本ブログの「今日の言葉」の2015年1月1日から同月5日にかけての記録です。

 モウソウチク

【今日の言葉:冒頭】
01日:[醍醐聰]共同を追求し、共同の輪を広げ、組織化するために、政党
02日:[東本高志]想田和弘さんは平成天皇を「天皇」と呼んだ上で天皇所
03日:[半澤健市]六回目の読み比べである。今年は朝日、毎日、読売、日
04日:[矢吹晋]『朝日新聞』は慰安婦問題など一連の誤報を検証する委員
04日:[Daily JCJ]今年は、日本の敗戦から70年、ベトナム戦争が終結して
05日:[水島朝穂]選挙中、(略)憲法改正や集団的自衛権行使容認の閣議
05日:[内田樹]経済成長の終わりと定常経済への移行は経済の自然過程

・共同を追求し、共同の輪を広げ、組織化するために、政党の動き待ちではなく、政党の呼びかけに受け身的に応えるだけもなく、自らが政治の主人公らしく、望ましい政治勢力の結成のために何をなすべきかを主体的に熟慮し、行動を起こすことが求められる。(略)そのために強く求められるのは「異なる意見と真摯に向き合い、対話する理性」である。ここでは、気心の知れた仲間の間でしか通用しない『身内言葉』、『われこそ正論』と構える独善的な態度は最悪の風潮である。(略)政党で言えば、選挙で自党(ここでは反自民の野党)に一票を投じた有権者の中には、自党の理念なり政策、体質なりを全面的に支持したわけではなく、選挙区では他に選択肢がない状況で棄権するかどうか迷った末に、反自民の意思を優先して、セカンドベスト、サードベストで自党に投じ、比例区では別の野党に投じた有権者が少なくないという事実を直視する必要がある。また、それ以前に、自民・公明与党と対抗しうる大きな枠組み(既存の野党間での候補者調整に限る必要はない)が選択肢として作られることを願った有権者が少なくなかったと思われる。自党に投票した有権者の中にも少なくない、このような意識を冷静に見極め、それに謙虚に向き合い、今後の政党活動のあるべき形を検討することが重要と思える。また、政党がどうか以前に、有権者自身、自らが支持する政党の伸長のために尽くすだけでなく、自・公両党が衆議院で3分の2を超える議席を占めた現実を直視し、日本の政治の行方を危惧する多くの国民との共同を広げ、強めるために何をなすべきかという大局的な見地から、自分と大なり小なり意見が異なる人々との対話を強め、広げる努力が強く求められている。大げさな言い方かも知れないが、私は一人の自立した人間としての尊厳を守りつつ生きている証しとして、「自分の外に主人(あるじ)を持つ」ような宗派的言動とは一線を画したい、「自分の理性が自分の思考の主人」という、言葉としては当たり前だが、いざという時に頓挫してしまいがちな矜持をこれまで以上に毅然と貫いていきたいと考えている。(
「醍醐聰のブログ」2015年1月1日

想田和弘さんは平成天皇を「天皇」と呼んだ上で天皇所感についての感想を述べている。内藤正典さんがリツイートするTAKANOさんは天皇を「天皇陛下」と記しているが、これはその後に続く新聞記事引用の延長としてのことかもしれない。江川紹子さんの場合は明らかに自分の言葉として「天皇陛下」「お言葉」と記している。池田香代子さんも内田樹さんも江川さんの「お言葉」を無批判にそのままリツイートしている。江川さんは言うに及ばず池田さんも内田さんも民主主義者(リベラリスト)としては失格と言うべきではないか。「思想」の未熟を感じる。想田さんについても天皇制は民主主義に反する制度であるという民主主義者(リベラリスト)としての当然の批判の視点が欠如しているように思う。「天皇陛下」を「天皇」と叙述しているところに一応の見識を見ることはできるが、それでも「天皇」が民主主義に反する「不平等」の象徴であることには変わりはない。想田さんの「消費者民主主義」批判の思想にも反するはず。その点、 猪野亨さんの論は、天皇所感にいう「多くの人々が亡くなった」の「多くの人々」は日本人を指していると天皇所感の「アジアの人々」の欠落と不在を指摘して鋭い。ただ、「アジアの人々」の欠落、不在の問題に関して天皇の「戦争責任」の問題を不問にしたまま論を展開しているのは天皇所感に伏在する「アジアの人々」の欠落、不在問題批判として一貫性を欠く。私はそう思う。(東本高志「『短信』感想」2015年1月2日

