本ブログの「今日の言葉」の2014年11月3日から同月13日にかけての記録です。

避難民キャンプ 
ミャンマー西部、ロヒンギャ避難民キャンプ

【今日の言葉:冒頭】
03日:岩手弁護士会の講演は2回目である。(略)このところ、9月の内閣
03日:秘密保護法
が施行されると罰則規定により報
04日:「戦争によって、日本人の運命と人間の運命が非情にためされ、人
05日:年金資産運用機関(略)が、国債への割当を半減させた背景には、
07日:地名を読み間違えること自体はよくある話だ。(略)私自身、30年ほ
07日:確かに、戦後憲法には民主主義の原則や基本的人権の尊重やら
09日:「テンペスト」を習ったことがある。(略)夜に川田先生の下宿に習い
10日:10月下旬にイタリア文化会館で経済学者のロレッタ・ナポレオーニ
11日:今週の週刊文春(2014.11.13号)の記事『イスラム国志願北大生が
12日:宮藤官九郎脚本のTBS系連続ドラマ「ごめんね青春!」(日曜午後
13日:新潮文庫『時間』の裏表紙(表4)には、内容紹介とコピーを兼ねた

・岩手弁護士会の講演は2回目である。(略)このところ、9月の内閣改造で入閣させた大臣たちの不祥事が続いている。安倍流「
お友だち人事」の脇の甘さのなせるわざである。冬を前にした東北の被災地(氷点下になる)の復興住宅の整備など、被災者の「住」の確保は最重要課題のはずなのだが、内閣改造にあたり安倍首相は復興について何も触れなかった。だから、改造内閣発足翌日の『河北新報』(略)の見出しはきわめて厳しかった。3面は「被災地 見放された」という横見出し。2面は(略)「 お友だち返り咲き 安倍カラー前面」の縦見出しだった。被災地の復興が進まないのに、安倍首相は世界各国を頻繁に訪問。経済援助などを大盤振る舞いしている。その数は49カ国と歴代最多を記録した。訪問国の選択は実に恣意的で、政治的である。国連の非常任理事国に選ばれたいがための人気とりのような訪問もあった。その一方で、中国と韓国との首脳会談が行われない期間も、これまた歴代最長になろうとしている。中韓両国との首脳会談をひたすら逃げながら、さして優先順位が高くない国々を頻繁に訪問し、援助をばらまいていく。自分をほめてくれる「お友だち」のような国々しか訪問しない。これでは外交になっていない。(略)「7.1閣議決定」で武力行使へのハードルを一気に下げるとともに、武器輸出も可能にし、年金資金の投機的・政治的利用、カジノの解禁など、日本がこれまで抑制的だったものに対して箍が外れたような状況が生まれている。戦後70年を前にして、この国は「再び世界の中心で活躍する国」(枢軸国)に向かって「全速後退」をするのだろうか。おごる安倍政権が繰り出す「異次元の政策」はすべて、納税者、この国で暮らしていく人間にとって、放ってはおけない問題である。 (水島朝穂「今週の直言」2014年11月3日

