原発メーカー訴訟」問題で同訴訟を提起している「原発メーカー訴訟の会」と同訴訟弁護団(島昭宏弁護士・河合弘之弁護士ほか20名)との間でもはや修復不可能というべき大きな亀裂が生じているようです。そのことは同「訴訟の会」事務局長の崔勝久さんの個人ブログ「オクロス」で確認できます。私は注意深くこの5月ぐらいから続いている崔勝久さんと島昭宏同訴訟弁護団長との論争を熟読してみましたが、どう見てもこの争論の非は同訴訟弁護団側、具体的には島昭宏弁護団長の側にあるように見えます。端的に言って、この両者間の争論は、島昭宏弁護士の弁護士としてあるまじき越権的な横やりから生じた争いであると結論せざるをえません。
 
「原発メーカー訴訟の会」の組織内の内紛のようなものにもちろん組織外の第三者が口出しするべきではなく、口出しするつもりも毛頭ありませんでしたが、同会事務局長の崔勝久さんが同訴訟弁護団長の島昭宏弁護士について「私の人格を貶め、嘘で固めた理由で私を原告から追放しようと諮る」「これは名誉棄損」とまで弾劾し、弁護団側も崔勝久「訴訟の会」事務局長との「信頼関係の喪失」を「弁護団声明」で糾弾するに到っている以上、両者にはもはや亀裂の回復する見込みはないものと判断するほかありません。したがって、第三者の判断をいま述べるとすれば、中立の立場ではなく、「正論を述べているのはどちらの方か」という立場から、この争論の黒白については私は明確に「原発メーカー訴訟の会」事務局長の崔勝久さんの側を支持することを言明したいと思います。
 
私が崔勝久さんの側を支持するゆえんは以下の「オクロス」に掲載された原発メーカー訴訟の会各原告の2本の論に委ねます。以下、その論の引用です。
 
なお、付記しておけば、原発メーカー訴訟弁護団の中には弁護団長の島昭宏弁護士、同弁護団共同代表の河合弘之弁護士のほか脱原発訴訟で有名な海渡雄一弁護士なども名を連ねています。崔勝久さんの「それにしても、日本の原発裁判の中心にいる河合、海渡弁護士のような方がどうしてこのような幼稚で、悪意に満ちた文書に同意し、名前を載せているのか理解に苦しみます」という批判と疑問の言葉にも私は強く同意することも述べておきたいと思います。この問題は、私は、3・11以来のこの国の脱原発運動に蔓延っている「反原発正義」(うそでも誇張でも「反原発」を唱えさえすれば「正義」だとするニセの脱原発主張)とも強く関係している事態だと認識していますが、ここでの主題から外れてしまいますのでここではその旨だけを述べておくにとどめておきます。
 
「原発メーカー訴訟の会」原告の1本目の論。
 
弁護団声明の撤回と謝罪を要求する(吾郷健二 2014年12月18日)
 
吾郷健二さんをご紹介します。九州の西南学院大学経済学部名誉教授で、『グローバリゼーションと発展途上国』など多くの著作と訳書があります。原発メーカー訴訟の原告で、植民地主義NPT体制を「サヨク用語」としそのような言葉を使うべきではないとする島弁護士の、あまりに世界の常識に反した発言を厳しく批判されています。
 
島弁護士が、弁護士職務規定第43条(信頼関係の喪失)にある「辞任」の恣意的な解釈を強く批判されています(略)。事務局長一人を狙いうちし、原告からの「追放」を正当化する、嘘とデマゴギーで固めた「崔勝久氏に関する弁護団声明」の根本的な過ち2点を指摘されており、ここに紹介させていただきます。それにしても、日本の原発裁判の中心にいる河合、海渡弁護士のような方がどうしてこのような幼稚で、悪意に満ちた文書に同意し、名前を載せているのか理解に苦しみます。原発メーカーの責任を追求する私達の裁判を担う代理人の職務を果たしえるのでしょうか。(崔 勝久)
 