・六回目の読み比べである。今年は朝日、毎日、読売、日経、産経、東京にThe Japan Times を加え七紙を読んだ。(略)今回は、国民的なバッシングを浴びた朝日の姿勢に注目して読んだ。その感想は、朝日は政治権力と損得経営に屈服した というものである。(略)朝日新聞が真のジャーナリスト集団であれば、訂正と謝罪が済んだのだから独自の従軍慰安婦報道を開始すべきである。しかし朝日はそこから巧妙に遁走した(引用者注:
朝日新聞、「慰安婦問題を考える」企画再始動 第三者委の報告受け-日本報道検証機構)。(略)長文の 読売社説は、「日本の活路を切り開く年に成長力強化で人口減に挑もう」と題する。小見出しは「アベノミクスの補強を」、「雇用充実が活力の源泉」、「台頭する中国に備えよ」、「欠かせぬ日米同盟強化」である。新自由主義と対米従属を是とする大政翼賛論である。何度読んでも、権力への批判がないから、安倍政権の「タイコ持ち」言説という言葉しか考えつかない。(略)論説委員長樫山幸夫による産経の「年のはじめに」(社説に相当)は、「覚悟と決意の成熟社会に」と題する。この世紀を生きるキーワードは「自立」「自助」とする。「他者依存」の現行憲法の改正を強く訴え「環境は整いつつある」と述べる。その自立が米国からの自立を含むのかは明らかではない。読売がタイコ持ちであれば、産経は「チョウチン持ち」と言えるだろう。(略)毎日社説「戦後70年日本とアジア 脱・序列思考のすすめ」は、東アジア諸国が秩序思考に囚われすぎていると批判しそこからの脱却を主張する。EUが、序列よりも並列の意識を定着させた課程に、学ぶべきところがあるとする。共感するところは多いが、秩序思考を近代化論的な量的思考に限定しているのが問題だ。(略)東京 は、一面トップで「武器購入国に防衛省が資金援助」を報じて軍事用途版ODAになる危険を指摘している。読売の原発輸出報道と対照的である。(略)最後に、経済学者竹田茂夫の「権力の顔」(東京「本音のコラム」欄)の結語部を写して長い今年の読み比べを終わる。「現政権は日銀総裁に大見えを切らせて、市場の期待を喚起し、政策バブルの株高で国民の支持を繋ぎとめる間に、別のアジェンダに沿って進む方針のように見える。国民と政権は互いに歪んだ姿を写し合う二枚の鏡なのだ。国民の大多数には政権の素顔、危険な国家主義は隠されている。現政権には株で小ガネを稼ぐ一方で、子孫に原発汚染を残し、非正規層を差別し、沖縄を犠牲にして顧みない、われわれ日本人の顔がデフォルメされて映し出されている。」(半澤健市「リベラル21」2015.01.03

・『朝日新聞』は慰安婦問題など一連の誤報を検証する委員会を
発表した。メンバーのなかに波多野澄雄氏(筑波大名誉教授)が含まれる。他のメンバー諸氏に対してもこれで検証が可能なのかとの疑問を禁じ得ない。ここでは波多野氏を俎上に載せる。波多野は外務省外交史料館の機関誌『外交史料館報』(第27号、2013年12月)に「沖縄返還交渉と台湾・韓国」と題する論文を寄せている。論文の末尾に付された氏の肩書は『日本外交文書』編纂委員長である。肩書といい、掲載誌といい、いずれも外務省の御用学者と評して差し支えあるまい。すなわち論文自体は波多野個人の著作に属するとはいえ、外務省が認めた「公文書の解説」と見てよいだろう。私の見るところ、疑問だらけの欠陥解説である。これでは近隣外交は成り立たないのではないか。たとえば波多野はこう書いた。「日本領となる沖縄の地理的範囲は、交渉過程において日米ともに周辺国に了解を求めた事実はなくa、その意味では沖縄の帰属問題は日米間の一方的な措置であったb」(42ページ)。ここに注(57)を付して、以下の補足を行っている。「尖閣諸島の領有権問題が注目されたのは、沖縄返還交渉の最中であった。アメリカは沖縄統治の期間中、一貫して尖閣諸島を沖縄県の一部として扱い、日本政府も私有地の島の所有者からは税を徴収するなど実効支配を継続していた。したがって日米とも同諸島を返還の範囲に含めることに何の疑いもなく、沖縄返還協定に付属する合意議事録において尖閣諸島を含むアメリカの統治範囲をそのまま日本が引き継ぐ措置をとった」(47ページ)。下線部a,bは事実か。波多野は中華民国の口上書も、これを真摯に扱ったロジャース国務長官の行動も一切無視して、唯我独尊で沖縄返還を論じている。(略)波多野が書いたような独善的自己認識は、米国および中華民国側による近年の情報公開によってその破産がすでに明らかになっている。にもかかわらず、一人日本のみが情報公開をないがしろにして、史実を無視し続けているのは問題ではないか。『朝日』は何を検証するのか、その姿勢が問われるヒトコマだ。(矢吹晋 ちきゅう座 2015年1月4日

・今年は、日本の
敗戦から70年ベトナム戦争が終結して40年になる。ベトナム戦争は1960年12月に始まり、1975年4月30日のサイゴン陥落で終わった。アメリカは、この14年4カ月に及ぶ戦争で785万トンの爆弾を投下 した。ベトナム人の死傷者は400万人に及ぶ。さらに7500万リットルの枯葉剤(ダイオキシンを含む)を輸送機で運び、空中から南ベトナムの森林、農村、田畑に散布した。人体には流産や奇形の発生が頻発この影響による障害児は15万人と推計される。ダイオキシンの毒性はサリンの2倍、青酸カリの千倍、史上最悪の毒物だ。70年前にもアメリカは、日本を降伏させるため、日本の6大都市周辺の稲作地帯に、枯葉剤をばら撒く計画を立てていた。もし原爆投下のあと、すぐに降伏しなかったら、実行する予定だったという。そしてベトナム戦争で散布された米軍の枯葉剤が、なんと沖縄でも備蓄され、使われたうえ廃棄 されていたのだ。沖縄市のサッカー場から枯葉剤の入ったドラム缶が多数発見されている。米軍による深刻な環境汚染や健康被害は、今も続いている。(Daily JCJ 2015/1/4

