辺野古岬

本ブログの2015年1月16日と17日付けの「今日の言葉」から「私の沖縄日記―広島編」ブログ主宰者の声に耳を傾けてみたいと思います。

私はいまのところ「私の沖縄日記―広島編」ブログ主宰者のように明快に翁長沖縄県知事を批判することのできる認識を持ちえません。翁長知事に同ブログ子が指摘するような重大な優柔不断さがあることは確かなことだと私も思うものの、翁長知事は、その言葉が県民にとって不十分なものであったとしても、辺野古移設のための政府の海上作業のを再開について「大変残念だ」と述べ、「作業が再開されたことに不快感を示し」(
琉球新報、2015年1月16日)ていることももう一方の事実というべきでもあるからです。

なによりも、私たちは、自治体レベルで辺野古移設作業を中断させる法的な権限を持つカードを翁長知事のほか持ちません。そのわれわれのカードとしての知事を追い詰めて他にどのような展望が開けるというのか、という思いもあります。そういうわけでいまのところ私は明快な認識を持ちえないのです。が、ともあれ、「私の沖縄日記―広島編」ブログ主宰者の指摘は十分煮詰められたものとは思いませんが一応の正論(法的解釈に誤りを含み、その主張も「樹を見て森を見ない」ところがあるようにも見えます)だとは思います。したがって、ひとつの重要な問題提起として一応の正論のままにご紹介させていただこうと思います。そこから方途を探っていくほかありません。

・16日で沖縄知事選から2カ月になります。選挙で示された「辺野古新基地建設反対」の県民意思に背を向け続ける安倍政権の暴挙は絶対に許せません。同時に、この間の
翁長雄志知事の言動にも多くの疑問を禁じえません。(略)翁長知事は就任後、実に3度にわたって上京しました。(略)安倍首相や菅官房長官が「嫌がらせ」で会わないのなら言語道断です。(略)そもそも翁長知事は3回も上京する必要があったのでしょうか。(略)先の総選挙で「オール沖縄」として当選した仲里利信衆院議員は、「東京で閣僚が会おうとしないなら、知事は会わないでいい。(略)その代わり、やるべきことはちゃんとやる。(水面下の交渉などの)パイプ役は必要ないと思っている」(12日付沖縄タイムス)と述べています。(略)県民をバックに当選した知事には、中央政府に対するそうした毅然とした態度こそ求められているのではないでしょうか。では、翁長知事が「ちゃんとやるべきこと」とは何でしょうか。言うまでもなく、辺野古新基地建設阻止です。その県民の意思を明確に政府に突き付けることです。ところが、3回の上京で唯一会談した山口担当相に対し、翁長知事はなんと「辺野古」のへの字も口にしなかったのです(略)(12月27日付毎日新聞)いったい、翁長知事は何をしに東京へ行ったのでしょうか。(略)辺野古は重大な事態を迎えています。14日未明の工事資材搬入に続き、15日未明には沖縄県警による抗議市民の強制排除が強行されました。県民の度重なる意思表明を無視してあくまでも工事を強行しようとする安倍政権の暴挙は断じて許せません。同時に、この辺野古の事態に対し、翁長知事にはまったく責任がないと言えるでしょうか。県警による市民の強制排除は、県知事である翁長氏に事前になんの報告もなかったのでしょうか。もしもそうだとすれば、知事に無断で抗議市民を強制排除するという暴挙を行った県警本部長を、翁長知事は処分すべきです(引用者注1)。なによりも、辺野古で繰り返されている重大な事態は、翁長知事が埋め立て承認を取り消せば、あるいは撤回すれば、とりあえず止まる(引用者注2)のです。翁長知事は「検証チーム」に下駄をあずけて「結論」を「少なくとも数カ月」先に延ばすのではなく、直ちに「取り消し・撤回」を表明すべきです。(略)これまでの自民党知事と同じように、政府・自民党に顔を向け、水面下で交渉をすすめるのか、それとも安倍政権の辺野古新基地強行と正面から対決するのか。その姿勢がきびしく問われています。(「私の沖縄日記―広島編」2015-01-15