原発メーカー訴訟弁護団へ
 
原発メーカー訴訟弁護団通信第2号および「崔勝久氏に関する弁護団声明」なるものを弾劾し、その撤回と謝罪を要求する。
 
この二つの文書は、まったく恥ずべきものである。その理由を基本的な点だけに限って述べる。
 
まず、第一に、4,000名に及ぶ集団訴訟の原告団から裁判における原告代理人の依頼を受けた弁護団が原告団の中から恣意的に一人(崔氏)を選別して、崔氏の代理人のみを「辞任」するなど、弁護団にあるまじき暴挙を敢行して、弁護士の基本職務に完全に背くのみならず、原告団の中に、差別と分断を持ち込んだことである。弁護団に許されているのは、原告団(言うまでもなく一体のものである)からの依頼を受諾するかどうかの決定の自由であって、原告の恣意的選別ではない。「集団訴訟といえども、一人一人の原告との個別委任契約である」などとは屁理屈も甚だしい。原発事故におけるメーカーの責任を追及しようという崇高な課題を担う弁護団として、恥ずべき論理であって、人間としての誠実さを疑わしめる、許されざる行為である。
 
第2に、崔氏の「訴訟の会」事務局長職の辞任を要求するなど、原告団に関わることに関し、許されざる不当な介入を行なっている。弁護団は、訴訟における原告団の代理人であって、本訴訟の主役(当事者)は、依頼人たる原告にあるのであって、訴訟代理人たる弁護士にあるのではない。弁護士(弁護団)の職務は、訴訟において原告の代理を務めて、裁判闘争を勝利に持って行くことであって、原告団(およびサポーター)からなる「訴訟の会」の人事等に不当に干渉することではない。「訴訟の会」に関わることは、原告団の内部の問題であって、弁護団の権限外のことである。どうしてこのような甚だしい越権行為が弁護士の権限内のことであると錯覚しているのか、真っ当な人間なら、誰も理解できない。
 
かりに万が一、弁護団が「訴訟の会」事務局長や「会」そのものの在り方についてなんらかの重大な疑問を感ずるような事態が生じるならば、そのことを原告団に提起して、原告団に適切な対処を要請すべきであろう。そうであるなら、原告団は、提起された問題に関して、内部で真摯な議論を行ない、適切な対処策を決定するであろうから、弁護団はその決定に従えばよいだけである。
 
以上、基本的な2点において、弁護士職務のイロハのイを理解していない弁護団を糾弾して、その撤回と謝罪を要求する。
 
細部にわたる問題については述べない。それらについては、原告団内部で事実の検証がなされることによって、適切な対処策がとられるからである。
 
2014年12月17日
 
福岡市 原告 吾郷健二

「原発メーカー訴訟の会」原告の2本目の論。
 
「巨大な原子力マフィア」と言いながら その実態を明らかにできない島、河合弁護士による「訴訟」(Sam Kanno 2014年12月19日)
 
米国在住原告のSam Kannoさんの論文を紹介します。
Samさんは来年2月21日に来日、私達が企画する白井聡・小出裕章両氏の講演会に参加し、その後、東京でのご自身の講演会と、訴訟の会の今後のあり方について検討する会議に出席される予定です。ご期待ください。
 
現在、訴訟の会事務局と弁護団との間での「混乱」に多くの方が憂慮し、どちらもどちら、両者仲よくやるべきだという声が漏れ聞こえます。事務局としては弁護団との話し合いの場の設定を申し入れています。しかしそのような中立的な立場を取る方に決定的な視点が抜け落ちています。それは、どうして4000名の原告の内、事務局長一人をターゲットにして、弁護団としてその代理人を辞任し、実質的に原告からの追放を謀るのか、という点です。裁判における本質的な問題を忌避するために、敢えて崔個人の資質や行動の問題にすり替えているのです。
 
事実、12月4日に出された「崔勝久氏に関する弁護団声明」は、崔は「事務局長という立場を利用して、本訴訟全体に大きな損害をもたらすおそれのある行為を繰り返している」と記していますが、内容を検討すると、そこに記された理由なるものは巧妙に書かれたデマであり、真実を歪めていることが明らかにされています。そのようなことを何故、弁護団は承認し、名前を連ねたのか、疑問が残ります。(略)
 