・選挙中、(略)憲法改正や集団的自衛権行使容認の閣議決定、原発再稼働などの重要問題が争点となって、有権者がそれぞれに関して判断を求められることはついになかった。にもかかわらず、投票日の翌日、安倍首相は、さっそく憲法改正について、「3分の2の多数派を形成するという大変慎重な取り組みが求められている」として「
重ねて意欲を表明した」。集団的自衛権行使容認の閣議決定についても、国民の理解は得られたといわんばかりの勢いだった。選挙期間中、「危ないテーマ」は猫をかぶってすり抜け、選挙が終わるや、全権委任を得たかのように振る舞う。そうした政治的詐術に痛みや迷いが一切感じられず、お目々キラキラ真っ直ぐに進んでいく。 この首相の最大の強みは、その反知性主義的なシンプルさにある。それゆえ、この政権には、かつてないほどに「傲慢無知」や「厚顔無知」が横行が横行している。そこに一貫しているのはただ一つ、政権基盤を固めること、つまり首相として可能な限り長くその地位にとどまること、これである。(略)昨年、集団的自衛権行使に関する政府解釈を閣議決定で変更するという狼藉をやってのけた以上、憲法の明文改正という大変エネルギーを必要とする課題はしはらく棚上げして、他の懸案事項に向かうのが普通なのだが、安倍首相の場合は違う。憲法改正は彼のアイデンティティにかかわることであり、総選挙で衆議院議員4年の任期を得て、2015年の間に、憲法の本質的な部分に手 を着けようとするだろう。『南ドイツ新聞』(略)12月15日付評論(略)は、祖父の岸信介元首相が、もし解散・総選挙をやっていればもっと長く権力にとどまれたと回顧録に書いていることに注目して、安倍首相にとってこの解散・総選挙の唯一の狙いがその任期の延長にあったとしている。そして、安倍首相が最も 重視していることが、祖父が追求してやまなかった憲法改正であることを鋭く指摘している。2015年は、岸信介(の人脈)に操られた安倍首相が本音を突出させてくる年になるだろう。その意味で、常会の施政方針演説が注目である。もう一つは戦後70年の8月に向けて、歴史を逆転させるような声明ないし宣言を準備するだろう。「戦後の古 稀」は、「過去への逆走」が際立ってくるに違いない。これとどう向き合うかが2015年最大の課題である。(水島朝穂「今週の直言」2015年1月5日

・経済成長の終わりと
定常経済への移行は経済の自然過程である。(略)アベノミクスというのは「資源の再分配のアンフェアネスを徹底的に進めることでパイを大きくする」方策です。成長が止まったとたんに社会的混乱が起きるように意図的に作り込んである。だから成長する以外に社会的安定の道がない。カオスを忌避するなら経済成長の夢にすがりつくしかない。いつになったらこの悪夢から人々は目覚めるのでしょう。(略)「再分配のための社会の仕組み」を政治が構想できない以上、とりあえず市民レベルで再分配をはかるしかない(略)。そして、すでに多くの人々が自力で相互支援の仕組みを作り出そうとし始めています。その動きが同時多発的であり、かつ主導的な理論も組織も持たない運動であることに、僕は希望を感じます。イデオロギーではなく、身体実感をベースにして手作りされる運動の方がずっと持続力も創発性も豊だからです。凱風館はいま「雇用の創出」、「生きるための技術の伝授」、「相互扶助相互支援のネットワーク形成」をめざして動いていますが、それは19世紀の「空想的社会主義者」の夢想に近いものかもしれません。「一挙にかつ根源的に世界を変える構想以外は無意味だ」という批判に今度は抵抗してみたい。(略)定常経済・ 相互扶助社会は「夢想」ではなくて、歴史の必然的帰結です。意図的に創り出さなくても、自然にそうなります。この企ての合理性が理解できない人たちは「弱者を支援するために作られた組織」の方が「勝者が総取りする組織」よりも淘汰圧に強いということを知らないのでしょう。ピョートル・クロポトキンの『相互扶助論』をぜひお手に取って頂きたいと思います。クロポトキンは相互扶助する種はそうしない種よりも生き延びる確率が高いという生物学的視点からアナーキズムを基礎づけようとしました。なぜアナーキズムが弾圧されたのか、その理由が読むと分かります。国家による「天上的介入」抜きで 市民社会に公正と正義を打ち立てることができるような個人の市民的成熟アナーキズムは求めました。「公正で雅量ある国家」を建設するより前に、まずその担い手たる「公正で雅量ある市民」を建設しようとしたことに国家は嫉妬したのです。(内田樹Twitter 2015年1月5日
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