・「
秘密保護法が施行されると罰則規定により報道が萎縮する」という論に、わたしは、それ以前に自粛が日常化していると指摘した。が、この指摘は不十分だった。報道は権力に迎合し広報としての役割さえ果たしている、という点だ。毎日新聞は10月30日付朝刊の「クローズアップ2014」のコーナーで、「イスラム国」に渡航しようとしていた北大生に対する捜査に関連する特集記事を載せている。これが秘密保護法に反対している毎日新聞の記事なのか、と驚いた。一言で言えば、この記事は、警視庁公安部の広報であって、公安捜査を牽制する視点が欠落している。権力は報道とこれを読む一般国民の批判に耐えうる仕事の仕方をしなければならない。そうでないものは、権力の暴走として批判の対象になる。それがこの記事では批判的な視点、懐疑的な視点がまったくないのだ。記事の見出しは「北大生渡航計画」「イスラム国広がる勧誘網」「元教授、「移民」と仲介」「アルカイダの手法活用」「数ヶ月かけ洗脳も」。これだけ見ると、日本にも「イスラム国」勧誘網が及んでいるかのような印象を与え、そのことが記事に書かれているかのような印象を与える。ところが、記事にはそんなことは書かれていない。(略)記事の解説では、私戦予備・陰謀が処罰対象として規定されている理由について驚くべき説明をしている。≪憲法で「戦争の放棄」をうたう日本にとって、私戦は戦争の引き金になりかねないと判断したためとされる。≫「される」って、だれの説明? 「戦争の放棄」を規定しているのは1946年5月に施行された現行憲法だ。しかし、私戦予備・陰謀罪が刑法に規定されたのは明治時代。現行憲法が戦争放棄を規定することを知らない時代に作られた法律だ。やれやれ、な解説だ。(略)こんな疑問だらけの情報を無批判に垂れ流すのは、公安警察という権力への迎合そのものにほかならない。そのようなマスコミは秘密保護法による処罰を恐れる必要は無い。すでに権力側に立っているのだから。(「弁護士清水勉のブログ」2014-11-03

・「戦争によって、日本人の運命と人間の運命が非情にためされ、人間のいとなみの一切が日常的な安定を失って問題化したとき、まともに、誠実にこの問題に対決しようという作家は、いやでも観念的にならざるをえなかった」と、
堀田善衛の生前に、佐々木基一は文庫で『時間』を解説した。くだらない。じつにくだらない。(略)「問題化」「この問題」とはなんだ。「戦争によって、日本人の運命と人間の運命が非情にためされ、人間のいとなみの一切が日常的な安定を失って問題化したとき……」とは、よくもまあ、いけしゃあしゃあと言えたものだ。南京大虐殺とはそういう「問題」か。観念的にならざるをえなかった、だと? ばかな。政治家、教育者だけでなく文芸家までもがこのていどの認識だったから、みろ、いまや南京大虐殺などなかった、中国のでっちあげだ、という言説が堂々とまかりとおるようになったのだ。佐々木は南京大虐殺を戦争一般の「問題」とし、「日本人の運命と人間の運命が非情にためされ」たテーマとして、大虐殺のあまりにもリアルな事実をそっくり生き埋めにして、ものごとをエセ文芸的に処理しようとした。佐々木はその意味であざとく、政治的だった。『時間』は、じつのところ、すこしも観念的ではないのだ。堀田は酸鼻をきわめた事実から逃げてはいない。事実に分け入り、立場を入れ替え、思考の錘鉛を闇に深くおろしたのだった。逃げたのは評者らである。「……数は観念を消してしまうのかもしれない。この事実を黒い眼差しで見てはならない。また、これほどの人間の死を必要とし不可避的な手段となしうべき目的が存在しうると考えてはならぬ。死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある……」。これは簡明でうごかざる真理ではないか。この簡明にして不動の真理を、 敗戦後の社会が、天皇個人をふくめ、どれほど「わがこと」としてとらえたか、どれほど彼我の傷をわが手でなぞったか、記憶をどれほど必死で反芻したか、外形の傷を内面の生傷として、 どれほど永く深い受傷として、感じつづけ、痛みつづけ、悼みつづけ、傷を傷としてもちつづけたのか、これらすべてを、どれほど切実に後代に語りついだのか。否。否だ。まったく否だ。(辺見庸「日録1-7」2014/11/04