Samさんの論文は、国際連帯を訴え、原発体制の本質的な問題を提起してきた事務局長の辞任を求め、最終的には原告からの追放を謀る弁護団の姿勢は、実は根本的にこれまでの日弁連の「安全保障」に触れない司法界の立ち位置と関連し、訴状においても、原発体制の根本的な問題である、NPT体制には触れないでいるという批判になっています。Sam論文に対するみなさんのご意見をお願いします。(崔 勝久)
 
「巨大な原子力マフィア」と言いながらその実態を明らかにできない島、河合弁護士による「訴訟」~ NNAA(No Nukes Asia Actions)に依頼された訴訟内容を歪め、企業責任限定裁判にする島弁護士~
 
12月15日
 
米国在住原告 SAM KANNO
 
皆さん
ようやく「混乱」の核心がはっきりしました。島弁護士が自ら告白したのです。
 
訴訟の会事務局に断りもなく出された『弁護団通信』第2号の2ページから3ページを見てください。“2.信頼関係の喪失” として書かれているところに、問題の核心が明らかにされています。NNAA(代表崔勝久氏)が島弁護士に依頼した訴訟の内容と、依頼された島弁護士が考える訴訟の内容が違っていたということです。それがだんだんとはっきりしてきて、ついに依頼された弁護士が依頼人本人の排除を(しかも崔勝久氏個人をNNAAから切り離して)図るに至ったということです。これは弁護士という職業の倫理規定の根本に抵触することです。
 
訴訟の内容についてどんな点で違うのでしょうか。
依頼者のNNAAはその名称からして明らかなように、原発の世界一の密集地であるアジア地区における原発問題を見据えて作られた組織です。その地域において日本と韓国の両政府が福島核災害後もなお原発輸出を図っていこうとする事態を前にして発足したNPO組織です。最初からアジアという国際的現実を直視してできた組織ということが確認されていなくてはなりません。
 
それともうひとつNNAAが自らに課した課題として、日本の反原発、あるいは脱原発運動が日本国内だけの運動に終わってしまい、とりわけアジアの運動との連携が軽視されてしまっている点を何とか克服したいとの問題意識があります。「日の丸の旗は掲げてもいいが、労組の旗や人種やジェンダーの課題は規制する」というデモ規制や、台湾で大きく盛り上がっている「日の丸原発稼動反対」の運動には連帯の挨拶ひとつ送られない。
 
こうした閉鎖性(というか、アジアの大衆運動を見下した姿勢)を如何に突破していくかの追及です。こうした問題意識を持つNNAAであるからこそ、『原賠法』、そしてその背後にある『日米原子力協定』という“国際協定で免責が強要され、法制化した「原発メーカー」の責任を追及する”という、既存の『日弁連』をはじめとする司法界の誰もが(1959年の砂川基地訴訟における田中最高裁の「安保法制に関わる行政の行為についての憲法判断回避」判決以来)避けてきた(!)「安保法体系」にも関わる訴訟の提起が可能となったのです。
 
福島をはじめとする日本各地に50余も作られた原発は、そのほとんどがGE(General Electric)、WH(Westinghouse)という米国メーカーのライセンスを元に(但し日本1号機は英国製)日立、東芝、三菱重工、IHI(石川島播磨)という旧財閥系メーカーによって作られてきたのですが、事故を起こした福島を始め全ての原発の製造メーカーおよび部品供給メーカーの製造物責任が免責され、電力事業者である電力会社に損害賠償の責任が集中されています。この不平等性・反倫理性はなぜでしょう。しかもその電力事業者による賠償の限度額も一事業所につき1200億円と限られ、あとは国費を投入する仕組みです。日本ばかりではありません。これまで世界中に400余も作られてきた原発のほとんど全てがこのような仕組みの下に建設されてきたのです。
 
