樹   

・2015年1月10日付「図書新聞」に『霧の犬』(辺見庸)書評。→
ファシズムは下から用意される――大震災の後、辺見庸ほど胸底につきささってくる文章を書く作家を知らない(政治学者・宮崎悠

注1:神奈川新聞(2014年12月14日付)‐辺見庸ロングインタビュー
 
注2:「神奈川大学評論」第79号(2014年12月13日発売)‐「デモクラシーとシデムシ」(18枚)。
 
注3:エッセイ集『反逆する風景』(鉄筆文庫)/最新小説集『霧の犬 a dog in the fog』(鉄筆刊)/対談本『絶望という抵抗――辺見庸✕佐高信』(週刊金曜日刊)

注4:【今日の言葉】(2015年1月6日)Mとはなす。正月休みあけで故郷から帰ってきた「街のひと」のインタビューって、戦後70年なにもかわっていない。いや、戦中も戦前もおなじだったかも。「温泉に入っておせち食べてゲームとかして、のんびりしました」。うそつけ。「認知症の親の介護でもうヘトヘト。だって、戸棚にウンコいれてたりするんですよ。最後はキレて、バカヤロウってどなっちゃいましたわ」とか「親に手をあげっちゃって自己嫌悪です。もう最低……」とかないのか。あるさ、いくらでも。あっても編集で消される。日常は完璧に偽造される。M「かのじょの目にはなにがみえてるんだろう……」。視界がまぼろしに占拠されている。それは、いわば、普遍的だ。(辺見庸「日録1-1」2015/01/05

「31年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場したサザンオールスターズ。そこで披露した歌が反響を呼んでいる。どうしてなのか・・・」→「サザン「ピースとハイライト」は政権批判? 解釈で波紋」(朝日新聞 2015年1月6日)

注:山中人間話:2015年1月3日
NHK紅白歌合戦のサザンオールスターズの歌が好評だったと聞くので歌詞を見てみたが、あの程度の事で政府批判とか言って快哉を叫んでいる様ではもう既に日本は相当に劣化しているとしか思えない。私はサザンは好きですけど。→原文次郎Twitter(2014年1月3日)
 
・話題になっている紅白で歌ったサザンの曲は「ピースとハイライト」。サザンは安倍首相夫妻も鑑賞した昨年暮れの28日のコンサートでも「ピースとハイライト」と「爆笑アイランド」を歌って安倍首相をのけぞらせたそうですが(安倍首相がのけぞったのは「爆笑アイランド」の歌詞を「衆院解散なんですとむちゃを言う」と替えて歌った場面)、鑑賞後の安倍首相の感想は「楽しみましたよ」というもの(時事通信)。仮にサザンの歌に「安倍批判」の意味合いがこめられていたとしても、安倍首相が「楽しみましたよ」という程度の「批判」はなにほどのものか。私も原文次郎さんとともに「民主的世論なるものの劣化」ということをしきりに思う。→弊ブログ主参戦(2014年1月3日)

・いまさらだけれども「天皇」を「天皇陛下」としか呼べないジャーナリズム性を喪失したメディアのノン・クリティシズムの一例→(天声人語)語り部二人の訃報-朝日新聞2015年1月6日

注:「天声人語」(朝日新聞 2015年1月6日)
元日に発表された天皇、皇后両陛下の歌に、平和への思いがにじむ2首があった。天皇陛下は「来たる年が原子爆弾による被災より七十年経つを思ひて」と詞書(ことばがき)を置いて、〈爆心地の碑に白菊を供へたり忘れざらめや往(い)にし彼(か)の日を〉と詠まれた。皇后さまは〈我もまた近き齢(よはひ)にありしかば沁(し)みて悲しく対馬丸(つしままる)思ふ〉。対馬丸は、沖縄から本土へ向かった学童疎開船。米潜水艦に撃沈されて約1500人が犠牲になった。お二人は去年、被爆地と沖縄を訪ねて供花をされている。その被爆地と沖縄から、戦争の語り部二人の訃報(ふほう)である。長崎の片岡ツヨさんは93歳、沖縄の宮城喜久子さんは86歳。ともに、おとといの紙面で伝えられた。片岡さんは原爆に親族13人を奪われ、自分も全身に大やけどを負った。顔に残るケロイドに、人の視線が突き刺さるのがつらかったという。自殺さえ考えた絶望をのりこえて、体験を語ってきた。片や宮城さんは、看護要員として戦場に送られた「ひめゆり学徒隊」の生存者の一人だった。二人とも、忘れたくて幾度も砕き捨てようとした記憶であったろう。かつて取材した宮城さんは、語り継ぐことを「次世代への責任です」と話していた。片岡さんがたどりついたのは、「自分を平和の道具として使ってほしい」という境地だったそうだ。戦後70年、歳月をこえて聞こえる戦争体験者の直(じか)の声はますます細くなる。「忘れざらめや往にし彼の日を」。両陛下の思いを、戦後世代こそ分かち持ちたい。

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