年金資産運用機関(略)が、国債への割当を半減させた背景には、もう一つの事情がある。ロイターが伝える市場関係者の声には、次のようなものがある。(略)報道ベースだが、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の新たな運用比率はポジティブな印象だ。国内株は25%と事前報道通りで驚きはないが、国内債が35%と予想していた40%より5ポイントも低い一方、外国証券が40%と高く、円安進行に追い風となる。日本株にとっては円安を通じてプラスに作用しそうだ。(略)外国証券の割合が国債を上回るという異例の運用の変更は、当然に米国の金融緩和の終了を受けている。年金資産運用機関は大量の国債を手放して日銀の超緩和マネーを手にし、国内株式だけではなく、米国債やニューヨーク市場に投資する。外国株式の増加分13%は26兆円、外国債の増加分4%は8兆円に匹敵する巨額だ(略)。年金資産で、米国株式や、米国債を下支えするというのだ。年金資産運用基準変更の当日、ニューヨーク株式市場は、前日比195.10ドル高の史上最高値1万7390.52ドルを記録した。要するに、日本国民の年金資産を挙げて米国に貢ぐことがいつのまにか決まり、ニューヨーク市場を盛り上げたのだ。米国は、ついに日本国民にとって、なけなしの年金資産にまで手を突っ込んできた。株価至上主義に乗っ取られた日本政府は、率先して年金資産を投げ出し、米国を支えようとしている。対外収支に膨大な赤字を抱える米国債は、日本がいったん買ったら、決して売ることができないことはよく知られてところだ。米国債の買付は、日本にとって、米国への無償援助、貢ぎ物に等しい。(略)米国の危機は深い。あからさまに日本の資源を巻き上げようとする、極限の収奪が始まろうとしている。このまま行けば、日本は、米国より先に米国に根こそぎ収奪されて、滅びるだろう。(「街の弁護士日記」2014年11月5日

・地名を読み間違えること自体はよくある話だ。(略)私自身、30年ほど前に、はじめて大阪に赴任した当時は、それこそ、あらゆる地名を誤読していた。十三(じゅうそう)は「じゅうさん」と読んだし、吹田(すいた)を「ふいた」と言って笑われもした。富田林(とんだばやし)も、枚方(ひらかた)も、靭本町(うつぼほんまち)も、阿倍野(あべの)も、まるで読めなかった。しまいには、初見の地名に対して神経質になるあまり、ごく自然な漢字の並びさえ、素直に口に出せなくなった。「これ、《ソノダ》でいいんですよね?」「ほかにどう読めっちゅうねん」「……いや、ソノデンとか、エンデンとか、エエデンネンとか、そういう罠が仕掛けてある気がして……」「ジブン、オオサカに敵意持ってるか?」 だから、読み間違いそのものは責めない。地名が読めないことそれ自体については、無知の現れだとも思わないし、教養の欠如を証明するものだとも考えない。(略)
宮沢大臣が、「川内原発」を「かわうち原発」と誤読したことの意味は、ただの情報不足ではない。大臣が焦点の原発の名前を誤読したことは、日本の原子力発電行政を指導監督する官庁のトップに任命された人間が、震災後はじめて再稼働するかもしれないと言われている原子力発電所について、ほとんどまったく下調べも、検討も、話し合いも、ブリーフィングもしてこなかったことを裏書きするものだ。いや、(略)普通に新聞を読んで、日々流れてくるニュースに耳を傾けてさえいれば、「川内原発」の読み方が「センダイ原発」であることには、いやでも思い至らざるを得ないはずなのであって、ということは、宮沢大臣の誤読は、彼自身が、当の川内原発に対して、当たり前な日本人としての通り一遍の関心さえ払ってこなかったことを物語ってしまっているのである。(略)こういう姿勢で現場に関わっている大臣に、原子力政策の舵取りを任せることについては、大きな不安を禁じ得ない。(略)再稼働のスイッチは、事情を知らない者が押して良いボタンではない(引用者注:私は「再稼働のスイッチは、事情を知っている者」であっても「押して良いボタンではない」と考えています)。(小田嶋隆 2014年11月7日

