今日からプラグイン欄(左側)及び本エントリ欄を通じて他の記事と交錯させながら「今日の言葉」(「私」と総選挙)を始めます。すでに何通かの言葉は掲載ずみですが、「今日の言葉」は五十嵐仁の言葉と辺見庸の言葉。

アガンベン 
ジョルジョ・アガンベン

「五十嵐仁の転成仁語」(2014年11月19日)
から。
 
突然の解散・総選挙となりました。国民や野党だけでなく、与党の一部からも「なぜ、いま解散・総選挙なのか」という声が出ています。それもそうでしょう。いまの与党は衆院の3分の2を上回る巨大な勢力を持っていますし、議員の任期はまだ半分も残っています。消費増税の先送りについても、民主党などの野党は受け入れています。それを実行したければ消費増税法の付則18条に基づいて増税を凍結し、そのための改正をすれば済む話でした。 それなのになぜ、議席が減るリスクを冒してまで解散・総選挙をしなければならないのか。選挙を実施すれば700億円もの多額の費用がかかるというのに……。今日の『毎日新聞』では、自民党のベテラン議員が「安倍晋三の安倍晋三による安倍晋三のための選挙」だと嘆いていると報じられていました。この記事を書いた末次省三政治部長は「与党の一部から『私利私欲解散』『ご都合主義解散』といった批判が出るのはもっともだ」と書いています。「政治とカネ」の疑惑によって窮地に立ち、集団的自衛権の行使容認の法制化や原発再稼働という難題を抱え、消費増税とアベノミクスの失敗による不況が深刻化すれば内閣支持率の急落は避けられず、野党の選挙準備も整っていない今のうちに解散・総選挙をやって政権基盤を安定させようと考えたのでしょう。政権戦略を最優先にした自分勝手な解散ですから、与党の中からさえ不満の声が出るのは当然だと言えます。(略)安倍首相がこれまでやってきたこと、これからやろうとしていること――その全てを許すのかどうか、安倍首相の続投を認めるのかどうかが、今回の解散・総選挙の真の争点にほかなりません。その意味では、個々の政策の是非が問われるというよりも、安倍首相の政治全体に対する審判こそが総選挙の最大の争点であるというべきでしょう。(略)総選挙での投票に当たって選択の基準はただ一つ。安倍首相を喜ばすような結果にはしない――これだけです。
 
辺見庸「日録1-9」(2014/11/19)から。
 
KMAはなにか早口でしゃべくりはじめた。これがまんいち顔であるとしたらのはなしだが、それはしばらくみないまに、ずいぶん険阻になっていた。まぎれもない凶相である。賭けてもよい。こいつは大災厄をもたらすだろう。ジョルジョ・アガンベンの〈顔論〉をおもいだす。「真理、顔、露出、これらは今日、惑星規模の内戦の対象である。その戦場は社会生活全体であり、その突撃隊はメディアであり、その犠牲者は、この地上のすべての人民である」。アガンベンの文意は詩的直観なしには理解しがたい。だがしかし、KMAのはなしは、いうまでもなく、何人であれもっているだろう詩的直観を排泄物で窒息死させるようなものである。したがって、KMAがいったいなにをしゃべったのかを、わたしは言語としてはついに解することができなかったのだった。かろうじてひとつだけわかったのは、(略)どうやら辞めるのではないらしいということだけ。わたしは(略)退陣することだけを期待していた。ところが選挙だという。このままでは自公インチキ政権が勝つだろう(引用者注:私はそうは思いません)。KMAは選挙後、集団的自衛権行使の違憲立法も、秘密保護法の強行採決も、原発再稼働も、労働者派遣法の改悪も、労働法制の規制緩和も、すべてあらためて国民の信任をえた、として胸をはって爆走していく気だろう。ただそのためのみの選挙なのだ。そうさせてよいのか。KMAは、消費税増税について、民主主義なので信を問うべきだといってのけた。(略)わらわせるじゃないか。だいいち、集団的自衛権行使の閣議決定という重大な政策変更について、KMAはいちどでも民意を問うたか。信を問うたか。クソバエ記者(引用者注:『いまここに在ることの恥』)どもはそのことを徹底追及したか。会見で問うたか。問いつめてはいないだろう。(略)法人税をひき下げ、消費税を上げ、社会保険料をひき上げ、社会保障をきりすて、介護保険を改悪し、生活保護費をひき下げ、非正規雇用をふやして、貧者をどこまでもしいたげ、富者をよろこばせ、格差をますます拡大し、軍備を増強し、兵器を外国に輸出する(略)――状態を、〈わたし〉への堪えがたい冒涜、侮辱として怒ろう。悲しもう。 
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