)

ではなぜそんな人選になったのでしょうか。根本は、「公正中立な検討をお願いしたい」という翁長知事の要請です。(略)しかしそれでいいのでしょうか。そもそもこの「委員会」は何のための委員会なのでしょう。「辺野古新基地は取り消しか撤回」を公約に掲げた翁長氏が、「取り消し」のために「法的瑕疵」を明らかにするためではなかったのでしょうか。公正はともかく、「中立」であっていいわけがありません。辺野古埋め立て承認取り消し訴訟団の
池宮城紀夫弁護団長が、「中立の立場で瑕疵を検討するのではなく、取り消しや撤回という政策を実現するために事実関係を確認して法的根拠の理論構成をすることが求められている」(琉球新報)と指摘する通りです。(略)「政府が移設に向けた作業を止めない中、行政法の専門家などからも『まずは承認の撤回をし、その間に検証作業を進めれば良い』(本田博利愛媛大学教授)との指摘も出ている」(琉球新報)道理が徐々に声になって表れはじめました。いまこそ声を大にして言うときです。「翁長知事は自らの権限を行使して、直ちに埋め立て承認を撤回せよ!」(「私の沖縄・広島日記」2015-02-07
 
「私の沖縄・広島日記」ブログの警鐘に私も強く賛同するものです。私は本ブログの先日の記事でいまの安倍内閣、その頭目としての安倍晋三の牛耳るニッポンという社会の様相を「私の知るかぎり『戦後』最悪、最低の風景」と形容しましたが、下記の記事で辺見庸も同様に「この政権は沖縄をどこまでもおとしめている」「戦後最悪の政権である」と口角泡を飛ばして難詰しています。

「私の沖縄・広島日記」ブログの翁長知事への緊急提議に賛意を示す意味で、辺見庸のこの2、3日の「「沖縄差別」弾劾の記事もあわせてご紹介させていただこうと思います。

・言語表現の容量が急速に収縮し萎縮している。1945年敗戦からこれまででおそらく最低のレベルではないか。国会でごくとうぜんの質問をしただけで、〈テロリストの脅しにくっすることになる〉〈敵を利することになる〉式の答弁で、逆ににらみつけられ、すごまれて、野党がすくみあがっている。みんながビビっている。一方で、ときならぬ「国家意識」の吹きこみと膨張。「つぎつぎになりゆくいきほひ」とはこのことだ。イエス、あれですあれ、上に「ファ」のつくあれ、ファッキン・ファシズムである。

・狂える時代とイカれた民衆は狂える指導者を産む。産んだ。狂える指導者は狂える時代とイカれた民衆を産む。産んだ。いくときもくるときも、一足飛びなのだ。あれよあれよ。軍国主義への道はかく整備されていく。時代はとびきりのアホたちを必要としている。ニッポンのばあいは、ファシズムの底流に、つねに「無常観の政治化(politization)」(堀田)がひそむ。「『諸行無常』の観念は、一方では『なりゆくいきほひ』のオプティミズムとはげしく摩擦しながら……むしろ不断の変化と流転の相のもとに見る『古層』の世界像と、互に牽引し合うという奇しき運命をもった」(丸山)。もっともっと悪化するだろう。この政権は沖縄をどこまでもおとしめている100パーセント正体をさらけだしている感情をむきだしにしている戦後最悪の政権である。怖ろしい。

・「……琉球やまことに日本の頸動脈、/万事ここにかかり万端ここに経絡す。/琉球を守れ、琉球に於て勝て。/全日本の全日本人よ、/琉球のために全力をあげよ。/敵すでに犠牲を惜しまず、/これ吾が神機の到来なり。/全日本の全日本人よ、/起って琉球に血液を送れ。/ああ恩納ナビの末孫熱血の同胞等よ、/クバの葉かげに身を伏して/弾雨を凌ぎ兵火を抑へ、/猛然出でて賊敵を誅戮し盡せよ……」(「琉球決戦」)。と、書いたのは高村光太郎だった。1945年4月2日に高村がこの詩(!?)を書いたとき、硫黄島の日本軍はすでに全滅していた。そのとき高村は「賊敵を誅戮し」みずからも死ね、と沖縄にとんでもない檄をとばしたのだ。夥しいひとびとが殺された。自死をしいられもした。沖縄とはなにか?沖縄とはなんなのだ。2015年2月、知事がわざわざ会いにきても会ってもらえない沖縄とはなにか。官房副長官ごときが、いやいやたった10分会っただけで門前払いか。全日本の全日本人よ、沖縄をどこまで侮辱すれば気がすむというのだ。なんということだ。なんという無礼だ。(「日録1-6」2015/02/05~07)
関連記事
Secret

TrackBackURL
→http://mizukith.blog91.fc2.com/tb.php/1166-c8997852