・確かに、
戦後憲法には 民主主義の原則基本的人権の尊重やらが立派に書き込まれている。しかしそれらは決定的な局面では必ず空文化される。なぜなら、権力の奥の院ーーその中心に日米合同委員会が位置するーーにおける無数の密約によって、常にすでに骨抜きにされているからである。つまり、この国には、表向きの憲法を頂点とする法体系と、国民の目から隔離された米日密約による裏の決まり事の体系という二重体系が存在し、真の法体系は当然後者である。言い換えれば、憲法を頂点とする日本の法体系などに、大した意味はないのである。官僚・上級の裁判官・御用学者の仕事とは、この二重体系の存在を否認することであり、それで辻褄が合わなくなれば二重の体系があたかも矛盾しないかのように取り繕うことである。この芸当に忠実かつ巧妙に従事できる者には、汚辱に満ちた栄達の道が待っている。(略)これまでの改憲・護憲陣営の多くが、どれほど的を外した議論で堂々めぐりを続けてきたか、ということだ。そして、不毛な議論が続く限り、改憲でも護憲でもない、民主制国家が必ず通らなければならない過程、すなわち制憲の問題は、視野の外に置かれる。このことはもちろん、永続敗戦レジームの延命に寄与する。そして、制憲権力とは革命権力にほかならない。(引用者注:白井氏は「制憲権力とは革命権力にほかならない」という「制憲権力」をどのようなものとして想定しているのか? 必ずしも明らかではありません。白井氏の論の最大の難点といってよいでしょう。白井氏は八方美人の論を弔おうとするのであれば自ら抽象論の愚に陥らないことでしょう)。(白井聡「週刊金曜日」2014/11/07号

・「
テンペスト」を習ったことがある。(略)夜に川田先生の下宿に習いたい生徒がいくのだ。むずかしくてさっぱりわからなかった。川田先生は東北大の大学院でシェークスピアとサッカーをやって、わたしのいた高校に英語教師としてやってきた。無口でハンサムな先生だった。60年安保闘争後、1、2年しかたっていなかった。(略)ある夜、わたしと石田君が志望大学をきかれた。わたしが答え、つぎに石田君が答えた。とたんに、川田先生が顔色をかえて、裂帛の気合いで「やめた。でていけ!」と怒鳴った。レッドカード1発退場。わたしの「テンペスト」はそれでおわった。寒い夜道を石田君は泣いてあるいた。先生はわけを諄々と説くということをしなかった。あのころは〈諄々と〉ということをあまりしなかった。「やめた。でていけ!」。理不尽だなと、かんじた。理由をまったくわからないでもなかったけれども、先生の怒りのはげしさは、わたしの想定する理由とどうにもつりあわなかった。石田君はただ防衛大学校にいきたいと言っただけだったのだ。そのことをずっとおぼえている。(略)最近の防衛大では、徒歩行進曲として旧大日本帝国陸軍分列行進曲「抜刀隊」を平気で演奏するらしい。平気の平左。知らないこちらがマヌケ。「抜刀隊」は1943年、東条英機が観閲した雨の明治神宮外苑競技場での学徒出陣壮行会でも演奏された、侵略と玉砕戦争のシンボルであり、自衛隊・防衛大ではそれをおもんぱかり、いちじ不使用だったらしいが、いまはまったく問題なし。首相Aが観閲した去年の自衛隊観閲式でも「抜刀隊」(それに軍艦マーチなど)が演奏された。防衛大生が儀礼刀を顔面にかかげ、宙を薙ぎおろす動作も、曲と同様、戦前戦中からのものだ。歌詞がすごい。〈敵の亡ぶるそれまでは 進めや進めもろともに 玉ちる劔(つるぎ)拔きつれて 死ぬる覚悟で進むべし……〉。玉ちる剣を抜きつれて、とはどういう意味か。なんという日本語か。でたらめ。死ぬる覚悟で進むべし、とはいくらなんでもあんまりではないか。めちゃくちゃである。ああ、川田先生の激怒のもとはこれか。「抜刀隊」は警視庁機動隊の行進曲でもある。いまはもうだれも遠慮しない。「抜刀隊」がながれるなか自衛隊・防衛大生らが行進すると市民がねつれつに拍手する。キャーッ、ステキ!1937年、南京入城のときの行進曲も「抜刀隊」ではなかったか。きっとそうだ。(辺見庸「日録1‐7」2014/11/09

