辺見庸日録1‐8」(2014/11/14)から。
 
東大ポポロ事件というのがあった。東大の学生団体「ポポロ劇団」が1952年、本郷の学内で松川事件をあつかった演劇『何時の日にか』の上演をおこなったさい、観客のなかに私服警官4名がいるのを学生が発見し、警官を拘束して警察手帳をうばい謝罪文を書かせた。それを口実に学生が逮捕、起訴される。これにより、憲法第23条が保障する「学問の自由」とそれを基本理念とする「大学の自治」が、この国ではじめて本格的に議論された。
 
一審の東京地裁

大学はがんらい、学問の研究および教育の場であって、学問
の自由は、思想言論集会などの自由とともに、憲法上保障され
ている。これらの自由が保障されるのは、それらが外部からの
干渉を排除して自由であることによってのみ、真理の探究が可
能となり、学問に委せられた諸種の課題の正しい解明の道が
   ひらかれるのである

大学はそれじたい、一つの自治の団体であって、学長、教員
の選任について充分に自治の精神がいかされ、大学の組織
においても学長の大学管理権を頂点として自治の実態に沿う
ような構成がつくられている。これにくわえ、学生も教育の必要
上、学校当局によって自治組織をもつことを認められ、一定の
   規則に従って自治運動を為すことが許されている

として学生らを無罪とした。
 
いまからすれば、まるで夢のような名判決である。二審も一審を支持したため(!)、検察が上告。最高裁判所大法廷は、しかし、1963年(昭和38年)5月、原審を破棄し、東京地方裁判所に差し戻した。その理由は「本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものでなく……本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない」からという。これに全国の大学が怒り、学生も教員もデモをした。わたしは19歳で、ポポロ判決抗議のデモ中に公安条例違反で逮捕された。まだ血で血を洗う内ゲバ連合赤軍事件もないころである。1963年にはケネディが暗殺され、堀田善衛審判を、大江健三郎が『性的人間』を上梓した。最近の京大キャンパスでのできごとと学生寮強制捜査で、そのポポロ事件をおもいだした。ただ、ポポロ判決のころは、大学の自治だけではなく、言論・思想の自由を蹂躙した旧治安維持法の再来という危機感が大学にも学生にもメディアにもあった。最高裁の判断にしても、大学の自治じたいは肯定していたのである。
 
いまはどうか。言論・思想の自由がうばわれるという危機感はほとんどない。このたびの京大での事件を、秘密保護法とのかんけいで深刻視するむきはまことにすくない。しかし、ことはいわゆる〈過激派〉の問題ではなく、権力がいま、秘密保護法適用の予行演習をしている、ということである。「特定秘密」の対象になる情報は、「防衛」「外交」「特定有害活動の防止」「テロリズムの防止」などとされている。これら分野における政府方針に反対するうごきにも官憲の調査権がおよぶ。つまり範囲などはなにもない。わたしをテロリスト教唆とみなせば、いつだってしょっぴける。なんのことはない、治安維持法の再演である。「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」という治安維持法が、条文の範囲をむげんに拡大し、ひとびとを苦しめ、密告者を増殖し、思想をいかにゆがめたか。

ポポロ判決のころはまだその記憶がのこっていたのだった。社会に嫌悪感があった。いまはどうだ。大学で高度の自治意識をもつところは皆無かきわめてすくなく、学生運動を暴力団とおなじ〈反社会勢力〉ときめつけて警察と積極協力してキャンパスからしめだすうごきばかりではないか。教員からも学生からも反権力、反権威の気概がすっかりなくなった。
 
 
附:秘密保護法の予行練習?!「弁護士清水勉のブログ」(2014-10-21)から。
 
・10月10日、ビデオニュースの神保哲生さんのインタビューを受けた。内容は、「イスラム国」に戦闘員として加わろうとしたとして北海道大学の男子学生が、私戦予備・陰謀罪違反の疑いで警視庁公安部から家宅捜索や事情聴取を受けた事件についてだ。
 
わたしは私戦予備・陰謀罪(刑法93条)に詳しいわけではない。というか、明治時代につくった刑法に規定されたこの条文は、裁判例が見当たらないことからすると、実際に適用されたことがない。だから、明治時代から今まで、学者でも弁護士でもだれも専門家はいない。警察官も裁判官も同じ。
 