この不合理な仕組みは、1953年の34代米国大統領アイゼンハワーによる「Atoms for Peace」として知られる国連総会での演説以来、60年間に亘って継続されてきています。原発は核兵器保持国、なかでも米国とソ連(ロシア)という二大強国による“(軍事力による世界支配を意図した)核兵器保持を正当化するための方便”として作らされてきたものです。核兵器という“無差別大量殺人以外に使い道のない兵器”の保持をただただ“正当化するため”に米国大統領は「核の平和利用」を謳ったのです。その演説で構想された核の「拡散」は、核の技術と原料の「供給国」側の責任が一切問われない“2国間協定”という仕組みの下で為されています。もちろん「受領国」側には日本のように「潜在的な核兵器保有国」としてのステータスを得たいという野望があって協定を結んだところもあるわけです。
 
「Atoms for Peace」演説の意図とその構造については、ライフワークとして原子力の問題を扱っているフリーランス・ジャーナリストの鈴木真奈美さんの書かれた『日本はなぜ原発を輸出するのか』(平凡社新書)の第6章において的確に解明されています。(略)
 
こうした仕組みを、国連(常任理事国は米、露、英、仏、中の核兵器保有5カ国)決議を通じて国際的に押し広げて作られたのが「NPT(核不拡散条約)体制」であり、「IAEA」という国際機関による“保障措置”なのです。そして今また明らかになっている事態は、日本、韓国、フランス、ロシアなど自国に於ける原発建設を通じて核兵器製造に通じる核技術を維持してきた国々が、世界への更なる拡散の役割を担って、競って輸出を図っていることです。
 
要するに、第2次世界大戦を核兵器という“無差別大量殺人兵器”の威力を見せつけて終わらせた強大国がその支配を続ける為に、稚拙な「言い訳」と共に、国の軍事費に加えて民間の金と人材をも動員して作り出したのが「核の平和利用」体制です。60余年に亘る「平和利用」の妄想の下に得られたものは、「原発」と名づけられた“危険な湯沸かし器”だけであり、その副産物が人類を何度も滅亡させるに足る量の放射性廃棄物の世界への拡散です。フクシマ核災害はその危機にある現実を露わにしました。これらのことをあきらかにしていくことこそが世界中に存在させられている原発群中の一群である日本の原発群を廃絶していくために求められていることです。
 
その危機的な現実の世界的構造を訴えることなく、「原発メーカーの製造物責任」に限定した訴訟とするなら、国際的連帯・支援の運動を作り出すことはもとより、「経済再建の柱(アベノミクス第3の矢)」と「相手国の要請」を名目に原発プラント一基500億円の儲けを懸けた安倍政権による原発輸出に、訴訟原告団として「ノー!」を突きつけることも出来ないのです。
 
「原発メーカー訴訟」においてそこにまで踏み込めるかどうか、NNAAの追求している訴訟と島弁 護士プラス「日弁連」の原発訴訟分野の大御所たる河合弘之弁護士などの考えている訴訟との分かれ道がここにあります。
 
「国を相手に訴訟をするつもりはない、あくまでも企業の責任を追及するのだ」「君たちは裁判が分かっていない」と島弁護士は原告の一女性に言い放ったそうです。これが「安保法制に手をつける裁判は出来ない」ことが充分に分かっている既存の弁護士の大組織である「日弁連」の常識のようです。
 
「日弁連」によって2014年10月3日に出された『原発訴訟における司法判断のあり方、・・・宣言』とその「提案理由」という長文の文章にも“なぜ原発事故の賠償責任が電力事業者と国(税金)にのみ「集中」され、原発メーカーは免責されているのか”についての言及はありません。
 
島弁護士によって書かれた「原発メーカー訴訟」の「訴状」においても、「提供国」側の国と企業の免責が「英米からの免責要求」として求められ、国内法として事業者へ損害賠償を集中させる『原賠法』が立法化されたと、経過として語られてはいても「原発メーカーの免責をいまなお“要請”し、2018年まで継続される『日米原子力協定』」についてはなぜか言及がないのです。もちろん原発を現在も“核兵器保持の正当化”の為に作らせているNPT体制への言及はまったくありません。これでは“メーカーの製造物責任”を切り口に「原発の存在自体を告発する訴訟」に出来るわけないのです。(以下、省略)
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