引用者注1:県警本部長(沖縄県を含む)の任命権者及び処分権者は国家公安委員会です(警察法第50条)。したがって、法律的には、翁長知事には沖縄県警本部長を処分する権限はなく、当然処分することもできません。「私の沖縄日記―広島編」主宰者の主張は少なくとも法律的には通用しないといわなければなりません。
 
引用者注2:沖縄革新懇代表世話人で弁護士の仲山忠克氏は辺野古基地の「建設阻止の法的可能性について」で「弁護士としての立場でお答えします」という前提を述べた上で次のように言っています。「結論的に言って、仲井眞知事のなした埋立承認を、翁長新知事が取り消すことも、撤回することも法的に可能です。法律用語として、「取消」とは埋立承認が法定要件を欠いて違法であることを理由に、承認時に遡及して埋立の法的効力を失わしめることをいいます。「撤回」とは承認そのものは適法であったとしても、公益上の必要を理由に,将来に向けて埋立の効力を失わしめることを言います。公有水面埋立法にこれを認める明示の法律規定はありませんが、いずれも可能だということが行政法学界の通説です。最高裁も公益上の必要からの撤回は可能とみているようです。私自身は(略)承認後の工事中止を求める8割の県民世論がそのまま知事選の投票行動に直結して具現化すれば,少なくとも「公益上の必要」として撤回の有力な正当事由となりえるものと解します」。

翁長知事は辺野古で安倍政権の暴挙とたたかっている人たちを見殺しにするつもりなのか!翁長氏の姿勢・責任を問わねばならないこの間の言動を、3つ挙げます。①辺野古のキャンプシュワブゲート前では、政府の工事再開強行に反対する市民を沖縄県警が強制排除する事態が続いています。すでにけが人も出る事態になっています。なのになぜ翁長氏は指をくわえて傍観しているのか。なぜ県警の暴挙をやめさせないのか。(略)県知事は県公安委員会を通じて、県警を管理し、県警本部長を辞めさせることもできるのです。翁長氏はなぜこの権限を行使しないのか。というより、いま辺野古で県警が行っている暴挙の最高責任は翁長知事自身にあるのです。(略)②(略)「翁長雄志知事は(略)『(会談の)要件が決まっている場合は話さない。10分間の会談で、帰り際に言うことは失礼だ』と述べた」(沖縄タイムス17日付)目を疑いました。「失礼だ」?!暴挙を働いている政府の担当相に抗議するのが「失礼」?
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いったい何を考えているのでしょうか。辺野古でたたかっている人たちのことが少しでも頭にあれば、こんな言葉は出てこない(考えもしない)はずではないでしょうか。③(略)沖縄県議会与党の代表は15日上京し、日本政府や米大使館に新基地建設反対を申し入れました。その中で、「県議らは辺野古の海上作業再開について抗議し、翁長雄志知事が今後取り組む埋め立て承認の検証作業が終了するまでの作業中止」を求めました(
琉球新報16日付)。当然の要求です。ところが翁長氏は同日、「検証チームの作業が終了するまで作業を見合わせるよう求めるかについては『チームの立ち上げを踏まえてこれから議論し、判断したい』と述べるにとどめた」琉球新報、同)。いったい何を「判断」するというのでしょうか。何のための「検証」なのか。県議会与党が要求したように、少なくとも「検証中」は政府に工事中止を強く求めるのは当然です。翁長氏はなぜそう言えないのでしょうか。翁長氏は政府に顔を向けて水面下で談合するのではなく、きっぱりと市民・県民の側に立って安倍政権の暴挙とたたかうべきです。そして選挙で翁長氏を擁立・支援した人たち、会派も、1日も早く「翁長タブー」を捨て、翁長氏の理不尽な言動を批判し、姿勢を正させるべきではないでしょうか。(「私の沖縄日記―広島編」2015-01-17
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