専門家ではないが、条文をみればどう解釈するかくらいはわかる。私戦予備・陰謀罪は「第四章 国交に関する罪」に規定されている。この点だけからしても、就職に失敗した一大学生ごときが「イスラム国で戦争がしたい」と思って、渡航しようとしたくらいのことが、国交を害することなどあるはずがない。

引用者注:上記について清水弁護士は「ビデオニュース・ドットコム」の神保哲生さんのインタビューで次のようにも述べています。「個々人の行動が私戦に結びつくわけではないし、法律の規定の位置からしても国の信頼なり安全を害することからしても、個人の行動としてではなくて一定程度の組織性を持ったものとして行動することが想定されている規定と考えるべき。また、前後の条文からしても、やはり一定の組織性を持った、計画性を持って組織的に行動することが想定されているものと考えるべきです」。
 
で、条文をみると、「外国に対して私的に戦闘行為をする目的で、その予備又は陰謀をした者は、3月以上5年以下の禁錮に処する。」とあるだけ。
 
北大生のしようとしたことが私戦予備・陰謀なら、紛争地域に行って戦闘に加わる傭兵はだれもが私戦予備・陰謀罪で処罰されることになる。日本にも海外で傭兵をしていたことを公にしている人はいる。でも、だれも処罰されていない。おそらく強制捜査もされていない。だったら、北大生も同じ。
 
では、なぜ、警察が動いたのか?
 
動いたのは刑事警察ではなく、公安警察だった。ここが1つのポイントだ。刑事警察の場合は、逮捕⇒起訴⇒有罪判決を見通して捜査を始める。ところが、公安警察は犯罪でないことを扱っているので、逮捕も起訴も有罪判決も考えていないし、見通してもいない。自分たちが欲しい情報を入手できればいい。
 
今回の強制捜査(家宅捜索)を実行したのは公安警察だ。目的は北大生の逮捕、起訴、有罪判決ではない。北大生の部屋の家宅捜索でもない。北大生と関わりを持った人たち、イスラム学者の中田考同志社大学教授と、イスラム圏の取材経験が豊富で最新の情報を持っているジャーナリストの常岡浩介氏、特に常岡氏が持っている情報こそ公安警察が欲しかったものだったに違いない。常岡氏の自宅の家宅捜索をしたことで、一定の成果を挙げたに違いない。
 
12月に秘密保護法が施行されれば、公安警察は「テロ関連で秘密保護法違反の疑いがある」と何らかの口実さえ作れば、その秘密が何かを明かすことなく、根こそぎ関連証拠を持って行くことが可能になる。今回は、秘密保護法違反捜査の予行演習だったのではないか。
 
とは言っても、公安警察は独断で強制捜査をすることはできない。裁判官の捜索差押許可状(刑事訴訟法218条)という協力が必要不可欠だ。今回は、東京簡易裁判所の裁判官が捜索差押許可状を出したようだ。地方裁判所の裁判官だと強制捜査の許可を出してくれそうもないときでも、簡易裁判官だと出してくれる。簡易裁判官は、地方裁判所の裁判官とちがって、司法試験に合格していない裁判所書記官などがなっている(裁判所法44条1項4号)。
 
私戦予備・陰謀罪など捜索差押許可状を出したことのある裁判官はこれまでいなかった。地方裁判所の裁判官だったら、慎重に考えて捜索差押許可状を出さなかったのではないか。
 
だが、問題の本質は、地方裁判所の裁判官か簡易裁判所の裁判官かではない。裁判官が強制捜査を安易に許す傾向があることが素地として問題なのだ。そして公安警察が動く事件「捜査」では、警察は起訴、有罪判決を目指していないのだから、裁判官がそんな「捜査」に協力することはもっともっと問題だ。
 
マスコミは、少なくとも公安警察の強制捜査や問題のありそうな強制捜査では、捜査令状を出した裁判官名を報道すべきだ。裁判官の仕事は、人の人生を一変させるだけのものなのだから、実名で世間の批判に晒されて当然だ。そうされることで、裁判官は(公安)警察の暴走を止める役割を果たすべきことを制度上期待されていることを自覚すべきだ。
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