・10月下旬にイタリア文化会館で経済学者の
ロレッタ・ナポレオーニの講演を聞いた。テーマは「テロ組織の資金調達 グローバル経済における新しい方法」というもので、IS(イスラーム国)を例にあげて分析する、というものだった。ロレッタ・ナポレオーニは、欧州でグローバリズム批判の立場に立つイタリアの経済学者。主著の一つ、Rogue Economics (2008)(邦訳『ならず者の経済学ーー世界を大恐慌にひきずりこんだのは誰か』)は、ソ連が崩壊し、東西対立が終結した1990年代以降、民主化運動とともに世界中に広がっていった犯罪的でグレーな経済を、ならず者経済と名づけて分析した快著だ。ならず者経済とは、たとえば東西対立の終わりとともに旧ソ連圏から西側に流入したおびただしい売春婦らを搾取する仕組み、違法漁業、コピー商品の濫造、企業レベルで行われる奴隷労働による搾取など。グローバライゼーションによってならず者経済が拡大し、「民主主義と奴隷制が互いに支え合って盛衰をともにする関係」が作られたと彼女はいう。一見、相反するように思える民主主義と奴隷制はじつは正の相関関係にあるというわけである。講演は、こうしたならず者経済の視点をふまえて、イスラム国の台頭の経済的背景を分析したものだった。ナポレオーニは、ISとアルカイーダやタリバーンなどのそれまでのイスラーム主義勢力とのいちばん大きなちがいは「国家運営をしている」点だという。他国からの資金提供を受けて、それを資金源としている武装組織とはちがい、国家を運営することで資金を自前でまかなう仕組みを作ったことだという。それが可能になった背景には、冷戦以後の多極的無秩序があるという。現代の戦争は、かならず他国の資金提供のもとに行われる複雑な利害のからんだ代理戦争の体をなしている。冷戦終結以後、その構造はいっそう込み入ったものになり、とくにシリアについてはロシアや中国もからんでいることから西洋が介入しにくい状況がつくられた。そこにつけいって領土を確保したのがISであった。ナポレオーニによれば、冷戦以後にできあがった多極的無秩序という状況に、西洋世界がもはや対応できなくなった。逆にその空白にうまく適応したのがISだったというのだ。(田中真知「王様の耳そうじ」2014年11月10日

・今週の
週刊文春(2014.11.13号)の記事『イスラム国志願北大生が暴露「公安の尾行はバレバレで面白い」』には唖然とした 。北大生は週刊文春の記者に開口一番、「僕は事実誤認をされるのが凄い好きなんで!」「公安を茶化すのは凄い好きで、公安の尾行を巻くために自転車を手配しました。完璧な移動ができるんで(笑)。楽しかった。」日本共産党主催の「赤旗まつり」に「一緒に行ったのが北朝鮮国籍の見知らぬ女性だったんで、外事二課(東アジア等を担当)もやってきた。」などのやりとりが記者とあったあと、≪A(北大生)はずり落ちたズボンからトランクスをはみ出させながら、駅構内にいた二十代らしき女性に歩み寄っていった。≫という。この北大生が刑法制定はじまって以来はじめて私戦予備・陰謀罪を適用した容疑者だというのだから、警視庁公安部のセンスに呆れる。記事には、公安部外事三課(国際テロ等を担当)の課長が中田考元同志社大学教授を「立件してみせる」と息巻いている、とあるが、本当だろうか。やっぱり、呆れる。この国は法治国家か。法治を忘れた放置国家 。(弁護士清水勉のブログ 2014-11-11

