タケ

ひとつ目の「凡庸」の例。辺見庸日録1-2」(2015年1月9日付)から。
 
坪井秀人著『声の祝祭――日本近代詩と戦争』(名古屋大学出版会)によると、ずばり「大本営発表」と題する「詩」が、かつて、近藤東というひとによって発表された。〈「大本営発表」は厳として/よけいなことは語らない/しかし/その一句の中に/千万の言葉のよろこびとかなしみがかくされてゐる/その一句の中に/千万のひとのよろこびとかなしみがかくされている〉……。近藤東は後記で「(大東亜戦争により)詩は独り楽しむものでなく、大らかに声を挙げて読まれるべきだという気運が生じた」と述べているという。この極度にばかげた「詩」についていろいろ難じるのは易いし興味がない。もとよりヌッポンの詩の朗読てのは鳥肌がたつ。ただちょこっと気になる。「大本営発表」は、その〈声紋〉の祖型が、あれに似ているのじゃないかと。あれだよ、あれ。「愛するひとのために」。〈保険にはダイヤモンドの輝きもなければ/カラーテレビの便利さもありません/けれど目に見えぬこの商品には/人間の血が通っています/人間の未来への切ない望みがこめられています〉……。〈「大本営発表」にはダイヤモンドの輝きもなければ/カラーテレビの便利さもありません/けれど目に見えぬこの商品には/人間の血が通っています/人間の未来への切ない望みがこめられています〉てなぐあいに声紋がかさなる気がする。」
 
辺見庸が「大本営発表」という詩の声紋に「似て」いて「鳥肌がたつ」という「あれ」は、谷川俊太郎が大手生命保険会社(日本生命)のテレビコマーシャルのために書いた「愛する人のために」という詩。辺見は、谷川俊太郎が書いたものだと明らかにわかるテレビコマーシャル用の詩を例にとって、現代日本文化の破局的状況を次のように痛罵しています。
 
「むしろ耳に心地いいことば、穏やかでやさしいことばのなかに、標然とするような悪が居座っている。ことば自体、ほとんど資本の世界、商品広告の世界にうばいとられている。やさしさや愛のことばも。ことばということばには、資本の霧が立っています。/有名な詩人が大手生命保険会社のテレビコマーシャルのためにもっともらしい文章を寄せる。べつにそれはcrimeではない。ですが、これほど恥ずべきsinはない。ぼくはあれほどひどい罪はないとおもう。あれは正真正銘の"クソ"なのです。堪えがたい詩人のクソ。そうおもいませんか? そうおもわないという人はしょうがないけど、ぼくはおもわないということが怖いのです。おもわなくなったということに戦慄を感じます。」(『しのびよる破局』)
 
「愛する人のために」(谷川俊太郎作)という詩はつぎのようなもの。
 
保険にはダイヤモンドの輝きもなければ、パソコンの便利さもありません。
けれど目に見えぬこの商品には、
人間の血が通っています。
人間の未来への切ない望みが
こめられています。
愛情をお金であがなうことはできません。
けれどお金に、
愛情をこめることはできます、
生命をふきこむことはできます。
もし愛する人のために、
お金が使われるなら。
 
そしてこのあと、「ずっと支える。もっと役立つ保険口座の日本生命」という日本生命のCMコピーがつづく。
 
ふたつ目の「凡庸」の例。「小池晃Twitter」から。
 
「今日の東日本大震災追悼式。遺族代表、特にお子様を喪った岩手・陸前高田の淺沼ミキ子さんのお話に涙が止まらず。天皇のお話も原発事故にも触れ真心のこもったもの。伊吹文明衆議院議長が脱原発という言葉を使ったことも意外。それらに比べ、安倍首相の式辞は、原発に触れず復興は進んでいると。失望。」(2014年3月11日
 
「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」http://t.asahi.com/gwr32015年1月1日

注:http://t.asahi.com/gwr3→「天皇陛下、新年にあたっての感想全文」(朝日新聞 2015年1月1日)
 
私は「2015年の戦端を開く言葉として ――「天皇所感」を読む」(2015年1月2日付)で「天皇陛下のお言葉」という言い方を無批判、無造作にして恥じることのない私たちの国の進歩的文化人、あるいは知識人と呼ばれる人たちのいまの「」のありようについて私の強い違和と批判を述べておきましたが、ここにも「天皇のお言葉」論者はいました。小池晃共産党副委員長は天皇の言葉に「天皇のお話」という最高敬語(天皇に対する敬語)表現を用いています。また、「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切」としてあげている例証は「天皇陛下、新年にあたっての感想全文」というやはり天皇の「お言葉」。私は小池晃という参院議員、というよりも日本共産党副委員長の共産党員、あるいは民主主義者としての見識を疑わざるをえません。いま、私の脳裏にあるのは共産党もここまで堕ちたか、という思いです。「政治改革」以前にまず「改革」されなければならないのは共産党という組織そのものではないか、というのはいま私の思うところです。

しかし、その「改革」の前に立ちはだかっているのは「民主主義的中央集権制」という前近代的オールドタイマー(レーニン型規約)です(中央委員会批判や幹部批判は事前に芽を摘まれる)。いま、民主集中制に関する70年代の田口富久治氏の問題提起に立ち返る時がきているように私は思います。
 
この「小池晃Twitter」を紹介している人は次のように言っています。

「戦前は天皇制国家に反対して血みどろの地下闘争をしていたはずの日本共産党が、皇太子夫妻の子が生まれた時だったかに国会でお祝いの決議か何かをするのに賛成して以来(略)、天皇と天皇制に全然反対しなくなった。それどころか所属国会議員が天皇の震災追悼式に感動しちゃったり、新年メッセージをありがたく自分のツイッターで持ち上げる始末。かつて天皇制国家に反旗を翻し、特高に拷問されて死んだ党の先輩達は全く浮かばれない。」

その人の思いを私も共有します。
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