高瀬川沿い  

・フルビネク
 
「フルビネクは1945年3月初旬に死んだ。彼は解放されたが、救済はされなかった。彼に関しては何も残っていない」の文章がすきだ。いつ読んでも、とてもすきだ。静まる。(辺見庸日録1-3」2015/01/16)
 
フルビネクについて、プリーモ・レーヴィは次のように記しています。「フルビネクは三歳で、おそらくアウシュヴィッツで生まれた。木を見たことがなかった。(略)フルビネクには名前はなかったが、その細い腕にはやはりアウシュヴィッツの入れ墨が刻印されていた。フルビネクは一九四五年三月初旬に死んだ。彼は解放されたが、救済はされなかった。彼に関しては何も残っていない。彼の存在を証言するのは私のこの文章だけである。」『休戦』(岩波文庫)
 
・マルキ・ド・サド
 
パリ解放以来の数の人々が「反テロ」のデモに立ち、約100年ぶりに議会で議員たちが国歌「ラ・マルセイエーズ」を斉唱した。フランスでは愛国が渦巻いている。テロリズムの目論見は成功したというべきだろう。彼らの望みは「愛国」の名の下に、その度合いによって人々が分断されることだったから。アメリカの偉大な(風刺)漫画家ロバート・クラムが、今回のテロ事件について「ニューヨークオブザーヴァー」のインタビューを受けている。彼はもう二十五年近く、フランスに住んでいるのだ。「えっ、誰からもインタビューされてないのですか?」といわれ「訊いてきたアメリカ人は君が最初」と答えた。クラムは今回のテロについて「9・11にそっくりだ」と答えた。「あの時も、政府はあの事件を、いろんな敵を「取り締まる」ための口実にしたからね」。クラムは「シャルリー・エブド」の風刺画については(穏便な言い方ではあるけれど)「ひどいものだ」といっている。「それがこの国のやり方なんだ」「予言者」を描いて挑発を繰り返す「シャルリー・エブド」式のやり方はいやだ。だが、漫画家としてやることはないのか。クラムは「ムハンマドの尻」というカートゥーンを描いて「リベラシオン」に渡した。もう載っているはずだが。顔じゃなくて尻(しかも、予言者ではなく、よく似た名前の友人の)。自分たちが批判し揶揄してきたはずの国や権力から熱烈な連帯のことばを贈られて、これからあの雑誌はどうするのだろう。まず風刺すべきなのは、デモで共に腕を組んでしまったイスラエルを筆頭とする国家の首脳じゃなかったんだろうか。ぼくが「表現の自由」ということばで思い浮かべるのは、マルキ・ド・サドだ。彼は後半生の大半を牢獄と精神病院で過ごした。危険思想の持ち主の故に、である。だから、彼の作品の多くは牢獄で、しかも見つからぬようにひっそり書かれた。彼の作品は次々に禁書になったが、彼は誰にも抗弁しなかった。彼は自分の作品が禁書になる理由を知っていた。彼の作品は究極の自由をテーマにしていて、それは国家や法にとっては許しがたいものであった。だから、彼は法にも国家にも頼らなかった。いつもひとりで、たったひとりで、自分の作品を守った。黙って牢獄に入り、病院に送られたのである。クラムは「シャルリー・エブド」の「商業主義」も批判している。「あの雑誌は、2011年の爆弾事件から「売れる」ものになりました。ラディカルな少数派が昔ながらの商売人になってしまう典型的な例です。あんなものアメリカにはありません」。商業主義に抵抗し続けてきたクラムの誇りがうかがえる。(高橋源一郎Twitter 1月14日)
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