宮藤官九郎脚本のTBS系連続ドラマ「 ごめんね青春!」(日曜午後9時)の、登場人物のせりふ1つに、堀越高校(東京都中野区)がTBSに抗議した。TBS側は誤解を与える表現があったとして公式サイトで謝罪。産経新聞記事によると、≪問題となったのは、10月26日に放送された第3話の一シーン。生徒から勉強を教えるよう頼まれた主人公の義理の姉が「それは無理。あたし、堀越だから」と出身校と受け取れる固有名詞を出して拒否した。堀越高校を母校とする芸能人は多く、ドラマで描かれている義理の姉は元グラビアタレントという設定だった。こうした表現に対し、堀越高校がTBS側に抗議。≫(略)堀越学園が「沈黙するのはまずい、抗議しておかなければ」と考え、抗議するのは当然だ。が、TBSが謝罪してしまったのは疑問。この台詞を言った役者まで、少しかもしれないけれど、悪い印象になってしまう。NHKの朝ドラ「あまちゃん」では、薬師丸ひろ子は最終回までずっとオンチ役だった。かつての薬師丸ひろ子を知っている年配の人たちには、冗談だとすぐにわかるが、かつての彼女を知らない若い人たちからは、「あの人、オンチなんだ」とずっと思われていたかもしれない。最終回のオチを薬師丸ひろ子が知らされていたかどうか知らないけれど、知っていて観ている者にとってはすごくおもしろかった。AKB48秋元康も完璧におちょくられていたなあ。「それは無理。あたし、堀越だから」と言いながら、それ以外の場面も含めて魅力的な役になっていれば、「堀越、カッコいい!」となるのだ。表現で飯を食っている者は、言葉尻にケチをつけて屈服させるようなことをしてはいけない。記事には、元民放ディレクターで法政大教授の水島宏明氏(ジャーナリズム論)と、元民放プロデューサーで同志社女子大教授の影山貴彦氏(メディア論)のコメントが並んでいる。水島氏「今回のせりふも宮藤さん流の“毒”の効いたジョークの範囲内に受け取った」「作品全体で見れば、学園ものとして質の高いドラマである」同感。影山氏「もっと慎重になるべきだった。固有名詞を出さなくても、宮藤さんの意図を反映した表現は十分、可能だったはずだ」疑問。記事では影山氏も「制作現場の萎縮につながってはいけない」と言っているのだそうだが、「注意を払い、工夫を凝らせばまだまだできることは多いはずだ」は、萎縮の勧めだ。(弁護士清水勉のブログ 2014-11-12

・新潮文庫『
時間』の裏表紙(表4)には、内容紹介とコピーを兼ねた短文が記してある。(略)わたしは考察にあたいする一文とおもうのだ。「日中戦争の初期、日本軍占領下の南京を舞台に、一人の中国人インテリが、権力の重圧のもと、血なまぐさい大虐殺を目撃しながら、ひたすら詩と真実を求めて苦悶する姿を、その手記の形でえがく。人間の運命が異常酷烈な試練をうけ、営みのいっさいが日常的な安定を失った戦時における人間存在の根本問題を鋭く追究して、戦後文学の潮流を象徴する力作長編小説」。おもしろい。文の綾がどうのというまえに、きょうびこれだけの表4 を書ける編集者はまずいまい。まじめで、過不足なくまとまっていて、品がよい。それが一点。しかし、万々一、今日、新潮文庫の表4にこれが書けたとしても、採用されるかどうか。それが第二点。まちがいなく「血なまぐさい大虐殺を目撃」がひっかかる。ニッポンでは朝野あげていま、南京で「血なまぐさい大虐殺」などなかったことにされていて、大手出版社がわれもわれもと嫌韓嫌中本刊行に大わらわなのである。南京大虐殺慰安婦もきゃつらのデッチアゲで、わがほうの一部自虐史観との合作とされているのだから、この新潮文庫『時間』が新たに重版されるとしたら、それじたいが出版界にとってちょっとした内面的「事件」なのであり、もし重版されたにしても、表4は差し替えられるはずである。第3点目。新潮文庫『時間』の表4は、古き佳き時代の新潮文庫らしく、香りたかく、文としても目だった瑕疵はない。のだが、どうだろう、妙に抑制がききすぎてはいないか。なんだか、他人事のようなのである。(略)南京大虐殺と「わたし」という、ほんらいもたれるべき当事者性が、やはり他人事のようにうすまっているのだ。身もふたもなく言えば、もともと加害者側として内省すべき者が、あれあれ、いつのまにか被害者側になって南京大虐殺をかたってるよ、ということだ。それが意識的になされたか無意識の巧知のせいだったかはよくわからない。言えるのは、戦争犯罪を戦争犯罪一般として他人事のように表現する、いかにも無責任なニッポン的語り口は、現在のおおっぴらな 歴史修正主義以前に、早くも1950年代からあったのだということだ。(辺見庸「日録1‐8」2014/11/13
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